年中さくら
植物学者の夫は、一度研究に取り掛かると、朝から晩まで研究室にとじこもる。これほど仕事に熱中すると、家庭にしわ寄せがくるもので、ほったらかしにされている妻は寂しい思いをしていた。だから時折、用もなく研究室を訪ねて来て、不満を口にする。
「あなた、仕事が忙しいのは分かるけど、ちょっとは家に帰ってきてちょうだい。寂しいじゃないの」
「後少しで完成するから、もうしばらく辛抱してくれ」
「分かったわ。その代わり今の研究が終わったら、色んな所に遊びに連れていってちょうだい」
「あ、ああ」
夫は適当な答えでごまかす。
「何よその曖昧な返事」
妻は軽くあしらわれたように感じ、口を尖らす。
「そんな事より、この研究が成功すれば、莫大なお金が手に入るのは間違いないぞ」
夫が話を変えた。
「あなたがそう言うのなら、そうなのでしょうね。これまでも様々な新しい植物を作り上げてきた実績があるんですもの」
「ああ、そうだ。アサガオとユウガオを交配した〈二度ガオ〉は本当によく売れた」
「朝と夕方の二度花を咲かせるお得感が主婦層に受けたのよね。あなたの名が世に知れ渡った代表作ね」
「随分で稼がせてもらったよ。あれ以降、研究がやりやすくなった」
久しぶりの夫との会話に、妻の機嫌も少し良くなったようだ。
「あなたが発明した植物の中では、私は〈バラメ〉が好きだわ」
と、目を輝かせ乙女のような顔付きなった。
「あれは画期的な交配育種(異なる品種をかけ合わせる品種改良のこと)として、未だに業界で語り継がれるほどだからな」
「バラと海藻のワカメを交配するなんて、本当よく思いついたわね」
「まぁな」
「海の中で咲くバラ。斬新でロマンチックだわ」
「バラを水槽の中で育てる事が面白いとブームになった。一時期は製造が追いつかないほどだったな」
「でも」と、妻の声が暗くなった「次に販売した交配育種は、やり過ぎだって叩かれたのよね」植物学会の会員たちが酷評した記事を思い浮かべていた。
「ああ、〈松竹梅〉な。松と竹と梅を交配するのにずいぶん苦心したんだがな」
「一本の木に松の葉、竹の枝葉、梅の花が咲いてめでたい感じはするんだけど、なんだか情緒がないのよね」
「確かに詰め込み過ぎたかもしれん。でもな、あれは観賞用だけではなく、松の実や梅の実も取れるし、枝からは竹の子だって生える優れものなんだぞ」
「それがまたグロテスクなのよ」
「言っておくが、あれだって売れなかったという事はないんだぞ」
「でもあなた、交配育種はしばらく懲り懲りだと言ってなかった」
「ああ、だから今回のは、異なる品種をかけ合わせる交配育種ではないんだ。一種類での品種改良で新たな植物を作ろうしているんだよ」
「へぇ~、どんな植物なの」
「年中咲くさくらだ。世の中には花見好きが多いだろう。だから、春の時期だけじゃなく、年中咲くさくらを開発したら、需要があると思ったんだ」
夫はどうだ!と言わんばかりの顔をした。だけど、妻の顔は曇った。
夫は植物学者を生業にするだけあって、本当に花が好きだった。その中でも、とくにさくらが好きで、春になると毎晩のようにお花見に出掛けて行く。そしていつもベロベロになるまでお酒を飲みあかす。お酒を全く飲まない妻は、1、2回は付き合うが、あとは家で留守番して寂しい思いをしていた。さくらが咲いている短い期間だけだと思って、辛抱してきたのだが…
年中咲くさくらが完成したら、夫は毎日花見に出掛けるはずだ。今よりも確実にほったらかしにされる時間が増えるだろう。それに夫の体の事を考えても、良い事は何も無い。妻は頭を抱えた。ああ~、どうしましょう。
それからしばらく経ち、ついに年中咲くさくらが完成した。〈年中さくら〉と命名した。夫はとても素晴らしいものを開発したと自画自賛した。爆発的にヒットするはずだ。これで大金が手に入り、ますます他の研究に金をつぎ込める。それに、年中花見を楽しめるという嬉しい効果ももたらしてくれる。
夫はさっそく植物の卸売場をまわり〈年中さくら〉の営業をはじめた。しかし、どこの会社も相手にしてくれなかった。理由は何処も似たようなものである。
「さくらは、春先にしか咲かないからいいんだよ。その儚さが人を虜にする。年中咲くさくらなんて誰も興味を示さないよ」
「こんなものを発売したら、さくらの希少価値が減り、花見をする者などいなくなるんじゃねぇか。うちでは扱えないな」
などなど、卸売場で働く者たちは、さくらを冷静に分析していた。
妻はホッと胸を撫で下ろした。〈年中さくら〉が販売される事はなさそうだ。研究は失敗に終わり、一銭にもならなかったが、これで毎日寂しい思いをせずに済みそうだ。研究もひと段落ついたようだし、しばらくはゆっくりと、二人で色んな所に遊びに出掛けられる。しかし、妻が思い描いていたような日々が訪れる事はなかった。
〈年中さくら〉の失敗は、夫にかなりのダメージを与えた。期待した自信作だっただけに無理もない。あれから夫は、毎晩のように飲み屋に出掛けて、ヤケ酒を煽るようになった。妻をほったらかしにして。
終