第三話「ゴキブリ! ハナクソ! クール便!」
「なるほど、あの魔術書はもう魔力が切れてたのか」
「そうだ、おかげ様で今大変な目に遭ってるぞ武志」
とりあえず武志に事情を説明すると、やはりあの魔術書が魔力切れだったことは知らなかったらしい。まあ当然と言えば当然だ。こいつの話を鵜呑みにするならそもそも武志は魔術に関することは一切教えてもらえていないハズなので、あの魔術書の中の魔力がどうなってるとか、中に何が書いてあるのかなんてほとんどわかっておらず、召喚する時もほとんど兄に助けてもらっていたらしい。
「うん、まあでも良かったじゃんか、かわいい子で」
「本気で言ってンのか」
出会い頭にメイスでどつきさも当然であるかのように煽りと罵倒を繰り返すような生き物だぞこれ。
「……そういや、何でレイラちゃん隠れてんの?」
武志の後ろに目をやりつつ俺がそう問うと、武志の後ろでレイラがビクンと肩をびくつかせる。
「お、そういやそうだな。どうしたレイラ?」
武志に問われてもレイラは答えようとしない。そういえばこの子ナナを見た瞬間こうなったような……。
「ん、レイラ? やっぱりレイラちゃんなんですか!?」
レイラという名前を聞いた途端、ナナは顔の前で手を合わせて目を輝かせる。そしてすぐにはしゃいだ様子でレイラの顔を覗き込もうとするが、レイラは武志の後ろに隠れたままナナと目を合わせようとしない。
「レイラちゃんレイラちゃん! お久しぶりです、ナナですよ!」
ナナとレイラのテンションのギャップは酷い。レイラはどう見ても「なるべく会いたくない知り合いに出会ってしまった」という感じだ。
「た、武志様! 帰りましょう! そろそろお義母様がお夕飯の用意をなさっているハズです!」
「お、そうだな。でも良いのか? このナナちゃんって子知り合いじゃねえの?」
「……知らない人です怖い」
そう呟いてレイラがナナからそっぽを向いた途端、その場でナナが膝から崩れ落ちる。
「お、おい、どした?」
急な態度の変化に驚いて俺が問うと、ナナは唇を震わせながら言葉を紡ぐ。
「や、やっぱり鳥って……三歩歩けば忘れちゃうんですね……!」
「あ、うんそれは鶏ね」
何でお前日本のことわざ知ってんの。
「だ、誰が三歩で忘れる鶏頭ですか!」
「だってレイラちゃん、ナナのこと忘れちゃってるじゃないですかー!」
思わず反論するレイラだったが、とうとうナナと言葉をかわしてしまったことに気づいてハッとした表情になる。事情はよくわからんがとりあえずレイラがナナを快く思っていなさそうなことはよくわかった。
わかる。
「レイラちゃん酷いです! ナナが昔レイラちゃんの誕生日にプレゼント贈ったことも忘れちゃったんですか!」
お、意外と優しい。
「何を抜かしますか! 人の羽根をむしり続けて集めた羽毛で作った羽毛枕をあろうことか本人に贈るなど! 正気の沙汰とは思えません!」
サイコパスか。
「いやそれはほら、レイラちゃんに羽毛枕あげたいなぁと思ったら近くに羽根があったので……」
サイコパスだ。
「行きましょう武志さん! こんな頭のおかしな人に関わっていても利益はありませんよ!」
「全くだ! ここは任せて早く行け武志!」
レイラがかわいそう過ぎて思わずレイラ側についてしまう俺だった。
「……? お、おう……どうした飛太まで」
「ささ、戻りましょう武志様。お義母様の夕飯が冷めてしまいます」
「確かにな。赤ちゃんのためにもおいしいごはんを食べないとなレイラ!」
武志が”赤ちゃん”と口にした途端、ナナだけでなくレイラまでもがピクリと反応示す。
「レイラちゃんに……赤ちゃん?」
「え、ええ……まあ……」
急に冷や汗をかきながらナナから顔をそむけるレイラに、ナナは容赦なく詰め寄っていく。
「へぇ……”また”妊娠ですかぁ……」
「そ、そうですよ……! 武志様とは永遠の愛を誓った仲……」
隣で恥ずかしそうに頬を赤らめる武志とは裏腹に、レイラの方は声が上ずってしまっている。どこか様子のおかしいレイラを怪訝そうに俺が見ていると――――
