前編
あまり深く考えずに読んでいただければと思います。
12月15日の異世界恋愛ジャンル日間ランキングで、5位に入っていました。読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。
ある王立学園の昼休み。カフェテリアでは、男子学生数人が昼食を囲みながら、いつものようにたわいもない話で盛り上がっていた。
「おい、見えるか。四つ向こうの席にオリヴィア嬢がいるぞ。今日も相変わらず可愛いなぁ。……マルセル、彼女と付き合ってるって本当かい?」
豊かな艶のある金髪を讃え、大きな碧眼を愛らしく輝かせるオリヴィアは、この学園でも憧れる者の多い、美しい令嬢だ。
マルセルと呼ばれた、こちらも非常に整った顔立ちの青年は、少し自慢げにその口元を綻ばせた。
「まあ、そんなところだな」
「おお、羨ましいな。彼女との将来も真剣に考えているとか?」
「僕は、まだ相手を絞りたくはないんだ。実は、良い所のご令嬢からの縁談もいくつか舞い込んで来ていてね。でも、もうしばらく遊んでからでもいいかな」
「うわ、美男子だからって、言うねえ。この学園に入学してからだって、もう見境なくたくさんの令嬢方に手を付けてるだろう? それぞれの顔だって、覚えてられないくらいじゃないのか。……お前、そのうち刺されるぞ」
「大丈夫だって。まあ、だいたい上手くやってるし、縁談の来ている先にはうちより高位の家もいくつかある。問題が起きそうになったら、そういう家の庇護下に入れば問題ないだろう」
マルセルはそう言いながらも過去を思い返していた。
そう言えば、軽はずみに将来のことを口に出したせいで、面倒ごとが起きかけたことも随分前にはあったような気がするが、あれは誰だったか。
それ以来、婚約や結婚といった将来の約束が絡む話を、マルセルは慎重に避けるようにしていた。
彼の言葉に呆れたように、横にいた友人が肩を竦めた。
「最低だな、マルセル。問題大アリな気がするけどな。もう少し女性を大切にしろよ。……ところで、オリヴィア嬢といつも一緒にいる、あの大人しそうな娘……カトリーナ嬢だっけ。あの娘もお前のことが好きなんじゃないか? 最近いつも、お前のことを見てるだろう」
マルセルがちらとオリヴィアの隣にいるカトリーナに視線をやると、彼女の長い焦茶の前髪に半ば隠れた瞳と、ばちりと目が合った。どうやら、さっきからずっと見られていたようだ。確かに、このところ彼女の無遠慮な視線をよく感じるように思う。
彼はすぐに目を逸らすと、不快そうに顔を顰めた。
「……いくら僕だって、彼女なんて御免だね。暗くて地味で、僕が好ましく思う要素が何一つないよ」
「でもさ。彼女、この王国の大神官様の一人娘だろう。彼女と結婚できたら、実は一番の逆玉なんじゃないの? 受け継いだ聖なる力のお蔭なのかな、彼女の占いは物凄く当たるって評判らしいよ。俺もできれば一度、みてもらいたいな」
この王国では、神官は古来より非常に重視されており、貴族よりも高い、一種の特権階級的な地位にある。
そして、大神官の娘であるカトリーナもまた、在学中から優れた力が認められ、学園の卒業後は神官になることが決まっているとの噂だった。
「はっ。いくら実益重視の僕でも、そんなこと、考えたくもないね。……食欲が失せた。僕はもう行くよ」
去って行くマルセルの背中を、じっとカトリーナの視線が追っていたことに、彼は気付いてはいなかった。
***
マルセルは、身持ちの固いオリヴィアに多少の苛立ちを覚えていた。
彼の誘いには乗ってくる反面、手を出そうとするとさらりと躱され、一緒にいても、どこか心ここにあらずな彼女のことを、彼は解せない気持ちで眺めていた。
器量という意味では、今までに見知っている数多くの令嬢の中でも一番と言っていい。でも、彼女の瞳は、なぜか目の前にいる自分を映してはいないような気がするのだ。
会話もどこか素っ気ないオリヴィアのことが不思議ではあったものの、今までに付き合った令嬢とは違い、すぐに自分に夢中にならない彼女のミステリアスさに惹かれてもいた。
オリヴィアと一緒の授業を終えて、教室から出て1人廊下を歩き出したマルセルに、後ろから小さくぼそぼそとした声が掛けられた。
「あのう……」
「ん?」
マルセルが振り返ると、そこにはカトリーナが俯き気味に立っていた。
「少しだけで、構いませんので……。お話するお時間をいただくことはできますか?」
