046 ヴェニスの商人がいました。
ぶらり異世界漫遊紀の、はじまり、はじまり~。
「……カルプニア、連合王国、ねぇ………」
首都は、内海オクサファ沿岸部に位置する、難攻不落とされる三重の城壁に守られたアトロパテネ。
皇国とは長年の同盟関係にあるが、隣国ゆえとっても仲が悪い。
歴史はサカスタンより古く、神話時代を含めると1300年程度。
国力は、はっきり言ってしまえばゆるやかな衰退期にさしかかっているが、かつての大国としてのプライドと周辺国のどこよりも古い歴史と文化に縋り、「自然な」差別主義者が多い。
王族の中には軍事力といまでは経済力でも負けるサカスタン皇国皇帝に対しても、密かに、ときには大っぴらに「成り上がり者」「辺境の羊飼いの末裔」と見下している者もいる。
「連合」の名のとおり、大小3つの島と2つの自治区を内包し、直系で続いているわけではないが、血を継承する一族が支配する王国である。
故に、後継者問題でしばしばお家騒動をおこし、内戦になりかけることもあり、その場合にはサカスタン皇国皇帝に調停を求めることも多々ある。
幸いにして現在の王の治世は10年以上続いており、王自身も「健全な」常識人であり健康にも特に問題がないため、今後しばらくは皇国との関係も現状維持ができると思われる。
なお、国教は特に定めていないが、王族を含めた国民のほとんどが、唯一神であるアトロパテを信仰している。
「後継者問題で内紛だの、一神教に選民思想だの、も~どっかで聞いたこと読んだことのあるお話ばかりで、笑いがでてくるんだけど」
読んでいたコ○ヨ謹製、500枚298円なりの再生紙に印刷した、マル秘セバスチャン検索の旅の資料を、丸テーブルの上にペッと放って、わたしは思わず呟いてしまった。
「つまりは、『日の下に新しきものなし』ってことかな? セバスチャン」
複雑な蔦模様が織り込まれた、ビロードの様な手触りの布を贅沢にはったソファに。カーゴパンツをはいているのをいい事に、お行儀悪く足を座面にあげて座りこみ、横に立つセバスチャンを見上げると。
今日も素敵さセバスチャン、その指の先まできっちりと揃えられた手に惚れちゃう憧れるぅ! の素敵執事様は、わたしが放った紙を真っ白な手袋をはめた片手ですばやく整えると、テーブルの隅に置き、もう片方の手でバランスよくもっていた銀のトレイから、冷めないようにキルティングのカバーをかけた白い磁器のポットと御揃いの珈琲カップを取り上げ、セットしてくれていた。
「…そう言っていたのは、英国の文豪でしたか。時代どころか世界を越えようとも通用するあたり、中々真理をついた言葉だと存じます」
「うんうん。『ヴェニスの商人』や『ジュリアス・シーザー』に関しては脚色しすぎと思うけど、さすが文豪、うまいよね」
「左様でございますね」
はぅっ! 図書室の細い窓から差し込む午後の陽に、溶け込むようなその微笑み! わたくしとても、直視できません。
「優様。読書も結構でございますが、そろそろ一休みなさいませんか」
主人に回復不能なダメージを与えている(いやわたしが一人で萌えてるだけなんですが)とは思ってもみないだろう麗しの執事様は、穏やかな笑顔のまま、美しい所作で珈琲をすすめてくれる。
「あ~そう言えば、ちょっと肩こったかも」
起きてすぐ、スキップしながらこの図書室に突撃し、欲望のおもむくままに壁を埋め尽くす棚から抜き取った分厚い本たちを、抜き出しちゃぁ貪り読むうち、何時間たったのだろう?