「せいっ!」
ナナの強烈な腹パンがレイラの腹部に直撃していた。
「おっ……うぇっ……!」
突然の出来事に誰も思考が追いつかない。目の前で倒れて呻くレイラと、満足気に拳を収めるナナ。呆然としていた俺がハッと我に返るよりもワンテンポ早く、武志はレイラに駆け寄った。
「れ、レイラァーーーーッ!」
「峰打ちですから安心してくださいな」
峰あんのお前の手。
「いやお前何してんの!? ギャグですむこととすまないことの違いもわかんねえの!?」
「もう、飛太さんこそわからないんですか!? ハーピーはそもそも産卵ですよ!?」
「いやお前わからな――産卵……ん?」
いや知らんけどな。
「良いですか、レイラちゃんは極度の虚言癖をお持ちです。かつて向こうの世界でも『妊娠したぁ~』とかのたまって何人もの男を誑かした罪でハーピーの里を追放された悪女なんです!」
「え、いや、嘘ォ!?」
驚く俺と武志とは裏腹に、レイラの方は舌打ちしながらキッとナナを睨みつける。どうやら図星なのか、さっきの腹パンは本当にただの腹パンですんでしまっているらしい。レイラは立ち上がって更に強くナナを睨み始めていた。
「チッ……余計なことを……!」
「『チッ』!? 『余計なこと』!?」
「この腐ったみかんにも劣るゴキブリ以下の糞虫女がよくもこの私に腹パンを……!」
「腐った……ゴキブリが、糞で、なんて……?」
もう完全に理解力がキャパオーバーしたらしい武志は混乱した様子でレイラを見つめている。レイラの方は今までの清楚で大人しそうな美少女とはまるで別人のようになっており、その綺麗な顔を怒りで歪めてナナを罵倒していた。
「ふふふ……ではあなたは地を這うゴキブリ以下の糞虫にしてやられたというわけですよ……鳥なのに! 鳥なのに!」
「るっせえんだこのハナクソがぁっ! その汚れたフナムシみてぇな顔千切りにしてテメエの故郷にクール便で送られてえか!?」
意味わかんねこと言っといて冷蔵だけちゃんとするな。
「やれるものならやってみてくださいアホウドリ! 唐揚げかフライドチキン、好きな料理にしてあげますよ! それともタンドリーチキンがお好みですか?」
「やかましい! 私は鳥肉を使う時はまずチキンカレーって決めてんのよ! 揚げ物中心で提案しやがってこのデブ!」
この子普通に鳥食べるんだ……。
俺は俺で唖然としているが、一番かわいそうなことになっているのは武志だ。まさか清楚な彼女が出来たかと思えば虚言癖であることが判明するわキレたら「ゴキブリ」に「ハナクソ」に「クール便」である。いやクール便は別にいいか……。
とにかく武志はもうこのまま気絶してもおかしくないような精神的ショックを受けているようで、流石の俺もまず武志が心配になってくる始末である。
さっきまでムカついて仕方がなかった勝ち組野郎が今となっては一番哀れに思えてくる……いや、ナナ・ロアを引いた俺もわりと哀れだ。
「おい武志、大丈夫か、おい! しっかりしろ相棒!」
「……相棒……?」
「哀れ仲間だろ!?」
「いや一緒にすんな……」
「言え! 一緒って言え! 俺もお前もかわいそうなんだよ!」
「ちげーし! レイラちゃんハナクソとかフナムシとか言わねーし!」
肩を持ってブンブン揺さぶってやると思った以上に泣きそうな顔で反論されてしまった。ごめんなこんな時に。
「言わねえもん! うわああああ!」
「わかったごめん悪かった。俺だけがかわいそうだよ」
何だこれ。
俺と武志がそんなやり取りをやってる間にも、ナナとレイラの口喧嘩も続く。
「私はここで武志様と幸せになるんだよっ! 邪魔するようなら薄切りにスライスしてテメエの家にポスト投函してやるわっ!」
クール便はどうした。
「臨むところです! さあかかってきなさいえっと……あの、馬鹿! 馬鹿の鳥!」
語彙負けしてんぞナナ。
