夕暮れ時の夜想曲
ちなみにポッキーゲームは入りません
「朔夜なんて、大ッ嫌いッ!」
沈みゆく夕陽とは逆の方向へ、私は走る。
ショートボブの髪が跳ね乱れていくが、そんなことも気にせずに駆ける。
「あああああああああああ!」
耳につけたカナル型イヤホンが落ち着いた夜想曲を流してくるが、気持ちは収まらない。
小川の岸をただ真っ直ぐに突っ走る。
視界の端には乾いた稲穂が光っていた。
前が水で見えなくなってくる。
頬を伝って流れ落ちる。
中学校の黒くてダサいブレザーの制服が雫を弾く。
泣いたという痕跡が、どんどんと増えてゆく。
涙は止まらない。
それはきっと、私が泣いてる原因を他人に押し付けているから。
見返してやりたかった。
ずっと負けていた朔夜に、今回は勝てると思っていた。
でも、無理だった。
テストの点数。
「あんなに大見得切ったのに! なんで! なんで!」
テストの一週間前。
私は朔夜に戦いを挑んだ。
勝った人は負けた人に一つお願いをできる。っていう条件つきで。
いつも私を超えていく朔夜を、見返せると思って。
いつもではあり得ないほど勉強をした。
滅茶苦茶に勉強した。
それ以外の何も考えずに、ただひたすらに打ち込んだ。
でも、朔夜は遠かった。
私が知らないうちに遠いところまで行ってしまっていた。
いつもより二十点多くとっても、五教科の合計で四〇〇点をとっても。
どう頑張っても、届かなかった。
中学とはいえまだ二年だから受験に支障があるわけじゃない。
けど、私の中の予定が崩れ去った。
朔夜の志望校を聞いて、一緒に頑張ろうと思っていた。
でも、これだと、ダメだ。
二重でダメなんだ。
まず一つ。
お願いを使えないから、聞き出すことができない。
次に二つ。
これが一番の問題。
私に、力が足りない。
今のままだと、勝負できない。
万が一、向こうの志望校が分かったとしても、私がいけないんじゃ意味ない。
泣き過ぎたのか、体がふらふらする。
考えがまとまらない。
前すら見えない。
腰を下ろすと、そこは河川敷の芝生だった。
「はぁー……詰んだ」
夜想曲はサビへと入る。
涙が、止まらない。
……小さいとき、覚えたての将棋で負けた時にもこんな風に泣いたような気がする。
でも、今は違う。
泣いているのは、負けて悔しいからじゃない。
それもあるけど、それだけじゃない。
朔夜と同じ高校を目指せないという、それだけのことがものすごく怖い。
小さいときから一緒にいたから、朔夜は私にとって半身のような存在だ。
朔夜がいなくなった私は、私なのかな、とか。
朔夜が隣から消えた時、私は生きていけるのかな、とか。
そんなことばかり頭をよぎる。
私は、どうなってしまったんだろう。
相談できる人はいない。
親は深夜まで残業でなかなか帰ってこない。
昔は朔夜の家で晩御飯を一緒に食べることも少なくなかった。
中学校に入ってから、彼は忙しくなってそれどころではなくなったけれど。
朔夜と違って私に友達は多くない。
朔夜だけって言ってもあながち間違っていないほど。
部活にも入っていないから、こんなところにいるなんて誰にも分からないハズ。
でも、どこか期待している私がいる。
この寒い温度の中、朔夜が私を探しに来てくれるということを。
漫画じゃないんだから、そんな幻想はありえない。
そもそも、そんな幻想を抱くほどに私は彼のことが好きなのだろうか?
