序章
今まで読む方専門だったのですが、この度一念発起して、書き手側に回ってみました。更新は不定期になると思いますが、長い目で見ていただけると幸いです。
経験不足丸出しの駄文書きですが、よろしくお願いします。
プロローグ 終焉もしくは始まり
少女はその場所が好きだった。何年も前に本来の主人を亡くし、今は古びて荒れ放題となっている屋敷の一室。戦火にあおられ、時間の流れにさらされて壊れかけた屋敷のその中でも、とりわけその部屋は崩落がひどく、屋根も壁も半ば以上なくなった吹きさらしになっていた。結構な面積があるところを見ると、かつては一家の主の寝室だったのかもしれないが、少女達のグループがこの屋敷に住み着く前に誰かが略奪にでも入ったらしく、今は何にもない、がらんとした空間がそこにあるだけだった。そしてそんな何もない、部屋とも呼べない空間の真ん中に座り込み、空を見上げるのが少女は好きだった。
「……今日もいい天気」
このところあれこれと忙しく、こんなゆっくりした時間はとれずにいたからだろうか。瓦礫に腰かけ、ぽっかりと空いた天井から久しぶりに見上げた空はまぶしいほどに真っ青で、ところどころに浮かぶ雲の白さと相まって、見ていてとてもすがすがしい。
グループのリーダーである自分の背中には、やるべき事や負うべき責任がある。もちろんそれは自らが望んで背負い込んだものだと言う事は承知しているし、放り出すつもりもない。
だが、どんなに少女が強くても生まれて高々十数年の小娘である事に変わりはないのだ。蓄積した疲れや重荷を背負った重責に、挫けそうになる事も、愚痴をこぼしたくなる事もある。だが、少女の立場上それは出来ない事だった。少なくとも自分を信じ、慕って付いてきてくれている皆に、弱い自分を見せるなんてみっともない真似だけは、意地にかけても皆に見せたくは無かった。
だから、そうしたモヤモヤしたものが溜まると、少女はこの部屋にやってきて空を見る。ごちゃごちゃと入り組んだ路地裏から見上げるのと同じものとは思えない、何も遮るもののないどこまでも広がる空を見ていると、全てのしがらみから開放されていく気がする。澱んでいた気持ちが晴れ渡っていく感じがするのだ。
しばらくそうして空を眺めた後、少女は懐から一振りの短剣を取り出した。鞘に装飾の一つもなく、柄には滑り止めのボロ布が巻きつけられた、よく言えば質素、悪く言えば粗末なこしらえのそれを見て、値打ち物だと思う人間はまずいないだろう。しかしその全員が、鞘の内に納められ隠されていたこの短剣の刃を見た瞬間にころっとその評価を変えることも間違いないだろう。
少女が鞘から抜き出すことで露わになったその短剣は、それほどまでに美しいものだった。その刀身は優美な曲線を描いて反り返り、その刃の表面には幾何学模様を思わせる不可思議な縞模様が浮き上がっていて、一目で尋常の剣ではないという事が見て取れる。
一見するとクリスナイフに似ているが、波打つような刃が特徴の刺突用の短剣であるクリスナイフに対し、この短剣の刀身は明らかに切れ味を優先して作られている。日の光を反射してきらきらと煌めくその刃は、まるで自ら光を放っているようですらある。
――数え切れないほど人を斬り、血と油をまとわり付かせているなどとは考えも付かないほどに。
小さく首を振ってくだらない感傷を振り払うと、少女は用意していたきれいな布で、短剣を磨き始めた。時たま刃を陽にかざしながら、かすかな汚れを見つけては何度も何度も刀身に布を滑らせ続ける。その様子はとても真剣で、もしも誰かがこの光景を見たら、まるで何かの儀式を見ているようなそんな印象を抱くだろう。
犯しがたい静謐な雰囲気を破ったのは、ほかならぬ少女自身だった。
自分の背後――ドアの向こうに人の気配を感じた少女の手が、一瞬止まる。その手はまたすぐに動き始めるが、すでにそこには、さっきまでは確かに感じられた厳かでありながらどこか暖かな雰囲気は消えうせている。
「……どうしたの?」
振り返りもせずにそう言うと、数秒の間を置いて壊れかけたドアが開き、一人の少年が入ってきた。グループのメンバーの中でもとりわけ少女の信頼が厚く、彼女の補佐を勤めている少年だ。
「すまない、息抜きの時間を邪魔してしまった」
そう言う少年の顔はいつもと同じ無表情で何の感情もうかがわせない。だが、その声にいつもにはないわずかな揺らぎがある事に、少女は気付いていた。
