怖い思いは当たり前ですがしたくないのです。
一方、図書室に着いた風華は、司書の先生から新刊のカバー貼りを頼まれ、カウンターで作業をしていた。
自習席にちらほらと3年生らしき生徒が数人いる以外、静かなものだった。テスト前でもないので、席の奪い合いなどは起こらない。
風華は地味で目立たない作業が好きだ。
コツコツと、少しずつ終わりに近づく。没頭できる作業だとなおいい。……周りのことを、気にしなくて済む。
昨日が入荷日だったせいか、積み上げられた本は多かったけれど、徐々に減っていく様は、なんというか、達成感があった。
カバー貼りも残り数冊になったところで、カウンターに影ができる。なんとなく嫌な空気に、風華は下を向いたまま顔をしかめた。
ーーー気づきたくない。
ーーーでも、何にも言われない。どうしよう……?
作業を続けていた手元があやふやになる。言葉は何も落ちてこなかったけれど、視線だけは感じていた。
「……お、お待たせ、しました。……貸出、でしょうか……?」
恐る恐る視線をあげると、風華は体が固まるのを感じた。
ーーーひっ。
学校にいる全員を知っているわけではない。そんなの多すぎて無理だ。でも、風華は知っている。これはーーー自分を嫌っている人の目だと。
風華は、視線に敏感だ。そうして、自意識過剰かもしれないレベルで、マイナス方向に意識が働く。
小さい頃から、2つ上の兄と比べ続け、蔑んだり、憐れんだりといった視線を多く受けてきた。
テストでいい成績を出しても。
「兄があれだけできるのだから当然だな」
ーーーパリン。
クラスメートが家に来たいと言って遊びに来ても。
「お兄さんいないの?じゃあ今日はいいや。帰るね」
ーーーパリン。
苦手な体育の授業でも。
「本当にあの人の妹なのかよ」
ーーーパリン。
薄い殻が、どんどん割れていく。
風華は風華で、他のものにはなれなくて。傍で守ってくれる兄や、無理しなくていいと頭を撫でてくれる父が大好きだったけれど、それだけでは立ち行かなくて。母も風華の頑張りを認めているけれど、性格なのか、ただ単に優しくすることは出来なくて。
どんどんどんどん、わからなくなっていった。
どうしたらいいのか、どうすべきなのか。
そんな思考は、風華の心と体を縛って、更に周りに馴染めなくしていった。
兄はそんな風華の様子を見て、自分が原因だと思った。だからこそ、必要以上に風華を案じた。同じ中学にいたときは、目に見える形で、風華を守ってくれた。それが卒業後に、風華を更に孤立させるとは思わずに。
兄が卒業した後、好奇と、憐れみと、憎しみの視線で、風華は顔をあげることが怖くなった。
「あ、あの……」
「アンタよね?!昼に晴久と抱き合ってたの!」
「しかも宏和と天にも構われて!1年が何様よ!」
小さく、小さく風華は体を縮ませた。恐らく3年生。複数で視界を遮られてしまうと、怖くて怖くて……風華は声が出せなかった。
図書室という場所柄もあり、何事かと他の生徒がざわめき出す。
「何とか言いなさいよ」
「その口は飾りなの?!」
「っ……」
ーーー怖い。
ーーー助けて。
ーーー私が、悪いの……?
意識が揺らぐ。視界が揺れる。
「釣り合ってないことくらい、わかるでしょ?!」
ーーーそんなの、言われるまでもなく、知っている。
「あなたたち、ここがどこかわかってるの?」
後ろから聞こえてきた声は、風華ではなく、その前にいる3年生に向けられていた。咎める色を含んだ、大人の声。
「ーーーっ、先、生」
「図書室では静かにするのがマナーでしょう?ましてや、下級生を取り囲むなんて、何を考えているの?」
そう司書である真壁が言うと、風華に詰め寄っていた3年生はばつの悪そうな顔をした。
「高山さん、それはもういいから、裏で貸出カードの整理してくれるかしら?」
「……っ、はい」
ここから離れる許可が出たのに、3年生のひとりが真壁の言葉に反応した。
「ーーー高、山?」
え、まさか。そんな。でも。
そんな言葉が続く。
真壁は大袈裟にため息をつくと、
「もちろん知っていると思いますが。彼女には3年生にお兄さんがいます。妹が兄に会いに行くのに、他人の許可が必要なのかしら?」
と3年生を見返した。
これに驚いたのは、その3年生のほうだった。更に風華に詰め寄り、大きな声をあげる。
「そんなの、知らない!」
「晴久に妹がいるなんて、聞いてない!」
「アンタ、この事晴久に言うの?!」
肩を掴まれ、揺さぶられる。
ーーー嫌。
「晴久の妹だから、宏和とも知り合いなわけ?!」
ーーーさわらないで。
「天は?それも晴久繋がり?!」
ーーー知らない……!
ーーーもう、放っておいて。
「あなたたちっ……って、た、高山さん?!」
風華は耐えられなかった。知らない3年生に詰め寄られるのも、周りから好奇と迷惑の視線を向けられることも。
だから。
意識だけでも、ここから逃げ出した。
全然話が進んでる気がしない……
小さなものの積み重ねは、大きなひとつの原因よりも厄介かなと思います。