036 ある魔導師の確信
以前、優が大暴れする前にあげたルーカスさん視点の話ですが、入れるタイミングが悪いとのご指摘を受けましたので、こちらに移動しました。
「ユタカさん。……コレは、なんですか?」
仕事の打ち合わせにかこつけて、招かれてもいないのに彼女の家に押しかけると。とんでもないものが迎えてくれた。
「ネコ目―ネコ亜目―ネコ科―ネコ亜科―ネコ属の。学名は、Felis silvestis catusの、イエネコです。あ、ちなみに、たぶんキジトラネコとアメリカンショートヘア、それからもう一種類くらいまじった雑種の、雌、推定で生後七か月です。
あっちの世界では街中にもよくいるんですが、もしかして、見るのは初めてですか?」
そう言って、メイドが通してくれた心地よく整えられた居間の、窓際の黄色いひとりがけソファから立ち上がった、彼女の足元には。
大きな尖った耳、なぜか途中で折れ曲がった尻尾を持ち、額を覆う星のような黒い毛の模様が特徴的な、オレンジと黒と茶色のまだら模様の毛皮を持つ小さな獣がうずくまり、大きな黄色の釣り上った目を光らせて、こちらを見上げていた。
「……いつもお迎えにあがっていたコーヒーショップの近くで、似たようなものを見かけたことは、確かにあります。………ですが、コレは」
せっかく邪魔なあの執事が近くにいないのに、足が、前にでない。
「あぁ。なんだか、この子にも魔力があるみたいですねぇ。あちらの世界では魔女の使いや眷族、姿を変えたものなんておとぎ話で言われることもありましたけど。まさかこっちに渡ったら魔獣なみの魔力を発するとは、思いませんでしたよ~」
はははと笑いながら彼女は、足元にじゃれついてきたソレを、見たこともないような、少なくとも私が向けられたことはいまだかつてない蕩けた顔で、抱き上げた。
それは笑いごとでは、ないはずだが。
「……私の数え間違いかもしれませんが、一匹だけではないようですね」
「はい。いまのところ、三匹ですよ?」
いまのところなどと言う恐ろしいセリフは、聞き流そうとしていたのに。
呼ばれたとでも思ったのか。ニーだのニャーだの声をあげながら、お茶のワゴンを押した栗色の髪のメイドの横を、四つ足の黒い物体がすり抜けるように歩いてきた。
「この子が銭形で、アヌリンの横にいるのが写楽。そしてルーカスさんの足元にいるのが、北斎です。可愛いでしょう?」
音もなく気配もなく。勧められたソファに座る足元に、いつの間にか忍び寄られていたそれと目が合って。声を上げずにすんだのは、魔導隊長のプライドがあったからだろうか。
四つ足をそろえて座った状態でも、ぴんと立った耳の先が私のふくらはぎの中ほどにも届かない、ちいさな生き物。
けれどそこから放たれる膨大な魔力は、コレの数十倍大きな魔獣よりも、濃密で、重い。いやしくも魔導団第2隊長の自分だからこうしていられるが、入りたての雑兵ならば、目が合っただけで気絶するかもしれない。
そう。この魔力。手触りすら感じさせるこの魔力は、質や量こそ違えども、彼女のものとどこか似ている。
はじめて彼女に会った時、無自覚に向けられるその力にとりこまれないよう、とっさに結界をはったものだ。あの時も、こんな風に腹の底が冷えるような、なんとも座りの悪い感覚に、しばらくさいなまれたのだった。
と言っても。あの時私は、初めて自分と比肩する、いやもしかしたら凌駕するかもしれないその力に、笑っていた気がする。
「―――セバスチャン、アヌリン、そしてヤスミーナ、でしたか。彼らは皆、貴女が改造を施したのですよね。とすると、これらの獣も」
「は?ルーカスさん、何気に失礼なことおっしゃいますね。この子たちには何もしてませんよ。するわけないじゃないですか」
私の邪推に、彼女の、いつもは表情豊かに上下しているくっきりとした眉が、ぐっと真中にひそめれらた。
「セバスチャンから、こちらの世界に『猫』はいないと教えてもらいましたから。生態系にあまり影響を与えないですむよう、去勢はしてありますけど。というよりこの子たちは保護センターからもらってきたので、引き取る前に去勢はされてしまうんです。『改造』したのはそれだけです」