答えながら組んだ手を上にあげて伸びをすれば、背骨あたりからバキッと音がした。ついでにお腹からは、グゥだかクゥだかの間抜けな音も。
「…うん。お腹もすいてるみたいだし、休憩するよ」
素直に頷けば、ご褒美のにっこり笑顔。目が~目が~……! でございます。
根性で表にはださないけどね。だって、ご主人様だもん。
脚をきちんと揃えてテーブルに向き直ると、珈琲カップの横に、縁に青い小花模様の描かれた小皿に盛られたパイのようなものが、ふたつ。
「おぉ! イチジクパイだ~。これは…チーズにミンチ肉を挟んであるのかな?」
「こちらでは別の名でよばれておりますが、左様でございます。他にも優様のお好きそうなものを、今朝市場で仕入れてまいりました」
「さすがセバスチャン。愛してるよ~」
部屋いっぱいの読み切れないほどの本に、美味しい珈琲にうまうまおやつ。給仕してくれるのは、素敵すぎる銀色の執事様。
あぁこんなに幸せでいいのでしょうか皆様………?
「…すまない。ちょっとお邪魔しても、いいかな?」
フォークを刺すたび、さくさくとなんとも軽快な音がするパイに舌鼓を打っていたらば、ノックとともに入口の方から、遠慮がちに声をかけられた。
「あれ、クリプキウスさんおはよう……あ、こんにちは、ですかね。今の時間なら。ご自宅なんですから遠慮なくお入りください。っていうよりわたしこそ、遠慮しなきゃだめですね」
「あぁ、いや。それは別に構わない。招待したのは俺だし、好きに使ってくれと言っていたから」
戸口にもたれかかるように立っていたのは、この家の主、アロイス・クリプキウスさん。
肩までの、ところどころ金色がまじったブラウンの豊かな髪をオールバックにした、広い肩と長い脚を持つ、中々の男前さんです。発達した眼窩上隆起と、眉の間から真っすぐ伸びた高い鼻に、平たい顔族としては言いようのないジェラシーを覚えますね!
鼻梁と目の高低差が、わたしの親指分はあるんじゃないかっていう彫りの深さといい、きっと香油かなにかでおさえてるんだろうにウェーブがかかった髪と言い、異世界的感覚で言えば、北の血が混ざってるのかな。
目の色も青みがかったグレイだし。
あ、ちなみに。
この家に来る前に寄った食堂の女将さんとか街ゆく人は、サカスタン皇国でよく見る、黒に近いこげ茶色の髪や目の色の人が多かったです。髪のくりんくりんしたところや体格から考えると、ギリシアに似てるかな?
で、国の形態や歴史、お家騒動(笑)なんてのを読むと、どうしてもビザンチィン帝国を思い出してしまう、と。
「お言葉に甘えて、さっそく朝から図書室に入り浸らせて頂いています」
「……そうか。商談で旅する傍らほうぼうから集めてきた蔵書だから、気に入って頂いたようなら何よりだ」
部屋を埋め尽くす本たちを見まわしながら、そうやって片頬だけあげて笑うクリプキウスさんは、自己紹介時に「しがない雇われ行商人」なんて自虐ネタをかましておられましたが、どうしてどうして。
立派な果樹を数本植えられる庭つきの、わたしが泊まらせてもらっている客間にセバスチャンが泊まる次の間、食堂、そしてこの図書室にまできちんとガラス窓の入った一戸建ての持ち主で。
たとえ賃貸だったとしてもそれを首都の都市部に持てているのだから、しかも外見からみれば多く見積もっても40代前半でということを加味すれば、行商人というよりは貿易商とお呼びすべきでは。
「はい! 素晴らしい蔵書の数々です。サカスタンの皇国立図書館でもお目にかからないような本もありますね。特に各国の民話や伝説の類を集めたものが、興味深いです」
3日前にお会いしたばかりですが、貴方とはお友達になれそうですよ、クリプキウスさん。
「あ。クリプキウスさんもよければ、ご一緒にいかがですか? セバスチャンの淹れてくれる珈琲は世界一ですよ。もちろんお紅茶も」
家の主が突っ立ったままなのもどうかと思ったので、丸テーブルを挟んで置かれているもう一つの椅子を進めつつ、誘ってみた。
それにほら、人との距離を縮めるには、一緒に何かを食うのが一番というのが、わたしの持論ですから。ほんとは酒が一番ですが、ま、昼間ですしね。
と言うよりも酒なら会ったその日に、これまたギリシャでよく飲んだ白濁酒とよく似たものを、一緒に呑みましたしね。
「ユタカ、さん。一昨日言ったように、俺のことはアロイスと呼んで欲しい。家族名は呼びにくいだろうし、サカモトやダイバからも、そう呼んでもらっているから」
「特に呼びにくくありませんが、それならば御言葉に甘えて、アロイスさん。わたしのことは呼び捨てでお願いします」
クライアント様であるルーカスさんや、仕事および異世界での先輩である阪本先輩は敬称付きでいく必要がありますが、貴方とはできれば「お友達」程度にはなりたいなと。
ほら、今後の旅行の足掛かりとしても、ね?
