第一章 1
「……」
帝国府内の広大な容積を誇る中央格納庫へ、戦いに赴いた者たちが帰還したのを知らせる声が拡声器から聞こえた。しかしそれでも操作装置の詰った操士殻の中心にいるリュウガは身じろぎひとつ見せなかった。
「……」
彼女が座る操縦席の隣に補助席のような物を出して座っていたリュウナも、やはり言葉無くその放送を聞いていた。
他の機械神が決戦に赴く時、この黒き龍焔の操士であるリュウガも同じように操士殻に入り、いつでも出撃できるように準備をした。しかし最後のこの局面になっても、自分はこの機体に積まれた炉を起動させることができなかった。
妹のリュウナは、本来は正規の機械神操士ではないのだが、姉と同じ能力を持つ者の一人としてこの場にいる。二人一緒にいればなんとか共鳴反応でも起こって秘められた力が発動するのではないかと願って彼女も乗っていた。
そして黒き龍焔が出撃することになったら一目散にこの操士殻を出て発進準備の邪魔にならないようにと、いつでも飛び出せる気持ちも作っておいたが、結局その機会は訪れなかった。
「……どれだけの人が帰って来れたんでしょうね」
黙していたリュウガが、喋るのを思いついたようにぽつりと言った。
出撃した機械神は12機。いったいどれだけの人間が帰って来れたのだろう。
「……わたし、そろそろ戻らなきゃ」
リュウナが思いついたようにそう言いながら立ち上がる。
自分は機械神の操作能力が無いので、現在おかれた状況の中では非戦闘員と殆ど変わらない。帰還作業の邪魔にならない場所で待機しなければ。
「……ねぇ、おねえちゃん」
座っていた補助席のような物をたたみ操士殻の外に出ると、リュウナはそこで振り向いた。
「うん?」
操作席に座った姿勢を崩さないままリュウガがそちらに顔だけ向けて答える。
「もし……この世界が今日で終わらなくて、まだ明日の先も続くんだったら」
「うん……」
「ふたりでどこか静かなところで一緒に暮らしたいね」
泣いているのか笑っているのか、どちらとも取れない儚い表情でリュウナが言った。
二人の姉妹が一緒に暮らす。
そんな当たり前のように手に入れられる筈の夢が、今のこの世界では絶望的な願い。
「……うん」
それは小さな願い事。でも叶えたいと願う大きな想い。だからリュウガも精一杯の微笑で、その望みを自分も叶えたいと答えた。
「じゃあ行くね」
「うん」
リュウナはそう言い残し下へと降りていく。
リュウガは小さな背中をいつまでも見送る。
「……」
世界の終わりまでもう半日を切っている。
その先には、何があるのか?
「結局帰って来れたのはこれだけか」
アリシアが全員を見回して言う。
回収され何とか帰還できた全員が格納庫に集まり顔を合わせた。
帰って来れたのは十弐號機のアリシア、伍號機のミカとリカルト、そして八號機のヨーコ。
しかし八號機のヨーコはもう既に頭部内の操士殻(操縦席の意)から出れなくなっていた。だから生身のまま帰って来れた三人は、格納庫内に置かれた八號機の頭部の前に集っている。
凄まじい激戦だった。予想はされた激戦だったが、その予想をはるかに上回る激しさだった。
他の機体は、操士が脱出することもままならず、引き千切った破壊神の一部共々異世界へと消えていった。
ミカとリカルト、そしてヨーコがそんな中帰って来れたのは、たまたまアリシアの側にいただけだからだ。
機械神の操作に関しても類い稀なる才覚をみせるアリシアは、最後の攻防でも寸前で自分の乗機を踏み止ませることができた。そして、それでできた一瞬の時間を使って近くにいた八號機と半身に分かれていた伍號機の頭部を掴んでもぎ取り、自身の機体の頭部も離脱して、なんとか機体ごと異世界に飲み込まれるのは防いだ。
その後は救助にやって来た機械使徒に回収されようやく戻ってきたのだった。
『せっかく助けてもらったのにもう出れなくなってるなんて、ごめんねアリシア』
八號機の頭部に設けられた外部拡声器からヨーコの声が聞こえてきた。
機械神の乗り手は、その機械神が内包する特性から、最後の戦いの前から彼女のように機体から出れなくなってしまった操士も何人かいた。操士の肉体が意思とは関係なく外界に出るのを拒むのだという。そして無理やり出してしまったら精神障害が起こると予想されたので、そのままで対応された。
破壊神――終わりの鐘を鳴らす者を倒すために作られた十二機の機械仕掛けの神。