ゼニガタと呼ぶ猫を抱きしめながら浮かべるその表情は、不快、だろうか。
「……そうですか。勘違いしてしまいました。申し訳ありません」
居心地の良いはずの居間に、沈黙が落ちる。
間が持たなくて、メイドが用意していった珈琲を飲むことにした。
「…あぁ。いつもながら、ユタカさんのうちの珈琲は美味しいですね」
鼻孔をここちよく抜け、身体中にしみわたる、馥郁たる香り。思わず追いかけたくなってしまう余韻を舌の根にのこす、深い味わい。
彼女に出会った日に飲んだこのブレンドは、この家に訪れるたびにふるまわれ、毎回手もなく魅了されてしまう。
同じものはないかと、向こうに行く度に有名店を訪ねてみるが、満足できたためしはなく。求める思いだけが、強くなっていく。
彼女自身に、そうであるように。
「―――アヌリンの淹れ方がうまいんですよ。ルーカスさんは運が良いです。今日はクッキーもありますよ」
ご機嫌をなおしてくれたのか。ちょっと得意げにそう言うと、彼女が小皿に盛られた平たい円形の菓子と思われるものを、差し出してきた。
「チョコレートクッキーです。ビターチョコレートで砂糖控え目。その代りクルミとアーモンドを多めにいれた、さくさくの歯ごたえですよ」
「頂きます」
彼女の家のメイド二人がだす料理は、彼女のためにつくられるので、ほとんどが異世界のレシピだ。が。いままで「はずれ」に当たったことはない。
味わったことのないものだったり、辛さやすっぱさ、時には苦みで驚かされることもあるが、慣れるとまた求めてしまう、危うい魅力に満ちている。
「それも、同じか……」
「…なにがですか?」
思わずもれた呟きをひろわれ、
「これも美味しいですね。ありがとうございます」
彼女が言うところの「無表情笑顔」でごまかすことにした。
「お礼なら、アヌリーンに。わたしはおねだりしただけですから」
この笑顔をむけると、彼女は決まって、片頬だけあげる笑いをかえしてくる。
最近その表情が、3つ上の姉によく似ていることに気づいてしまい、少々複雑な気分になっている。
「……自分の家を持ったら、決めていたことがあるんです」
しばし無言で、珈琲に絶妙にあうクッキーの歯ごたえを楽しんでいると。彼女が口をひらいた。
「決めていたこと。…なんでしょうか」
「わたしは今まで足の向くまま、気の向くまま、いろんな所を旅してきました。飽きっぽい性分なので、ひとところに数年にいて、知っているものばかりに囲まれていることに気づくと、その瞬間、わっと駆けだしたくなるんです。旅に出るというよりも、その場から逃げ出して、全部置いて、二度と戻ってきたくなくなる」
今日はどうやら、初めてづくしのことばかりのようだ。
いつも飄々とした、どこか人をくったような表情を浮かべて、愉しそうに笑っている彼女が、俯いている。
そしてそれを私は、ただ驚いてみている。
「以前お話したように、わたしには家族と、大勢の親族がいます。彼らはわたしの大切な人々ですし、どこから帰ってきても、何年も帰らなくとも、温かく迎えてくれる。とてもありがたいことですが、彼らは、わたしのものではない」
家族とは、血を分けた他人だと、彼女はいつだか言っていた。
ひとは隣り合って歩むことはあっても、その道が混じりあい、ひとつになることはないのだと。
「いつでも、好きな時に離れられるように、できるだけものを持たないようにしていたんです。数枚の着替えと、ノートとペンと、パスポートと、当座のお金。デジカメとスマホはあれば便利だけど、無きゃないで、生きてゆける。
それらを、片手で持ち上げられるカバンにつめて、履きなれた靴をはいて。『お前はいつも遠くへ、遠くへ行こうとする』。そう父に言われてしまうくらい、ひょいひょいっと出かけていたんです」
まさか異世界にまで行くとは、父も、母すら思わなかったでしょうけどね。
そう笑う彼女に、何を言えばよいのか。吟遊詩人のような耳触りのよい言葉を持たない自分が、ひどく情けない。
選んだのは確かに彼女だけれど、呼び寄せて、留まるように仕向けたのは、自分だから。ここに。自分がいるこの世界に。ともにいてほしいと。
たとえ、この想いが届かなくとも……?
