第二話「牛は落ち着かない」
目を開くと、そこにいたのは思わず目を丸くするような美少女だった。
夕日をバックに、くりりとした碧眼が俺を見つめている。栗色の長い髪がほんのりと赤を映し、餅のような白い柔肌を包み込んでいる。清楚で淑やかな、どこか神官を思わせるような衣装を身に纏った彼女は、あどけない顔で俺を真っ直ぐに見つめた。
アタリだ、アタリを引いたな。そう思った。
文句なし美少女。使い魔だと聞いていたから最悪コウモリだの蛇だのが来てもおかしくはないと思っていたが、コイツはレイラにも引けを取らない美少女だ。この瞬間、俺はメチャメチャ浮かれていたんだ。アタリだ、美少女だ。そう、そう思ったんだ。
彼女が持っているメイスで俺の頭を思い切りどつかれるまでは。
「イケメンじゃなくない!?」
「イケメンじゃねえが!?」
この返しが気に入らなかったのか彼女はもう一度メイスを振り下ろす。流石に二発も食らってたまるかと、目をチカチカさせながらも俺は足元の本でメイスを防ぐ。
「はい!? あなたがナナのマスターですか!?」
「うん!? 多分ね!? 多分そう! じゃないかな!? だから宝具でどつくのやめような!?」
「わかりました!」
「違うグーじゃないグーなら良いわけじゃない!」
メイスとグーを交互に突きつけられてそこから大体五分くらいロストした。
「まあ、今回はマスターと使い魔? 間のいざこざだし、未成年っぽいということで見逃しておいてやるけど次はねえからな」
「あ、はい。あの本当出来心で」
ひとまず正座させといた。
「うん、で、何? 名前がなんて?」
「ナナです! ナナ・ロア!」
一応正座は崩さないまま屈託なく笑いながら両手を広げて自己紹介する彼女……ナナ・ロアはそこだけ見れば間違いなく美少女である。タレ気味のくりくりアイが物珍しそうにキョロキョロと俺の部屋を見回しておりもうそれだけでだいぶかわいい。
かわいいのだが、頭部を触ればさっきメイスでどつかれた時のたんこぶが痛む。美少女ではあってもいきなりメイスでどついてくるような女だ。一切油断は出来ないしほんとにこれ使い魔の類なのか……?
「へぇ、アンタもナナって言うんだ?」
「言ってない言ってない。三条飛太ね」
「アンタも飛太って言うんだ?」
お前飛太なのかよ。
「とりあえずナナは無事地球の日本に辿り着けたようですねぇ」
「ん? ちょっと待て!」
無事? 辿り着けた? この口ぶりだとまるでこのナナが自らここに来たかのようだが、俺はあの魔術書を使って使い魔を召喚したんじゃなかったのか?
「ランダム移動とは言えなるべくイケメンのいる所に飛ぶようにしてたハズなんですけど、ちょっと日本はイケメンの基準値イマイチじゃないです?」
「うんちょっとはお前のミスを疑って!? 俺を基準にして国丸ごと貶さないでくれる!?」
「ごめんなさぁいナナ間違えましたぁ」
あ、反省してない。
ものすごい舐め腐った顔で適当に謝罪の言葉を述べるナナ。殴りそうになる気持ちをどうにか抑えて俺はため息にも似た深呼吸で精神を落ち着かせる。あんま落ち着いてないけど。
「ちょっと飛太! 何騒いでんの!?」
「あー何でもないよー!」
母はナナがいることまではわかっていないのか、どうも俺が一人で騒いでいると思っているらしい。ナナをどうするかはひとまずおいておいて、今はまだ母に知られるわけにはいかない。俺から呼んどいて(呼んだかどうかかなり怪しいが)なんだがもう既にだいぶ帰って欲しいというのが本音で――――
「お邪魔してます! ナナ・ロ――――」
「はいやった! 絶対やると思った! お前逆にこのテンプレ感恥ずかしくねえの!?」
言いつつもテンプレに従うかのごとく慌ててナナの口を抑える俺の行動もだいぶ悔しい。
「もが! もごご……もぎ……べぎゃぅ」
「言う!? べぎゃぅ言う!? 何を発音したらべぎゃぅになんの!? とりあえずなるべく静かにしてくれる!?」
とりあえずなるべく静かに話すように説得したは良いが、どちらにせよナナをどうすれば良いのかわからない。そもそもさっきの発言から考えるに俺が呼んだわけではなさそうには感じる。だとするとあの魔術書による召喚は失敗どころか何も起きていないということになる。