それは、機械神自体が一つの世界。人の形をした世界が動いている。それだけの力を内包している。
操士はそれだけの存在である機械神を動かす乗り手。だからその大いなる存在に取り込まれて、それを動かすための部品の一つとなってしまうのも、前から恐れられていた事態。
そのような状態になっても、最後の戦いが終わったあとに頭部を解体して操士殻から操士を取り出せば、一応は元の状態に戻せるとは言われていたが、今はもうそれをしている余裕はない。
そして、そうまでして作られた機械神がエンドベルを倒すために考案された方法は、存外にイカれた方法だった。
この現世界ではほぼ無限に近い再生回復力を断ち切るために、相手の体を十二機の機械神が掴んで引き千切り、それを異世界へと飛ばす。
街中に立つ鐘楼を超える機械神の巨体の中には、それを達成させるためのあらゆる装置や機器が詰め込まれた結果、それ自体が一つの世界とまで言えるような存在となってしまった。もはや人の手で作り出した決戦の為の武具が、この世界の理を壊すかもしれない危険なものとなってしまっていた。
そしてそれだけの危険な存在をぶつけなければ、相手も倒れないのも分かっていた。
機械神を操る操士には、機体がエンドベルの欠片ごと異世界に飲み込まれる寸前に、操士殻のある頭部を切り離して脱出する機構もあったのだが、それができたのはアリシアのみだった。ミカもリカルトもヨーコも飲み込まれる寸前にアリシアに助けられただけだ。
「戦力としてまだ使えるから助けたまでよ。まだエンドベルはこの世界に残ってる」
機械音声となって増幅されて流れてきたヨーコの言葉にアリシアがそう答える。
エンドベルの体はまだ残っている。
頭部とそこからぶら下がる脊髄のようなものだけになっているが、まだ残っている。
他の体の部位が無くなってしまったので力は減少している。そしてこことは違う物理法則の異世界へ他の部位は追いやったので、残った体も回復の兆しは見られない。
しかして頭と少しの残骸だけとはいえ、まだまだ強い力を残している。
だから、やるなら今しかない。追撃をかけるなら今しかない。
残された戦力。生き残ったこの四人と同時に回収されたものと、その回収に来てくれた機械使徒が一機。
機械使徒とはエンドベルが繰り出す土塊の巨人を掃討し、機械神の進軍を補佐するために作られた量産型の機械神とも言えるもので72機作られた。戦闘に特化しているので機械神のように複雑な機構を内蔵する必要は無く、その分攻撃力だけは機械神に匹敵するものも何機かある。回収機に関しては、エンドベルの近くに行かなければならない都合上、最強の一体の内の一つが回収用として残されていた。
『そう言ってもらえるだけありがたいよアリシア。でもあと一機ぐらいは……帰ってきて欲しかったね』
八號機から悲しげな音階の声が聞こえてくる。
一応機械神本体が異世界に引き裂いたエンドベルの部位ごと転移する直前に、操士殻のある頭部を切り離して脱出できる設計とはなっていたが、その本来の機能を使えたのはここにいる者だけだ。
しかもアリシア以外の三人は、アリシアが近くにいて、彼女がエンドベルの猛攻をなんとか凌いでいたからこそ頭部の切り離しに成功したのであって、離れた場所で単体でいたならば他の機体と同じ運命となっていただろう。
他の者たちは転移する直前に既に操士殻の中で死んでいたのかもしれない。
殆どの機械神操士が帰還など考えていなかったが、それでもあまりにも惨憺たる結果だった。
「……これが、終鐘戦役の、結末なの?」
今まで黙っていたミカが口を開いた。自分もアリシアと同じ貴重な生身のまま生き残った一人なのだが、その惨すぎる結果に今まで喋れないでいた。
「後の歴史がこれから先もあるんだったら、そう記録されるだろうね」
同じように黙っていたリカルトも姉が喋ったのに呼応するように喋り始めた。伍號機は何故か二人乗りなので双子の彼らが操士として一緒の機体に乗り込んでいた。
終鐘戦役。機械神を建造しその乗り手を見出し、そして破壊神、終わりの鐘を鳴らす者の体を引き千切り全てを終わらせる。その一連の戦闘に名づけられていた名前だが、今となってはそれを語り継げる者がこの先いるかどうか分からなくなって来た。
他の操士は結局引き千切ったエンドベルの欠片と共に、どことも知れない異世界に、乗っていた機械神ごと行ってしまった。