「なのになんだか、気がついたらいついちゃってますね。わたし。最初は三か月、長くて半年くらいかな、と思ってたんですよ。異世界での仕事。何のかんの言って、諸先輩方とおなじように、努力もしないで手に入る魔法に飽きちゃって、辞めるかもな~なんて」
そう予測していた自分がおかしかったのか。声を立てずに笑う彼女の後ろには、気がつけば銀をまとうあの男が立っていて。けぶるようなと、彼女が絶賛するその瞳を優しく細め、主を見守っている。
いつもなら目障りなと思うその姿に、いまはほっとしている自分が、ますます情けない。
「セバスチャンが来てくれて、初めて自分の家を持って。ヤスミーナとアヌリンも加わって。わたしが仕事で留守をしても、三人がいてくれるから。いままでごめんねと手を合わせるだけだった保護センターの猫や犬を、ヒトの都合で喰われないのに殺されるだけの子たちを、引き取ることができたんです」
生きるのに、生き残ることに貪欲な彼女。生を謳歌し、それを支える日々の糧に感謝し、魔獣さえも殺した以上は血の一滴まで使い尽くし、残したり粗末にあつかっているのを見つければ、激怒して手をだす。
そんな彼女にしてみれば、その保護センターとやらの状態は、確かに耐えられないものだったのだろう。
「なるほど。そうだったんですか…」
まだ俯いたままの彼女を慰めようとでもいうのか、それとも引き取ってもらったことへの感謝を表そうと言うのか。
元からのっていたゼニガタだけではなく、シャラクといったか。彼女の足元でうずくまって目を閉じていた黒猫までが膝によじ登り、その小さな手をなめている。
もしかしたら、クッキーの残り香に誘われただけかもしれないが。
「あ、でも、ルーカスさん。アレルギーがあるようなら言って下さいね」
しんみりとなりすぎた空気を払拭しようというように、彼女がぱっと顔をあげて、わたしを見つめた。いや、正確に言えば、自分の座るソファに飛び乗ってきたもう一匹の黒猫を思わずよけた、その所作を、というべきか。
「アレルギー、ですか?」
「はい。こちらでは室内で動物を飼っているのをみたことがないので、わからないかもしれませんが。
いま、喉がむずがゆかったりしませんか?くしゃみや咳や目の痒み、鼻水なんかを我慢してたりしません? あ、あと、手などの皮膚がかゆくなったりすることも」
テリトリーを主張するためか、ただ単にそこが定位置なのかもしれないが、ソファにどっかり身を沈める黒猫から慎重に距離を置いた姿を、勘違いされてしまったようだ。
そのやたらと回転する頭のせいか、それとも生来の性質か、いまだ判然としないのだが。
彼女は時折、不思議な早合点をしてくれることがある。そう言えば、はじめて魔獣退治をしたときは、ベジタリアンだと思いこまれたこともあったと、笑いがこみあげてきた。
「……ご心配にはおよびません。いまのところ、そのような兆候は感じられませんから」
「そうですか。それでも毛が舞って洋服についてしまいますので、嫌ならおっしゃってくださいね」
そう言いつつも、彼女の手は愛しげに、膝の上で戯れるネコたちを交互になでている。
そしてネコたちも気持ち良さそうに目を閉じ、彼女の手に頭をおしつけて、喉の奥からだろうが、不可思議な音をたてている。たぶん甘えているか、満足しているのだろう。両方かもしれない。
つまりは、ここで彼女に会いたいならば、このネコ達に慣れろということだ。
「あ、この子たちもわたしの家族ですから、できれば名前で呼んであげてください」
決して押し付けがましくはない。けれど、ほかならぬ彼女がそう言うのだから。ゼニガタにシャラクにホクサイ。こちらでは耳慣れず、発音しづらい名前ばかりだけれど、呼ぶしかないだろう。
なにせ、彼女の「家族」である執事やメイド二人は、なんの苦もなさそうに呼んでいるのだから、負けるわけにはいかない。
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一応の訪問理由である仕事の打ち合わせをすませ、狙いどおりに夕食を共にして。
戸口まで見送ってくれた彼女に手をふり、扉をしめて。
いつもの転送陣を発動させる前に、いまだうまく呼べない、彼女の愛する「家族」の名を繰り返してみる。
シャラク、ホクサイ、ゼニガタ。ついでにこちらはきちんと呼べる、アヌリン、ヤスミーナ、セバスチャン。
どんな高等魔導や結界よりも確実に、彼女をこの地に、私の世界にとどめる最強の呪。
呼びながら笑み崩れてしまったのは………彼らには知られないようにしよう。
やっぱり、ちょっとルーカスさんがリリックすぎますかね。