そんな会話の後、レイラは突如自分の両腕を広げる。すると彼女の腕に折りたたまれていた翼が勢い良く広げられる。そしてそれと同時にレイラの腕は徐々に全て翼へと変化していく。そしてロングスカートを部分的に突き破りながら、彼女の下半身は猛禽類のソレへと変化を遂げる。どうやらこれがレイラ……ハーピーの真の姿らしい。
え、こわ。
思ったより下半身が生々しくてグロい。映画で見る超綺麗なCGみたいだ。
……映画で見る超綺麗なCGってすげえな。
「武志、帰るか?」
もうぶっちゃけこのままほっといて帰りたいというのが俺の本音だ。レイラは飛び上がってナナを威嚇し始めたし、ナナの方は例のメイスを使って空中のレイラへ光の球みたいなのを飛ばしている。やっぱ使うのかなぁとは思ってたけどほんとに魔法っぽいの使い始めているナナに対して、もう驚く気も失せてきた。ぶっちゃけレイラの豹変の方がやばいし怖い。
「大きな鳥に……大きな光……すごいなぁ……。あの鳥、鷹かなぁ? いや違うな、鷹はもっとこう、バーって飛ぶもんなぁ」
あ、いかん。
「おーいみんなぁ! 大きな鳥が飛んでいるぞぉ! ふふふ、あの光はUFOかなぁ? 写真撮ったら、パパやママも、兄ちゃんも驚くぞぉ」
「おい帰ってこい! 逝くな飛ぶな! 今ここでお前が壊れたら俺マジでどうすんだよおい!」
虚ろな表情で空を見上げながら携帯を取り出し、写真を撮ろうとする武志を止め、俺は必死で揺さぶってやる。しばらくはガクンガクンと揺れるばかりだった武志だが、何度か繰り返している内にハッと我に帰って目を見開く。
「と、飛太! 何故ここに! それになんかすごい音が……!」
「馬鹿、見るな!」
再び壊れられてはたまったものではないので、慌てて武志の目を塞ぐ。もがく武志をなんとか取り押さえつつ、俺は強引に武志の視線をナナ達からそらした。
「武志、一つ確認させてくれ!」
「な、なんだよ急に!」
「お前、レイラちゃんの妊娠が嘘だったってことは、お前はその……あれだ、卒業はしてないんだよな!?」
「ん? なんだ? どういうことだ? 卒業?」
「いいか武志、赤ちゃんを作るにはあるものを卒業しなければならない、わかるな?」
「赤ちゃんって愛し合う二人の間に自然発生するんじゃねえの?」
もうやだ馬鹿しかいない。
結果はナナの圧勝だった。
空中を自在に移動できる分、レイラの方に分があるかと思われたのだがレイラが放つ光の球は全自動ホーミング機能付きのようで、レイラがどれだけ逃げようとも追い続けていた。まさかこんなところでサーカスの空中曲芸が如くホーミング光球を避け続けるハーピーの姿がお目にかかれるとは思わなかった。まあ最終的に全部当たったんだけど。
まあ流石に威力は加減されていたようで、レイラは地面に落ちて気絶してはいるものの命に別状はなさそうだった。
「さて、調理しますか」
「いやしない」
連れて帰りたくはないが、コイツはどうにか俺の方で処理する責任があるような気がする。というかこんなのを野放しにしてしまうのは毒持ち外来種を生態系に投げ込むようなものだろう。
「武志、これは俺が責任を持って持ち帰るから、お前はそこの鳥を頼む」
「なぁ飛太、何でレイラちゃん気絶してんの」
「いい、いいから」
まだちょっと夢見心地なのかボケっとしている武志を倒れているレイラの方へ押し出しつつ、俺はナナの方へ目をやる。
「そら、帰るぞ」
「帰るってどこに……! ナナには、ナナにはこの世界に居場所なんてないんですよ!」
「そんな話さっきまでしてたっけ」
「こんな異世界に独りぼっちで……ナナは、ナナはどうしたらいいの!」
「いやそういう話じゃなかったよね」
「間違えましたぁ」
何で人殺しって犯罪なんだろうな。
「もうとりあえずお前を野放しにしとくのはやべえから、ひとまず俺ン家来いっつってんの! おふくろと親父はなんとか説得しといてやるから!」
「と、飛太さん……!」
いやもうあれだけ暴れた後で目を潤まされてもかわいいとか全然ないからな馬鹿。
レイラは武志がおぶって帰り、俺はナナを連れて帰る。ナナをこれからどうするかは後で考えるとは言え、今日一晩だけでもコイツと一緒にいなきゃいけないのかと思うと本当に頭が痛くなる。というかおふくろと親父をどうやって説得すれば良いのかも全然わからん。
