小話2 馴染みの居酒屋で、後輩の男関係を探ってみた。
わたしは所詮エセ関西人ですので、修司先輩の言葉づかいはたぶんおかしいです。お目こぼし頂ければ。
「いや、いままで御付き合いした方はそんなに多くないですし、好みはともかくとして、ひとりを除けば、そこまで年が離れていたわけでもないですよ?」
「ほほう。その一人っちゅうのが気になるね」
「あ~まぁ。初めての人、ですか」
「ほほほほぅ!」
来たで、来たで~。ようやっとたどり着いたで~。笑い死にさせられる前に、はよ聞かんと。
そうやってせっかく気合いをいれた俺だったが、優くんがため息を吐いた。
「なんでこんな話になったんだか……面白いですか? わたしのこんな話きいて」
せっかくいい流れで話聞けてたのに、さっき笑いすぎた?
あかんて俺~、空気は読まんと~。でもここで引いたら、使命は果たされへん。押すんや俺!
「まぁええやん、酒の席ねんから。ほんでほんで?」
「はぁ……。17歳でした。わたしは」
「おぉ高校生や。んで相手は?」
「相手は26。はとこだか又従兄だか正確には知りませんが、遠縁のお兄さんでした」
「ふぇ~。もしや、初恋の相手?」
「あ、いえ。わたしの初恋はたぶん、父です」
「うはっでたっ」
「……?」
優くんは不思議そうにしてるけど、ここは突っ込まんとあかんでしょ。
「おっさんスキーな子は、ファザコン率が高い思うてたけど、優くんもや!」
「……まぁファザコンなのは、認めましょう」
「ってことはや。もしかしてその初めての男は……親父さんにそっくりとか?」
「………なんでわかるんですかね」
「マジかっ」
ノリで言うただけやのに、まさかの反応。俺は思わず、呑みかけてたカヴァスを噴いてもうた。
「自分で言って驚かないで下さいよ。いやなんて言うんですかね。わたしの男性の好みの原点は、たぶん父なんですよ。まぁ気づいたのはお兄ちゃん、その人とそう言う関係になった時ですが……それで気づいた時は、結構衝撃でしたよ?」
机の上に噴きだしたカヴァスを、ささっと魔術できれいにして。すこし顔をしかめながらそう言う優くんのセリフを、噛み砕いてみる。
衝撃。ってなんやろ。
「ん~? ファザコンが嫌やった、とか?」
「あ、いえ。そうではなくて。……見せちゃったほうが早いかな。これ」
そう言うと、亜空間(この子は四次元ポケットて呼んでるけど)につなげてあるらしい腰のポケットから、男が持つような二つ折の財布をだすと、優くんはそこからセロファンに入れた一葉の写真を抜き出して渡してくれた。
うおっ、まさか、これは……!
「優くん……やっぱり『初めての男』は女性にとって、特別なんやね。いまでも写真持ち歩くて。……って言うか、ごっつええ男やん」
そこには、歓談するふたりの男が写っていた。
真黒な、少し長めのくせ毛の、赤いタートルネックのセーターを着ている男と。霜降り鹿の子グレイのセーターの、やや茶色っぽい猫毛の男。
写真は左側にいる赤いセーターの男に、ピントが合っている。それとも彼の眼をひく顔立ちが、そう思わせているのかもしれない。
彼は、大きな瞳をおどけたように見開いて、グレイのセーターの男に、屈託なく笑いかけている。男にしては幾分あつめのその唇は、ふっくらとむすばれほほ笑んでいるようだった。
「……それ、その左の方、父です。わたしが生まれてすぐくらいの。26か、27歳の頃の」
「………え」
それこそ衝撃の一言に、俺は写真をとり落としそうになった。
え? どゆこと? 言われてみれば、優くんの女の子にしては凛々しい眉のあたりとか、ちょっとだけ垂れた目とかの面影はあるけど、え? なんでオトンの写真の、しかも若い頃の持って……え?
混乱する俺をよそに、優くんは話しつづける。不思議な笑顔を浮かべて、写真を見つめたまま。
「お兄ちゃんとは結構ながい付き合いではあったんですよ。夏休みの度に帰っていた、父方の田舎の方に住んでましたから。9つも離れてましたけど、よく遊んでもらってました。ただわたしが高校受験の頃くらいから田舎には帰らなくなって。
で、高校2年の時、法事があって、久しぶりに会ったんです」
「んで、惚れてもうた?」
「ええ。小娘が思いつく限りの手練手管を使いまして、最後は拝み倒しに夜這いまでかけて」
「……っ夜這いて……」
もうお兄さんは何も言えまへん。いまもそうやけど、その頃のこの子も、おっとろしい行動力、ちゅうか決断力? 持ってたわけやね。
俺は右手にある、少しだけ色褪せた写真のなかで屈託なく笑う男に、思わず同情してしまった。
そんな娘さん持って、あんたも苦労しましましたな。
「前から、うちの弟より遠縁のお兄ちゃんの方が父に似てるな、と思ってはいたんですよ。笑い顔とか、仕草とか。父方の親族は血が濃いのかみんなよく似てるんで、そんなものかなと思ってたんですが……」
「……が?」
「翌朝。お兄ちゃんの部屋で目が覚めて。ちょっとはにかんだように『おはよう』って笑ったお兄ちゃんの顔が、この写真とそっくりだったんです。しかもこの写真を見たのは、法事の晩。親戚のおばさんが持ってきたアルバムです」
「……うわ………」
そんな言葉しかでてこなかった。そしてそれを聞いた優くんは、苦いものでも飲んだみたいに、くしゃりと顔を歪めてしまった。
「そうです。まさにうわ、ですよ。やってもうた、ですよ。なんだか妙に納得して。そのくせそれを受け止めきれなくて。まだ17歳の、感情だけでつっぱしる子供でしたからね。色々ぐるぐる混乱して泣きだすくらいの」
「…うわ~」
俺やったらどうしたやろ? 結局受け止めたんなら、この男、いや、この男にそっくりな「お兄ちゃん」は優くんのこと、好きやったってことやろ? 可愛いと思ってたわけやろ?
