小話11 世界は広く、商売のタネは尽きない。アトロパテよ、感謝します。 1
ヴェニスの商人(笑)、アロイスさん視点でお送りします。
ああそうだ。
たしかにこの家は俺が大伯父から譲り受けて、色々手を加え、いまや馴染みの女のごとく肌にあうようになった家で、断じて彼女の家ではない。
アロイス・クリプキウスは、扉をノックしようとしてあげた手をいったん下し、今朝も通った廊下の窓や壁にかけた風景画を見まわし、小さく頷いた。
別に誰かに説明しているわけではない。
モデルルームとして利用していた以前ならともかく、事務所兼自宅として利用しているいま、この家を訪れるのは、代理人の中でも特に付き合いの長い数人と、通いのメイド、そして家族くらいであり、現にいま彼はひとりなのだから。
しかし早朝から仕事で留守にしていたので、客人のご機嫌伺いでもするかと部屋をまず訪れ、不在のようだったのでぜひ使いたいと言っていた自慢の図書室にきてみれば、予想どおりいたのはいいのだが。
まるで長年住み慣れた自宅のように寛いでいる彼女の様子に、らしくもなく戸惑いを覚えて、思わず確認してしまったのだ。
そうだ、問題ない。ここは自分の家だ。
彼女―――コシタニ・ユタカは友人の紹介で訪れた客人であり、その傍らで恭しく給仕をしながらも、一瞬だけだが主の邪魔をするなとでもいう風に、こちらの腹の底が冷えるような銀色の瞳を向けてきた執事の……セバスチャンといったか? がいたとしても、家主なのだから声をかけるのは何の問題もないはずだ。
アロイスは、商人として常に心掛けているように、事に当たる前に冷静に現状を確認した後。
無意識に、金色がまじったブラウンの豊かな髪をかきあげ、図書室で寛ぐ客人におとないを告げるため、扉をノックして声をかけた。
「…すまない。ちょっとお邪魔しても、いいかな?」
しかしその声は、取引先からこぞって豪放磊落、豪胆などと評される彼にしては珍しく、遠慮がちで抑えたものであった。
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「うむ……。さっきのトルテも絶品だったが、このサブレとやらも美味いな……。どうだろう、ユタカ。このレシピも」
「あ、はいもういいです。お好きなだけ商品群に加えてください」
当初の遠慮はどこへやら。有益な商機に巡り合うことができたアロイスは、表面上は穏やかな笑顔を浮かべつつ、内心小躍りしたくなるほど浮かれながら、執事が絶妙なタイミングで追加してくれる珍しい菓子と馥郁たる香りの珈琲を堪能していた。
「しかし本当に、あのマージンでいいのか? この菓子たちなら、連合王国一の食通と自他共に認める第3王女殿下もきっと気に入るから……気に入らせてみせるから、値段を少々吊り上げても爆発的に売れる。そして売れれば当然君たちへのバックも大きくなるわけで」
商人には多少の駆け引きやハッタリは必須だが、嘘やだましはできるだけ避ける。
それは、自分に商売のイロハを叩きこんでくれた大伯父の口癖であり、自分の指針ともなっている。
ましてやユタカは友人の友人なのだ。名を呼ぶ許可ももらい、これからも良好な関係を築いていきたいと思える相手には、誠実でいきたい。
そう思って再度提案したアロイスだったが、
「あ、はい。ここには旅行を楽しみに来たんであって、商売しに来たわけではないんで。旅を続けるので、アロイスさんにお渡しするのはレシピだけですから、妥当な金額だと思いますよ?