少々打算的で申し訳ありませんが、ね?
「……承知した。それではユタカ。旨そうな香りのその珈琲、ご相伴にあずかろう」
よっしゃ、大人の男友達ゲット~~~!
は、まぁ冗談として。たぶん癖なのだろう、うっすら立て皺のはいった右頬のみをあげて笑うアロイスさんの笑顔は、眼福でございます。
はふぅセバスチャンもいるし、両手に華だよお前さん。こいつは……あ、いまは盛夏か。とにかく縁起がいいなぁ。
「―――ふむ」
目配せするまでもなく素敵執事さんが用意してくれた珈琲カップを取り上げ、高い鼻の下で燻らせるようにカップを揺らした後、一口。すぐにもう一口飲んだ後、アロイスさんはゆっくり瞬きして小さく微笑んだ。
「サカモトに何度か飲ませてもらったことのあるものとは、また違った味わいと香りがする。しかし美味い。癖になる、罪な味だ」
っか―――っ。この人ってば姿だけじゃなく、声まで中々よろしいのですよ、奥さま。
うちのセバスチャンやハッスナー隊長ほど低くはないけれど、ベルベットボイスって言うんですか? いやなんかね、睦言を囁くのにぴったりな声と言うか。
きっと行く先々でお姐さん達を虜にしているんだろうな~~~なんて邪推したくなる、良いお声です。商談にもきっと最適。この声で値段交渉されればふらふらサインしそう。いや、わたしはしないけどね。
「気に入っていただけたのなら、何よりです。うちのセバスチャンの、特別ブレンドなんですよ」
「そうか。ありがとう執事殿」
内心の悶絶をこちらでも綺麗におしかくして、思わず自慢してみれば。アロイスさんたら笑みを深めた後、セバスチャンにお礼を言ってくれました。
「光栄にございます。宜しければこちらもどうぞ。主の為に当家のメイドが腕によりをかけまして作りました、カナン鳥の卵トルテでございます」
「…おぉ、あの飼育の難しいと言われている。もちろん頂こう」
あれ、カナン鳥って飼うの難しいの? たしかに、日本でよく飼育されている白色レグホンくんの二倍くらいの大きさはあるけど、大人しいし、家の裏庭で番くん達は暢気に菜っ葉とか食べてるんですが。
あ、でも魔獣(虫型)をみじん切りにしたのも食べてる。美味しそうに。
いやほら、鶏のえさって貝殻とか入ってるじゃない?それの代用というか、こっちの虫型魔獣って固いし、カルシウム補給にいいかな~と思ってあげてみたら、味しめられちゃって。
お陰でわたしの握りこぶしより大きな卵を毎日産んでくれます。ちなみに黄身の色は濃い黄色です。殻があついので、アヌリンたちはトンカチで叩いて割ります。
そんな風にわたしが回想している間に、四次元ポケット付きのカートからセバスチャンがお皿にのせたトルテを、ひょいっと手でとり頬張るアロイスさん。中々豪快ですね。
「…これは。―――美味い。詩人の口を持たないのが惜しいが、とにかく旨い。まるでいま焼き上がったばかりの食感だが、状態保存の魔術をかけているのか?」
「左様でございます。主の好物でございますから。いつでも供せるようにと」
「ふむ……ふむ。珈琲とこのトルテとやら、王都では売っていないよな?」
「これは、私共のオリジナルレシピでございますれば。あくまで主に愉しんで頂けるようにと作っておりますので、皇国では販売はしておりませんし、少なくとも私の知る限り類似品はないかと。王国には着いたばかりでございますから」
「珈琲はサカモトから譲ってもらい、俺が何度か商った事があるが、このトルテはない。それは確かだ」
「左様でございますか」
「よし。どうだろう、珈琲とこのトルテを、俺に売らせてもらえないだろうか。なんならレシピだけでもいい。卵の調達が課題となるだろうが、それさえクリアできるのなら、国王お墨付きにまでしてみせる」