幸せで、ちょっと照れくさい気分で目覚めたはずやのに、その子に泣かれてみぃな。そりゃ男としたら……。
「……そうです。その時のお兄ちゃんには、ほんっと悪いことしました。わたしが夜這いかけて、いわば襲ったようなものなのに。馬鹿みたいに泣きだした小娘に罪悪感、感じさせて。責任はちゃんととるからなんて言わせちゃって」
「ありゃ~」
まぁそうなるわな。「責任」って言葉はどうなん? と思わんでもないけど、まぁテンパってたんやろ。寝起きやし。
「時々、10代の頃に戻りたいなんて言う方おられますけど。わたしは絶対に戻りたくないですね。あんなお馬鹿だったころなんて」
いつも楽しそうに光っとる優くんの目が、伏せられ、心なしか滲んでみえる。
俺は悲しい思い出を語らせてしまった後悔で、胸のあたりがちくちく痛むのを感じつつ、それでも突っ込んでしまった。
「え……っと、優くん。ほんま申し訳ないねんけど、やっぱ気になるから聞くわ。その御方とは……」
「一緒に朝を迎えたのは、それっきりです。ただ、お兄ちゃんに罪悪感を植えつけたままでは申し訳ないので、泣いた理由はお話ししましたよ」
「うえっ、それもまた……男にしてみたら……」
俺ならへこむ。そらもう、盛大にへこむ。え、おれ代わりやったん? て、男としての自信をかなり失くす。
って言うか、女に対して絶望してまうかもしれん。
「修司先輩……。どんなこと想像してます?」
俺がその、会ったこともない「お兄ちゃん」にさかんに同情の念を送っていると、優くんがちょっと赤くなったじと目で見てきた。
「『貴方が、生まれてすぐぐらいに好きになった、若いころの父にそっくりだったから』なんて、言うわけないでしょう。
お兄ちゃんには、責任をとる必要なんてまったくないことと、友達から聞いてわたしも体験してみたくて、子供の頃から好きだったお兄ちゃんにお願いしたけど、予想以上に痛かったのでそれで泣いたって、言っときましたよ」
「あ~~~……うん、うん……」
それも微妙やけどね。誰かの代わりよりはええかな~? ようは下手やったて、言われてるようなもんやけど。
「小娘の浅知恵でしたけどね。『ごめん俺のやり方が……』なんてまた謝らせちゃいましたし。いまならもっとうまくごまかせると思いますけど、過去には戻れませんから」
「まぁ、…せやね」
優くんに(心の中でやけど)さんざん突っ込んでる俺かて、まぁ思いだしたらのたうち回って、脳みそかち割って取り出して、完全に灰になるまで焼いてまいたい記憶は、何個もある。
でもその時には戻られへんし、それを経験していまの俺がある。ってことにしといて下さい。
「それに、もういんです。お兄ちゃんも今では、可愛い奥さんとお子ちゃま三人に囲まれてパパしてますから」
ふっ切るようにそう言う、優くん。
「あぁそりゃ……良かったん、やね?」
しつこいと思いつつ、俺がそう訊けば。
「もちろん」
こっちの心まで晴れやかになる笑顔で、力強くうなずいてくれた。
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しぶる優くんに、「貴重な話聴かせてもうたから」と、飲み代を俺のおごりにさせてもらって。
いつ来たのか、タブラオの戸口にいた彼女の執事だとかいう渋いおっさんに、ものごっつい冷い笑顔を向けられ、彼女をひきわたし。
俺は酔いざましがてらぼとぼ歩いて、帰宅しております、と。
「探りを入れろて言われたけど……」
どこまで嗅ぎつけてるのか知らんけど、さっきの執事よりも数倍おっとろしい笑顔で、そう厳命してきた美人の上司さまの顔を思いだし、ため息しかでてこない。
「こりゃとてもじゃないけど、聞かされへんわ………」
いや俺まだ死にたないしね?
酔いなんてとっくの昔に吹っ飛んで、俺はとりあえず、伝えられる情報だけでどう乗り切るかと、頭を振りしぼって考えることにした。
はい。修二先輩の視点でお送りさせていただきましたが、ルーカス君のさしがねでした、と。