「えーっと一応ハッキリさせときたいんだけどお前は何? 自分で来たワケ? 俺が召喚したわけではなく?」
「ふん、このナナが下等な人間風情の召喚に応じるとでも思うか」
「先にキャラ付けハッキリさせよっか」
「はぁいごめんなさぁい間違えましたぁ」
腹立つなぁコイツ。
もう何度握りしめたかわからない拳を必死で隠しつつ、俺は引きつった顔のまま返答を促すようにナナを見つめる。
「ナナは自分で来ましたよ! 飛太さんの言う召喚? はそこの古紙で行おうとしたんですか?」
「やめろ親友に借りた本をリサイクル資源扱いするな」
とりあえずナナにばかり説明を求めるわけにもいかないので、俺は俺で武志に借りた魔術書について武志とのエピソードを交えつつ説明する。途中でわけのわからんことを言い出すかとも思ったが、意外にもナナは俺が話し終えるまでは相槌を打ちながら黙って聞いていた。
「というわけなんだが、お前はこの魔術書で召喚出来たわけじゃないってことで良いのか?」
「ふっ」
「あ、今鼻で笑った! 意外と黙って聞いてると思ったら鼻で笑いやがったぞこいつ! クソが何だこの敗北感は!」
「またまたぁ! そんなインスタントな召喚が同じ本で二回も出来るわけないじゃないですかぁ! そこそこ出来の良い冗談ですよね!? まさか飛太さん、その”魔力切れ”のインスタント召喚魔術書でナナが呼べたなんて一度も思いませんでしたよねぇ!?」
「お、おーーーーうあたぼーよ!? この俺がそんな情けねえ誤解するとでもお思いかぁ!? しねえよ? 全然しねえよ? むしろボケ拾ってもらえて嬉しいっつーか!?」
「見苦しいです」
うわぁ振っといて一言で切り捨てやがった。
ナナの説明によれば、武志が俺に貸した魔術書によって行える召喚は一度のみ。武志も元々魔術の類が扱えるわけではなかったし、レイラを召喚するために使われた魔力はあの魔術書の中に蓄えられていたものだったのだ。そのため、武志がレイラを召喚した後この魔術書の中には魔力の残り滓程度しかなく、俺のような一般人が使い魔を召喚することなど不可能だと言うことらしい。
「ってじゃあ何で魔術書光ったんだよ!」
「それはナナのワープ魔法の方じゃないですかね」
「アレは!? あなたがマスターかってのは!?」
「ノリですかねぇ」
「何でちょっと他人事みたいに答えるんだよ! お前が言ったんだからな!」
「間違えましたぁ」
「ま・ぎ・ら・わ・し・い・ん・だ・よッ!」
「あー待って待って本おろしてどうどう! どうどうです! 牛太さん!」
「ダメ! ムリ! 牛太もうキレた! フェミニストやめる! お前をどつかないことがフェミニストってことなら俺は一生マニフェストでいい!」
「うわやばい牛太さんマニフェストの意味わかってないです!」
マニフェストの意味がわからない恥ずかしい俺だった。
「まあでもマジな話、その魔術書のクソみたいな残り滓に引かれて来たのは確かなので、あながち間違ってはいないわけですよ」
リサイクル資源でどつかれた頭部を抑えつつ、今更フォローするかのようにナナはそうのたまう。
「俺あながち間違ってないことでメチャメチャ煽られたんだけど」
まあ実際俺が召喚出来たわけではないのだが、少なくともナナの方は俺があの魔術書から発したクソみたいな残り滓に引かれてココに来ることになったらしい。本当にイケメンのところへ行くようにしてあったのかなんて俺には全然わからんが、とりあえず俺があの魔術書をこのタイミングで使おうとしたのは俺にとってもナナにとっても不利益なことだったようだ。
今全員不幸じゃねえか馬鹿か。
「ふむふむ、しかしこの世界は魔法関係に関してはクソ以下と聞いてましたけど案外そんなことはないみたいですね」
「え、何、結局お前はほんとに異世界から来たの」
「ええまあ。向こうの世界だとクソみたいにモテないのでこっちでイケメン逆ハー帝国作ろうと思いまして」
「今しれっとすごい発言したなお前」
「ここの人間は原則クソみたいって聞いてるのでナナの美貌で逆ハー余裕という算段なわけですよ」
「お前地球舐め過ぎだしさっきからクソクソ言い過ぎじゃねえ!?」
「それより気になるのはさっき話に聞いた”ハーピー”の娘ですね」