「私はただの執事でございますから。交渉は我が主となさってはいかがでございましょう」
「それもそうだな。…ということで、ユタカ、この珈琲とトルテの販売を、任せてはもらえないだろうか」
「……はぃ?」
いぶし銀と、黄金色。いい男ふたりの会話って、絵になるな~~~~。
くふくふとこみあげてくる不気味な笑いを、珈琲を飲むことでごまかしていたので。急に話をふられたのに反応しきれなかった、わたしです。
「…すいません。ちょっと考え事してました。なんでしょうか」
「この珈琲とトルテの販売、いや出来ればもう何種類かバリエーションが欲しいが、その販売を、俺に任せてもらえないだろうか」
あれ。午後の暢気なひと時。台場さんに紹介いただいた、宿というか家主さんと語らう、優雅なひと時だったはずのなのに、いつの間に商談の場になったんだろう。
「そちらへのマージンや具体的な販路などはこれから詰めるとして、決して損はさせないことは約束する。だからぜひ、任せてほしい」
「え、は? 売るって珈琲をですか? このトルテも? え、カルプニア連合王国で、ですか?」
「まずは王都のみで。原料が原料だから高級路線で売るべきだと思うし、市場の状況をみる必要もあるが、最終的には主要三都市で店舗展開していくつもりだ」
「はぁ……」
うん。やっぱり全然、「しがない行商人」なんかじゃありませんね。穏やかに細められていたはずのグレイの瞳が、青みをまして見開かれ、底光りまでしているようでなんだか怖いです。
獲物を狙う猛禽? 正直魔獣より怖い。
うぅ……。なんで異世界の人ってこう言う人ばかりなんだろうか。豹変するっていうか、バイタリティ溢れすぎてるって言うか。わたし自身も、友人知己からそんな評価を時々頂くことがございますが。いやいやこちとら所詮は平和な国ニッポン出身でございますれば。
魔獣が跳梁跋扈する異世界人に比べれば温いです。甘いです。
って言うかさ~。わたしはここに、遊びにきたんですよ。異世界漫遊ひゃっは~! グルメに観光、時々ならキャンプも素敵、毎日がお祭りだ~!! そんなお気楽気分で来てるんですよ。
この宿、というかステイ先として、阪本先輩がよく利用するらしい商館か、この家を台場さんが上げてくれたとき。
「阪本とも親交のある貿易商人で、穏やかで誠実な人柄ですし、読書好きでもあるから越谷さんとも話が合うと思いますよ。
それに商館はランクはいくつかありますが、日本で言うところの安めのビジネスホテルみたいなもので、風呂も共同なところが多いから、ほとんど男性しかとまりません。ルーカスさんの会社の社員時代に私も何度か利用しましたが、正直女性の越谷さんにはお勧めしにくいかと……。
旅の日程と予算に余裕があって、なにより執事さんも連れてくなら、アロイス氏の家がお勧めです」
って、言われたから、現地の人のうちにホームステイ? OK面白そう! な~んて呑気に二つ返事で頷いたけれど。
「どうだろうユタカ。うんと言ってくれないだろうか」
はいゴメンナサイ。商人の商魂、舐めてました。
「うちの子の作ったものどうよ。美味いっしょ?」なんて、そりゃ少々自慢するつもりもありましたよ? それでもあくまで友好の印と出したつもりだったのに、よけいなスイッチを押したみたいです。
「…取りあえず今は、珈琲とお菓子を最後まで楽しみませんか。ね?」
少しづつ椅子を近づけてにじり寄ってくるアロイスさんから目をそらしつつ、楯のように珈琲カップを取り上げて、微笑んでみた。
あ~宿の選択、間~違えちったかなぁ、セバスチャン?
どうしてこうなった。
最初の設定から最初の宿の主であるアロイスくんが、かなり跳んでしまいました。
今後もどう転がるか予定は未定ですが、優のぶらり異世界漫遊紀にお付き合いいただければ幸いです。