よくよく見ると、緊張を隠せない彼女の顔はほんのりと赤く染まっている。
そういうことか、とマルセルは思った。
彼女を見下すような表情で、マルセルは言った。
「すまないが、あいにく僕にはそんな時間がないんだ。それに、付き合っている女性がいるのに、ほかの女性と二人きりになるというのも、どうかと思うからね。では、僕はこれで失礼するよ」
「あっ、待ってください……」
オリヴィアとも会っている陰で、実はこっそりと他の令嬢数人と同時並行で付き合っていたマルセルだったけれど、いけしゃあしゃあと一見まっとうな理由を述べると、くるりと背を向けてカトリーナの前から立ち去っていった。
ただ、オリヴィア以外の令嬢たちとは、なぜかこの頃すぐに自然消滅するな、と、そんな小さな疑問が頭に浮かんだけれど、歩くうちにすぐ、その考えは頭から消えてしまった。
そしてまた、彼を引き留めようとしたカトリーナが手を伸ばした先にいた、自らの背後に佇んでいた存在のことを確認しようとは思わなかった。
***
「あら、マルセル様? どうなさいましたか?」
それから二年後、マルセルは虚ろな目をして、神官となったカトリーナの元を訪れていた。
散々派手に遊び、学園生活を謳歌したマルセルだったけれど、学園の卒業後、彼はまるで急坂を転げ落ちるように悲惨な状況に陥っていた。
せっかくの王宮勤めのよい働き口が見付かったのに、なぜか彼の行く先々では問題が次々と勃発。ついには不正事件に巻き込まれーー不正に気付きながら目を瞑った彼もいけなかったーー、間もなく仕事をクビになった。
理由が理由だけに目こぼしは叶わず、他に転職先を見付けることもできずに、家族からは白い目で見られた。辛うじて、せめてもの情けとばかりに与えられた家業の末端の仕事を手伝いながら、何とか当座の口を凌いでいる。
それだけではない。
馬車に乗ろうとすれば馬に後足で蹴られ、冬釣りに行けば氷が割れて氷点下の湖に転落し、山を登れば人喰いグマに遭遇する。そんな事態が相次いだ。外を歩けば鳥のフンが頭に命中、なんてことは日常茶飯事だった。
元来楽天的なマルセルではあったが、さすがにこれは何かがおかしいと思い始めていた。
そして、今まで彼にやってきていた数多の条件のよい縁談は、潮が引くようにぱたりと途絶えていた。
縋るようにオリヴィアに婚約を申し込むと、「私、あなたとお付き合いしていたつもりはありませんわ」と、ぴしゃりと冷ややかな口調で断られた。
自らの見目の美しさには自信のあったマルセルは、それでもどこぞの貴族令嬢を捕まえられるだろうと、そして入婿にでもなれるだろうと、強気に構えていた。
けれど、はじめはマルセルが軽く笑い掛けるだけで頬を染めていた令嬢も、なぜかその後、怯えたように彼を避けて彼の元を去ってしまう。マルセルには訳がわからなかった。
そんな時に、ふと彼の脳裏をよぎったのがカトリーナの顔である。
神殿の入口で追い返されそうになったマルセルだったけれど、たまたまその時に近くを通りかかったカトリーナが声を掛けてくれたお蔭で、事なきを得た。
柔らかく彼に向かって微笑みかけるカトリーナを見て、マルセルの心に希望の光が差した。
(これは、まだいけるかも……)
目の前にいるカトリーナは、学園で見掛けた時にマルセルが記憶していた姿よりも、数段美しくなっていた。短くなった前髪の下からは、意外にも美しい切れ長の琥珀色の瞳が煌めいて、上品な声のトーンには落ち着きと自信が感じられる。
逆玉、という言葉がくっきりと彼の心に浮かぶ中、マルセルは切り出した。
「久し振りだね、カトリーナ。綺麗になっていて驚いたよ。……実は、最近、どうも運が悪いみたいで。運が悪いっていうのか……どうもおかしなことが立て続けに起こるんだ」
「おかしなこと、とは?」
首を傾げた彼女に向かって、マルセルは頷いた。
「誰もいないはずの家の中で、物が動いたり、急におかしな音がしたり。他にも、かくかくしかじかで……。僕、呪われてでもいるのかな。君の神官の力で、何とかならないものかい? それに、君から前に学園で声を掛けてもらった時、話を聞かずにすまなかった。今は誰も付き合っている女性はいないから、だから、その……」
マルセルはでき得る限りの、とびきり甘い笑顔を浮かべた。
「そう、ですか」
カトリーナはしばし何かを考えるように口を噤むと、マルセルの背後を指差した。
「いらっしゃいますよ?」