エンドベルを引き千切る方法は、その仲介となる機械神をこちらの世界と異世界に半ば同時に存在させることにより可能となる。それは機械神そのものが単体で独立した世界であるから可能なこと。
そこまで壮絶な覚悟を持って臨んだ戦い。
もし後の歴史があるのであれば終鐘戦役と呼ばれたであろうその戦いは、そんな結果で終わった。
「お帰りなさいっス」
沈鬱な雰囲気に包まれた四人に、場違いともいえる程の明るい声の挨拶が響いた。
「アンタの存在は本当に煩わしいけど、こういう時でも全然変わらないのは正直助かるわウォルテ」
彼女の存在にアリシアもホッとする気持ちはあるのだがイラついた表情は隠さない。
ウォルテと呼ばれた彼女。
どこにでも入り込め、そしてそれを誰にも咎められない。機械神を収める格納庫という世界最高位の重要施設でもそれは変わらない。普通の人間は彼女のことをまるで水や空気のように認識する。どこにでもある、必要だけど普段は気にしないなにか。
機械神の乗り手である機械神操士はまず彼女のことを異の存在として認識できるかどうかから始まるという。ここにいる四人の操士は中から出れないヨーコも含め、ウォルテのことを一つの個体・個人として認識できている。
まるで彼女は宮廷道化師のようでもあり、監視者のようでもあるが、それ以上の存在であろうとは、彼女を認識できた者は知る。機械神というこの世の理を捻じ曲げるものすら作り上げた人類でも、まだ分からない謎の一つ。
「今さらだと思うけど、アンタは加勢してくれないのよね」
機械神操士のような強い力を持つ能力者にしか認識されない異の存在。その認識されないという力があるのならば、それに類する破壊の力も有しているのではないのかと、アリシアは以前から思っていた。それこそ機械神と同等かそれ以上のものを。
「わたしは水みたいなものっスからね。水はいつでもただそこにあるだけっス」
しかしウォルテは自分はただの道化師であるとうそぶく。
「でも水は、時には人を殺すわ。人だけじゃない、大量の水はあらゆるものを飲み込み全てを壊す」
しかしその答えでは満足できないのかアリシアが鎌をかけるように言う。
「人を溺れさせる量の水に近づかなければいいだけのことっス。飲み水として少しだけあれば悪さはしないっスよ水は」
自分は小さな存在だから、普通の水と同じように悪さはしないしできない。まるで自分のことを言っているような口ぶりにアリシアには聞こえた。
「でもね、この星の元々の支配者は海……つまり水よ」
生命の宿る星であるならば、その地表の五割以上は水――海で覆われている。そしてその海・水がその星の真の支配者であるのは、いついかなる時に生まれ出でた生命のある星であっても、変わらない事実だろう。
「まぁ戦うための戦力が欲しいのなら、まだあるじゃないっスか、とっておきのものが」
しかしウォルテは、自分のことを追加戦力として欲しているらしいアリシアに、それ以上の交渉は無駄と言わんばかりに代替案を唱えた。
「とっておき……ねぇ」
それはアリシアもここへ帰ってきた直後から考えていたことだし、出撃する前からも考えていたことだ。他に生還できた三人だって同じことを考えている。
「……」
機械神を収めておくために、水上駆逐艦を縦にしたくらいの高さを誇る天井の格納庫。全員の視線がその奥へと向けられた。
この格納庫の最奥にそれはいる。
それは存在しないはずの機体。建造当初から、完成直後から、その存在を抹消されている存在。忘却舞台。
人の作りし名も無きもの――アーティフィシャルアノニマス。
それは黒き龍焔と名付けられた十三番目の機械神。
「リュウガは?」
「十参號機の操士殻に乗ったままっス」
アリシアの問いにウォルテはありのままを答えた。
「そう」
アリシアは淡白に一言そう告げると、格納庫の奥へと歩き出した。
「これからどうするのアリシア」
不意に断りもなしに離れて行こうとするアリシアに、ミカが問いかけた。
「どうする?」
ミカの問いかけに、今さら何を言うんだといった顔でアリシアが聞き返す。
「十三月一日はまだ終わってない。今日が終わるその時まで、最後まであがくだけよ」
アリシアはそう言うと、話しかけられたのが煩わしそうに、嫌なものを振り払うように再び歩き出した。
「今日を逃せばあと四百年は待たなければならないし、それだけ待たなくとも、明日にはこの世界は終わってる」




