恋にはまだ遠いようです。
短いです。
風華が寝入ったことを確認すると、晴久は名残惜しそうに持ち上げた髪の先にキスを送り、振り返った。
「……気持ち悪ぃな。顔、赤ぇぞ」
「えっ、や、そういうんじゃ」
腕で口元を隠すようにして、天は真っ赤になっていた。耳さえも、はっきりわかるくらい、赤い。じっと見つめると、目も潤んでいるようだった。
訳がわからない、といった様子の晴久と、恥ずかしいものを見たという呆れ顔の笹塚。そうして、似合わないくらい縮こまって、挙動不審の天。
「お、俺、先戻るっ!」
そう言って乱暴にドアに手をかけ、風華が寝ていることを思い出したのか、ドア自体はそっと開け、天は廊下に飛び出していった。
残された晴久は笹塚にまた後で来ると告げ、何かあれば教えてほしいと頼む。
「……お前、ほんとシスコンなのな」
「それの何が悪いんです?」
ーーー違う違う違う。
天は混乱していた。
まだ授業中のため、誰もいない廊下で立ち尽くす。俯いたままの視界は、古いタイルで埋め尽くされていた。
ーーーあんなはる、見たことない。
ーーーそれに。
ふにゃり、と笑った。晴久の声に、安心したように。
ーーー俺がおでこに触ったときは驚きしかなかったのに。
ーーー俺が……え?触れた……?
保健室でこみ上げたような熱が再び体にともる。
天は自分から女子に近づこうと思わなかった。鬱陶しいし、自分勝手だし、理想を押しつける。誰も頼んでいないのに、自分に近寄ってきた女子を別の女子が牽制する。
「あ、そーら」
「……」
「遅いから探しに来ちゃった。怪我どーう?」
「……別に平気」
「ね?このままふたりでサボっちゃう?」
するりと腕を絡ませるクラスメートを、天は軽蔑するように見下ろした。わざとなのか何なのか、胸を当ててきているような気もする。
ーーー気持ち悪。
睨んでいるのを、見つめていると勘違いしたのか、彼女は得意気に囁く。
「天ならさせてあげてもいーよ?」
ーーー馬鹿か。
耐えきれないといったように、天は乱暴に腕を引き抜いた。小さく「きゃっ」と声が聞こえたが、知ったことではない。
「な、何よぉ」
着崩した制服はお洒落なのかもしれない。だけど天には色っぽいとかでなく、ただ、気持ちが悪くて、馬鹿っぽいものにしか見えなかった。
「……ついてくんな」
低い低い声を出すと、彼女はようやく自分が拒否されていることに気づいたのか、顔をこわばらせた。
ーーーやっぱ、女ってどうしようもない。
天はクラスメートを置き去りにして、その場から立ち去った。
ーーー違う。
ーーーはるの妹は……ふにゃって。
晴久としゃべったのは久しぶりだ。それはもちろん嬉しかった。だけどそれ以上に。
ーーーふにゃって、笑ったんだ。
風華が晴久に見せた笑顔が、天の頭に刷り込まれて。
手に残る熱が、じんわりと移ったように、天は赤い顔のまま歩き続けた。
まだ恋の始まりにもなってないかも……。