042 ある魔導師の闇
お待たせしました。ルーカスさんのターンです。
彼の陰々滅滅とした心象風景をお楽しみください。
寒かった。
ただ暗くて、冷たかった。
足もとからじわじわと、まるで氷の魔術をかけられたかのように、ぎしぎしと音を立てながら冷たく、痛みをともなって凍っていくのがわかった。
追いかけたいのに、足が動かない。
去って行くその背中を、肩を掴んで無理やりにでもひきとめたいのに、腕が、あがらない。
腕どころか、いつの間にか全身が固まって、小指一本、動かせそうにない。
何故。と思った。
なぜ、私を置いていってしまうのか。
なぜ、どうして、行かないでという言葉だけが、古代魔導の呪文のように、途切れなく口から零れているのがわかるけれど、それで彼女が止まってくれるわけもなく、ただ嘆くしかできない役立たずの自分に、いっそう絶望感がつのる。
何故か、が分からないから、どうやって止めればいいのか分からない。
予兆など、なにもなかったから。
その魔導適性と魔力さえあれば、たとえ国であろうと簡単に陥せる彼女は、その力にははるかに及ばないものの十分に異能であった、私が呼び寄せた異世界人達―――彼女は先輩と呼んでいたか―――のようには、力を振るおうとはせず。
ただ、そう、まるで便利な道具でも手に入れたというように、ただ、使いこなしていた。
これで食いっぱぐれなさそうです。
そう、笑っていた。
皇国始まって以来の魔導師と、一部の貴族や王族たちが囁き、自陣になんとか取り込もうとしてくるのを、愚昧な者たちと冷ややかに見ていたが。その私すら凌駕しそうな力を、ただ「楽しく生きる」ために使う黒髪の、異世界人。
通常、騎士団と魔導団で連携して十数人がかりで倒す凶悪な魔獣とて、彼女にかかれば明日の糧となる獲物でしかなく。
文献で他国でその例があることは知っていたが、魔獣を食べたことなど、彼女が来るまでなかった。そもそも食べようという発想がなかったのだ。
強力な翼と爪と嘴をもち、火の魔術すら操るハーピー。
獰猛な性質で、立ちはだかるものをその重い身体で弾き飛ばし、槍の穂先にすらなる硬質の牙をもつファング。
雌雄ともに角を持ち、その強靭な脚でどんなに峻嶮な崖でも風のように上り下りできるメリヤ。
いずれも、毎年のように森や街道で兵士や旅人を血祭りにあげている魔獣たちだが、彼女の手にかかれば、爪に角に牙や毛皮のみならず血まで綺麗に利用するべく捌かれたあとは、「美味しいご飯」に変わってしまう。
生半可な攻撃ならば「食う」ことで無効化してしまうラスリームを、あっさり倒したと思ったら。
「あ、ルーカスさんやっぱりこれ水ですよ。美味しい~。これで酒とか仕込めませんかね?」
笑いながらすくってのみ、実際に懇意にしているらしい市場の酒屋と協力してつくった時には、もはやどんな言葉も発することはできなかった。
妙齢の、彼女の故郷の同性に比べれば、鍛えられた俊敏そうな身体を持っているが、それでも長らく戦闘のない国の女性が、顔色ひとつ変えずに狩りをするなど、誰が思うだろう。
ましてや「見慣れていなければ気分が悪くなるかもしれないから」などと、魔導団隊長であるこの私が、気遣われるなどと。
どうすれば彼女のように逞しく強靭な精神をもって育つのかと、魔導師育成のためにも、彼女のご両親にはいずれ必ずお会いするつもりだ。
あわよくば、外堀から埋めて、彼女をこの手にすることもできればいいのだが。
初めて彼女に会った日のことは、たとえこの身が塵芥のごとく消えようとも、決して忘れない。
己の卑小な「常識」がガラガラと音を立てて崩れて行ったあの、快感にもにた心持。
なによりも、師匠に置いていかれてからぽっかりと開いていた、あの自分を暗い冷たい風の吹く場所に引きずり落とす、穴がふさがった喜びを。