考えてみると好きでも何でもない気がする。
ただ、依存しているだけ。
じゃあ――
「私、結局何がしたいんだろ」
風が大きく吹いて目の前の落ち葉が舞う。
そうやって人に流されることが私にも出来たらいいのに。
誰かに影響を及ぼしたり、及ぼされたりするっていう関係になりたい。
ピアノのリズムが私の心を撫でていく。
……いい曲なのに、今はこの音が忌まわしい。
慰められているみたいで、嫌だ。
涙を流させるから、イヤだ。
小さい時を思い出すから、いやだ。
学校指定のセーターが風から私を守るが、それでもこの空気は冷たい。
このまま、気もしない朔夜を待ち続けても意味はない。
おとなしく、帰ろう。
「私最近おかしいな」
最近、彼のことを考えるだけで胸が痛くなる。
そこまで彼がいないと満足できないのかと、自分自身が嫌になった。
とぼとぼ――と帰路を急ぐ。
泣きはらした目は赤いだろうし、とっとと顔を洗って寝たい。
もう半分は沈んだ太陽が私を赤く濡らした。
「そこの角を、右っ」
太陽が嫌だ。
私みたいでイヤだ。
どんどんと暗くなって、どんどんと存在が消えて行って。
だから、いやだ。
日差しを見ていたくなくて、駆け足が早くなる。
真っ直ぐ行けば学校、右に行けば家。
迷わず右へ。
突然。視界が揺れた。
「いたっ!」
ぶつかったらしい。
私が、痛みを訴えた。
「いたっ!」
相手も訴えたのかと思ったが、違った。
何かを見つけたらしい。
「居た」と、そう言ったらしかった。
水分不足と衝撃でぐらぐらずきずきする頭を無理やり起こして、ぶつかってきた相手を見る。
まるで泣きはらしたかのような目の朔夜だった。
「夜奈、探したんだぞバカ!」
嘘をいっているんだと思った。
冗談の一種だと思った。
何かいい返事を返そうと朔夜の目を見ると、涙を浮かべていた。
「学校で話しかけたらいきなりどっか走っていって! それでもって帰りのホームルーム無視して学校の外出て! 担任に訴えてきたんだぞ! 『探しに行くので、早退します』って! どんだけ恥ずかしかったか、どんだけ心配したか、お前にわかるか!?」
まくし立ててきた。
でも、意味が理解できない。
というか、頭の整理が追い付かない。
「お前はそうやっていっつも! いっつも! 一人で抱え込んで! 泣いて! 俺に何も話さなくて! 心配かけさせて! 自殺してたらどうしようとか真面目に考えていたんだぞ、バカ!」
朔夜は雫を振りまいて、歯を食いしばって、怒鳴りたてた。
「分かってるか? 俺はお前なしじゃ生きられないんだよッ!」
さすがに、イラっと来た。
「嘘言わないで! 部活の友達だって多いじゃん! 私が居なくたって、代わりぐらいいくらでもいるじゃん! そうやって依存していますアピールしないで! 朔夜なしじゃ生きられないのは私だけっ!」
言ってやった。
どんな喧嘩でもどんとこいだ。
朔夜が依存している? 嘘をつけ、私ほどじゃない。
沈黙が、降りた。
「…………」
「…………」
周りが静かだからか、ぜぇぜぇと呼吸をする音が近く聞こえる。
片耳だけはめたイヤホンは延々とショパンの夜想曲をループしている。
一足早く呼吸を整えた朔夜が言った。
「お前は俺とお前が似ていること、理解していないよな」
よくわからないが、とりあえず頷いた。
「じゃあ、言うぞ。覚悟しろよ? これからの言葉は、今の俺とお前の関係、ぶっ壊すからな」
私は頷く。
「一週間前のあの日、お前からルールを聞いた。その時考えたんだよ」
「これ、勝ったらお前に勉強教えられるってな」
「あとは、お前と全く同じだ」
……っ!
耳から、イヤホンが滑り落ちた。
「朔夜なんて、大ッ嫌いッ!」
後で聞いたところによると、私はこの時、
沈んだ太陽の代わりのように、くっしゃぐしゃの笑顔を浮かべていたらしい。
後日譚
「あれ? 部活どうしたの?」
「ああ、お前に勉強教える邪魔になるからやめた」