「それより!? 地球の尊厳捕まえてそれよりっつったのお前!?」
もうなんか言いたいことは山程あったが、俺も今ナナの言った「ハーピー」という単語は気にかかる。俺もあまり詳しくはないが、ハーピーと言えばゲームやら何やらではそこそこお馴染みなイメージのモンスターだ。確かギリシア神話辺りだった気がするが、言われてみればレイラの容姿は伝説上のハーピーとそれなりに一致する。
「そういえばこっちの世界のハーピーはブスで下品って聞きましたけど、そいつブスで下品でした?」
「お前言葉にオブラートってわかる?」
「あんな薄皮一枚で何が出来るって言うんですか」
そういう問題じゃない。
「飛太さんの話だとムカつくくらい美少女って話でしたし、そのハーピーもこっちの世界の生き物じゃなさそーですねぇ」
「あ、判断基準そこなんだ」
後俺はムカつくとか一言も言ってないからな、レイラには。
「ハーピーには心当たりもありますので、ここは一つその桐生院さんとブスへの挨拶も含めて会いに行きましょう」
「ハーピーは美少女ね」
「ふふふ、楽しみですねぇハーピー。小さい頃はよく一緒に遊んだものです」
こいつ話聞かないなぁ。
とりあえずあの魔術書がもう魔力を失っていたことや、ナナとかいう厄介な生き物と関わり合いになってしまったことなど武志の責任問題を追求してなんとかレイラとナナをトレードするために俺はナナを連れて桐生院家に再び向かう。もうその頃には日もかなり落ち始めており、もう街灯もつき始めるくらいには夜だ。
しかし桐生院家に行っても武志とレイラはおらず、どうもこんな時間に二人で散歩に行ったのだとか。人がナナにどつかれたり煽られたりしている間に随分とノンキなものである。
「ふむ、どうやら随分とイチャラブチュッチュズギュンしている様子ですね」
「今イチャラブした後チュッチュから血とか吸わなかった?」
「とにかく向かいましょう。ナナはそういう自分の介在しないイチャラブがムカついて仕方ないので」
初めて意見が一致した。
桐生院家からしばらく歩くことほんの十分程度、俺達が近所の公園を訪れると一組の少年と少女がベンチに隣り合って座っている。一人はやや強面のいかつい少年で、もう一人は細身でスタイルの良い黒髪の少女だ。
二人はうっとりした表情で言葉をかわしており、もう一目でカップルだと認識出来る。薄暗い公園にはその二人しかおらず、まるでこの公園が二人だけのものであるかのようだった。
ていうか武志とレイラだった。
眉間にしわを寄せて、入り口から睨むように二人を見る俺だったが二人は一向に気づかない。どうも武志もレイラもお互いのことしか視界に入っていないようで、公園の入り口に立っている俺とナナには気づきもしない。もうなんかここまで来るとわざわざ邪魔するのもバカバカしい。そう思って俺はナナを連れて帰ろうと二人に背を向けたが、隣でナナは手に持っているメイスをブン投げんとして振りかぶっていた。
「キレそう」
「待って」
なんとかナナの腕を抑えるが見た目以上に力が強く、ちょっとでも気を抜けば簡単に振り払われてしまうくらいだ。プルプルと腕を震わせながら強引にメイスを投げようとするナナの表情は正に悪鬼と言った感じである。
いやほんと悪鬼。
「ほらメイスおろせどうどう! どうどうだ! 糞牛!」
「ダメ! ムリです! ナナスタインもうキレました! 善人やめます! ここであの糞鳥にメイスを投げないのが善人ってことなら、ナナは一生悪鬼でいいです!」
「いやお前無理しなくてもミジンコ一匹分も善人じゃねえからな!? 安心してやめて!?」
「飛太さん言葉にオブラートってわかりますぅ!?」
「あんな薄皮一枚で何が出来ンだよ!」
そんなアホなやり取りをしていると、流石にこちらに気づいたのか武志とレイラがこちらへ視線を向ける。武志の方はナナを見てニヤッとしているようだったが、レイラの方は突如として表情を一変させて武志の後ろへ隠れていく。
「飛太ー! その子、お前が呼んだのかー!?」
「おう! 帰らせ方教えてくれる!?」
「え、もう!?」
「というか先に止めるの手伝ってくれる!?」
結局なんとか武志と二人がかりでナナを取り押さえた。