それに、お菓子のレシピはうちの可愛いメイドさん達のものですし、珈琲のブレンドはセバスチャンのものですから。彼がいいというならそれでいいです。ね、セバスチャン」
珈琲からハーブティーに飲み物をかえて、上機嫌で味わっていた客人に、振り払うようにして断られた。
ちなみにそのハーブティーも味を確認したあと、配合を入手済みである。すでに3杯目をもらっている珈琲と違い、こちらはシトリンの酸味がさわやかなサブレという名の焼き菓子と、実によく合う。
「すべては優様のお心のままに」
主がそうなら、呼びかけられた執事も、恭しく腰を屈めて微笑みながら、同意している。
「なんとも欲のないことだ」
「そうですかね? わたしは十分、欲深な人間だと思いますけど」
そう言ってほのかに笑いながらそう答えるユタカに微笑を返しつつ、アロイスはあらためてこの客人を観察することにした。
もちろん、その傍らに端然と立つ執事殿に睨まれない程度に。
客人は、29歳に「ようやくなった」とのことだが、我が国、カルプニア連合王国やサカスタン皇国の人間と比較すれば、5、6歳は若く見える。
化粧っけのないその肌をみれば、20歳そこそこと言っても通用するだろう。
仕事はサカモト達と同じく、魔獣討伐だという。
自分はせいぜい生活魔術を操る程度の魔力しか持ち合わせていないが、小柄で華奢とすら言える身体つきにも関わらずその仕事につき、かつ五体満足で見る限りなんの傷も負っていないのだから、相当の魔力量と魔導適性を持ち合わせているのだろう。
出身国が同じだと言っている通り、サカモトやダイバに似た目の色と髪の色を持っている。サカスタン皇国やわが国でもよく見られる、黒に近い茶色だ。
肌の色は、象牙色とでも言えばいいか。貴族は別として、皇国も我が国も浅黒い肌の者が多いから、そこは目立つな。
そう言えばサカモトはどれだけ仕事で陽を浴びようと赤くなるだけで、すぐ白くなると嘆いていたが……彼女もそうなのだろうか。
顔立ちも、サカモトやダイバと同じく、2カ国の平均的容貌に比べれば、あっさりしている。
大伯父に鞄持ちとして着き従っていた頃より、ずいぶんいろんな国に行き、また商売をしているつもりだが、彼らのような顔立ちの民には会ったことがなかったから、出会った当初はずいぶん興味をひかれ、しつこく質問したものだ。
なんでも極東にある島国で、その国の民のほとんどと近隣の国は、彼らのような容貌を持っているそうだ。
まぁ自分は人類学者ではなく一介の商人なので、本当に知りたいのは彼らの民族や文化についてではなく、その知識についてであったので、サカモトの少々歯切れの悪い説明をあまり突っ込みはしなかった。
なにせ彼らには恩がある。
そもそも出逢った当初に小型の魔獣に襲われかけてたのを、助けてもらったのだから。さらに、「受けた恩は倍返し」の家訓に忠実に御礼を申し出たのだが、仕事をしたまでだと、断られてしまった。
………そうか。
そう考えると、サカモトやユタカの国は、謙虚を美徳とするのかもしれない。魔獣討伐は危険な仕事であり、退治できるほどの能力を保持した騎士や魔術師魔導師は、強力な騎士団魔導団を持つ皇国でも希少だったはずである。
つまり、魔導団ではなく、貴族に雇われていると言っていたが、それでも報酬はかなり良いはずだ。
にも拘らず、サカモトやダイバは常に簡素な服装でいたし、汚れたり破れたりすることの多い仕事中のみの事かと思っていたが、何度か邪魔した家も、質素とまでは言わないが華美なものではなかった。
ふむ……。やはり彼らは興味深い。
サンプルは3つと多くはないが、簡素な服装を好み、落ち着いた言動に、無私とは言わないが、謙虚な対応という点は共通しているように思う。
サカモトは他の二人に比べれば損得に関して自分に似通ったところがあるようだが、それでも見たことも聴いたこともない知識を持ち、それを惜しげもなく提供してくれることを考えれば、十分謙虚というか、お人好と言えよう。
例えば、だ。ダイバやサカモトのおかげで、我が家はずっと住みよくなり、新たな商機をもたらしてくれた。
大伯父から譲り受けた当初、この家は王国の他の家屋と同様に、窓と言えば夏の強い日差しを遮るため細いすき間のようなものだけ。タペストリーや壺などをごたごたと飾った室内は、昼でも薄暗く、夜に仕事をしようと思えば大量の蝋燭か魔灯が必要であった。
が、今では「断熱効果のある」ガラスをふんだんに使った広く大きな窓のある、風通しの良い快適な家に変貌をとげている。
今までもガラスがなかったわけではないが、サカモトが考案作成したその二重構造のものとは比較しようもなく、特許を取得の上、専売している。もちろんサカモトにマージンを支払っている。
他にも、台所や水回りなどのアイディアを次々にくれ、そのノウハウをいかして裕福な商人(一部貴族)相手に注文住宅も商っている。そう言う点でも、彼らから受けた恩は現在進行形で増え続けていると言えよう。
だから、魔獣討伐から引退したダイバが、王族貴族以外は商人がするだけの旅を専門に扱う商社を立ち上げると言ったとき、喜んで協力を申し入れたのである。そして、しばらくはモデルルームとして利用していたがこの家も宿のひとつとして提供し、改装や改築、新築販売を請け負った商人達にも紹介してきたのだ。
いま目の前で呑気に笑いながらお茶を楽しんでいる客人、ユタカには当初、サカモト曰くの「ハッタリのきく」モデルルーム用の邸宅か仲間の家を紹介するつもりだったのだが……。
勘が、働いた。面白いことになるかもという。
もう70代の大叔父はいまだ商人としても男としても現役だが、常々ここぞと言うときは自分の勘を信じろと言っている。そうすれば、たとえ失敗したとしても後悔だけはしないからだそうだが、自分も心の底から共感を覚える。
だから、我が家に招いた。結果、大きな商機に巡り合い、大満足している。過去幾たびも自分を助けてくれた勘は、今回も当たっていたわけだ。
アロイスさん視点の小話、もう一話続きます。明日の朝に予約投稿済みです。