迷子? 記憶喪失? 行き倒れ? どれも突飛過ぎて説明がつかない。
気がつけば時刻はもう八時過ぎで、帰ってこない俺を心配したおふくろからメールが届いていた。
「いいかナナ、あんまり期待してねえけどおふくろと親父の前でだけは変なことすんなよ」
「変なこと?」
「何もするなってことな」
「息は!?」
「うるせえぞ小学生」
もう最悪こいつで人生ぶっ壊れてもおかしくねえなとは思いつつ、俺は深いため息を吐きながら家のドアを開ける。すると、かなり慌てた様子でおふくろから玄関まで駆けてきた。
「ちょっと飛太! 今までどこに行ってたの……ってその隣の子――――」
おふくろが言葉を言い切るよりも、ナナがおふくろに対して例のメイスを振る方が早い。メイスから発せられたキラキラした輝きが、おふくろを包み込んだ後、親父のいるであろう居間へと向かっていく。
「おい馬鹿!」
俺がそう言った頃には既に遅く、おふくろは虚ろな目でナナを見つめている。
「…………あらぁナナちゃんお帰りなさい。ご飯出来てるから、冷めない内に飛太と食べてね」
「はぁいママ」
ママ!?
「え、ちょっと待ってお前おふくろに何してんの!?」
「洗脳」
「当たり前のように言うな」
「まあ軽いものですよ。意思の弱い人間しか操れません」
というかおふくろの意思が弱いことの方が地味にショックだった。
結局ナナの都合の良い魔法でおふくろと親父はナナを”何故か居候している親戚の子”と認識して納得してしまい、めでたくナナは俺の家に住み着くことになってしまった。
「っはーーーー!」
もう行き場のないストレスというかなんというか、とにかくどうしようもない感情をCO2に乗せる。心なしCO2多目の息だったかも知れない。
飛び込むようにしてベッドに身体を預け、いそいそと押し入れに布団を敷くナナの様子を見つめる。てっきりベッドで寝るとか言い出すかと思ったがまさか押入れとは……。
ちなみに服はあのままでいられても困るので俺のジャージを貸してある。ものすごい嫌々着られたのを思い出すと普通に頭に来るが。
「……なぁ」
「なんです?」
「なんでベッドで寝ねえの? 別に俺床で良いけど」
「くさそう」
「はい」
俺なんでコイツ連れて帰ったんだろうな。
ナナは布団を敷き終わるとそれからは特に何もせずに布団の中へ潜り込んでいく。てっきり何かまた騒ぎ出すのかとも思ったが、流石にナナの方も疲れたのか大人しいままだった。
「……飛太さん」
俺もいい加減うとうとしてきて電気も切ろうかと思った頃、とっくの昔に寝たかと思っていたナナが押入れから声をかけてくる。
「ん、なんだよ」
これまでとは打って変わって変に落ち着いた様子のナナには違和感を覚えたが、とりあえず耳を傾ける。
「ナナ……飛太さんに……言わないといけないことが……」
「どうした改まって」
流石のナナもあれだけ振り回した挙句家に居候させてもらう、となれば謝罪やお礼の一言くらい言うのだろうか。もうかなり眠そうな声音だし、案外素直になると結構まともに話せるのかも知れないな。
「ナナは……こっちの……世界で……イケメン逆ハー帝国を建設するのでまずその足がかりとしてこの部屋を拠点にしようと思いますナナのイケメン基準値からは微妙に外れていますが飛太さんを逆ハー帝国国民第一号として迎え入れてあげようと思います以上」
「は?」
「おやすみ」
「おい」
最後の方早口で少し聞き取りにくかったが、かなりメチャクチャなことを言われたことだけはハッキリとわかる。ピシャリと押入れの戸を閉められてしまったが、俺はすぐに立ち上がって押し入れの戸を勢い良く開けた。
「お前な、しおらしく何を言い出すかと思えば……!」
しかしそこにいたのはもうすっかり寝付いてしまったナナである。戸を閉めてから俺が開けるまで十秒あったかなかったか、その間に寝てしまったらしい。
いやそこだけお前がのび太なのかよ。