なのに。
彼女は、ユタカは、満足していたのではないのか。
無尽蔵にも思える魔力を思う様使い、日々の糧を得、彼女が家族とよぶ人形を生みだし生活を整え、異世界の魔獣なみの魔力をもつネコとかいう生き物を従え、満ち足りたように笑っていたではないか。
私の、近くで。私の、世界で。
休みが欲しいのだと、彼女は言った。
今朝。いつものように打ち合わせをしたあとで。彼女が気に入ってくれた義姉上特製の花茶を、小さな微笑みを浮かべて味わいながら。
急ぎの報告書に気を取られていたこともあり、その軽い口調に特に注意を払うべきことなど、ないように聴こえたから。
自分でそれがどんなに業腹に思っていようと、この独立心の強い想い人は、どんな条件を提示しても首を縦にはふってくれず、それ以上強制しようものなら契約すら結んでくれそうになかったから。彼女と私はフリーランス契約でしか結ばれていない。
だから、いつ、どれだけ休もうとも、彼女の自由。それは分かっている。
油断していた。そうとしか言いようがない。
ユタカが慣れるまでは、そして自由を何よりも愛するその気質から、この仕事が嫌にならないようにと、最初のうちは拘束時間も短めに、異世界で言うところの週休3日勤務にはしていたのだ。
けれど魔獣の出没頻度、そしてその討伐状況を見てとった彼女自身がすぐに、勤務形態の変更を提案してきた。そして、私とひとつ屋根の下ではなくとも、この世界に移り住んでくれた後は。
魔獣の習性やテリトリーを研究し、異世界の似たような姿をもつ獣の習性とあわせて、罠を仕掛けて安全に狩るなど、彼女が皇国民ならば、いや、異国人であったとしても、皇帝陛下から直々に褒美を賜るくらいの働きをしているのだ。
陛下が皇宮に彼女を呼びつけやらかした日以来、この「異世界からの破壊獣(愚かものはどこまでも愚かなようで、彼女にそんな名をつけて呼んでいるらしい)」の逆鱗に触れないように、陛下のみならずその近習達とて彼女には接触できていないから、実際に授与されることなどないけれど。
それでも、仕事とはいえそこまで魔獣討伐に取り組んでくれているのだから、つまりは、この世界に、国にずっといてくれるのだと思いこんだ、私が愚かだったのだろうか。
半年間と、彼女は言った。
2、3日、長くても一週間程度だろうと高をくくって聞き返した私をあざ笑うように、あっさりと。しかも、「取りあえず」という言葉を添えて。
9年前私を置いて行った師匠……ジーン兄さんは、「ちょっと行ってくらぁ」と言っていた。
どのくらいの期間行くのか、いつ帰ってきてくれるのか、ひとことも告げずに。
「お前もこれで独り立ちだな」。それだけ言って、まだ着なれなかった魔導師のローブをはおった私の肩を叩いて、晴れ晴れ笑って行ってしまった。
彼が見つけた次元の窓、ユタカの世界へとつづく扉をくぐって。何が起こったか一瞬理解できなかった馬鹿な弟子を置き去りにして、一人で。
そして、今も戻らない。
結局私はいつも、置いていかれてしまうのか。
愛しい人は、いつも、私から去っていくのか。
誰よりも愛しい、何を犠牲にしても欲しい、私の命綱であるユタカ。置き去りにされる私のこの気持など、全く気付いていないよう様子で、穏やかに笑う彼女を見て。
後ろ手に手を振って去っていく、師匠彼の背中を思い出した瞬間。
胸にぽっかり空いた穴から、どろりと魔力がこぼれはじめた。
うっわ~いぃ。相変わらず病んでるねぇ、ルーカスさん!
作者もドンびきな依存っぷりです。
彼視点で描くと、どうしても心象風景、しかも暗くて重くて湿ったやつになってしまいますので、次回は妹のエドウィナリアか優の視点で物語をすすめます。
 