ぶっきらぼうであまり感情を表に出さない為誤解されやすいが、少年が仲間思いである事は、彼と親しい全員の共通意見だった。
ましてやこの一人だけの時間が少女にとってどれだけ大切なものか最もよく知る彼にしてみれば、それを邪魔する事ほど心苦しい事はないだろう。だが、それはつまり、それでも少女に意見を聞かなければならない事態がおきたという事になる。
それが分かっているからこそ、少女も作業の邪魔をされた事に言及すらせず、作業を中断して短剣を鞘に収めると、少年の方に向き直った。
「何があったの?」
「アンダーヒルの奴がまた来ている。例の件だ。体よくお帰り願おうとしたんだが『お前達じゃ話にならない、とにかくジルに会わせろ』の一点張りで……」
今も下で待っている。と苦々しげに語られた、この辺りを仕切る傲慢な顔役の名前に、少女も顔をしかめる。
「また?しつこいわね……」
言いたい事はわかっている。今自分が手にしている短剣。これをよこせと言うのだろう。
相応の金は払うとアンダーヒルは言っているが、ジルにそのつもりはない。何の後ろ盾もない自分たちを相手にあの男が律儀に約束を守るとは思えないというのも一因だが、主な理由はそれではない。単純な話だ、ジルがこの剣を売る気がない。それだけである。
しかし、何度断わっても相手は諦めず、しつこく交渉を持ちかけて来るのだ。いい加減相手をするのにもうんざりしてきたが、だからといって無視するわけにもいかない。下手に顔役の機嫌を損ねてしまうと、後々色々と面倒だろうというのは、容易に想像がつくことだ。とにかく奴が相手なら確かに他の仲間たちではどうにもならないだろう。いくらこの街の流儀を知っているとはいえ、子供たちには重すぎる仕事だ。となるとやはり、向こうのご指名どおり自分が出て行くのがベストだろう。
「――分かったわ、私はすぐに行くと伝えておいて」
ため息混じりにそう言うと、少年は黙って頷き、リーダーの言葉を伝えるべく、きびすを返す。
部屋を出て行く少年の背中を見送ると、ジルはもう一度短剣をかざしてみた。実用性と芸術性を兼ね備えたその刃は日の光を受け、暖かな輝きを放っている。
この光を見るのが少女は好きだった。自分を。少年を。子供達を勇気付ける光。暗闇の彼方で光る自由への目印のように思えるこの光が。
(――まあ、目印があっても実際に闇の中を歩いていかなければ目的地にはつけないわけだけど)
差し当たっては下で待っている顔役殿の相手か。
どう言えば相手の面子を潰さず上手く要求を断われるか。その事を思考しながら、ジルは立ち上がった。
(なぜ、こんな事になったの……?)
冷たい床に倒れ伏しながら、少女はただそれだけを考えていた。
目の前に広がる赤い紅い血溜まり。自分の体の中にこんなに大量の血が流れていたなんて。ぼやけた頭がそんなどうでもいい事を考えている。
何とか身体を動かそうとしてみるが、血と一緒に力まで抜け落ちてしまった様で、指一本まともに動かせない。それどころかさっきまで体中を走り回っていた傷の痛みさえ段々と薄れていく。血の海に沈んだお腹は温かいのに、それ以外のところがやけに寒い。
これが決してよい兆候ではない事をジルは充分に理解できた。今まで自分が、散々他人にばら撒いてきた「死」と言う名の終わり。誰にでもいつかは訪れるであろうそれが、今度は自分の元を訪れた。ただそれだけのことでしかない。
そして、今のジルにとってそんな事はどうでもいい事だった。いや、あるいは全てがどうでもよくなったとでも言った方が的確か。
ぼやけはじめた目に映るのは悪夢のような光景。しかしジルは黙ってそれを見るともなしに見続けている。見たくなければ顔を背ければいいのにそれをしないのは、この光景が悪夢などではなく現実だと分かっているから。眼をそらしたところでこの光景は現実のまま。それが分かっていて、指一本動かすのもひどく億劫で、だからジルはぴくりとも動かず倒れたままで、焦点の定まらない眼で目の前に広がる悪夢を見続ける。
自分たちが食堂と呼んでいた大部屋は、さっきまでの惨劇が嘘のように不気味なほどの静寂に包まれている。ここはその名の通り、粗末な食事を皆で囲み、食後は話し合い笑いあった大切で温かな憩いの場所だった。
しかしそんな暖かなものは粉みじんに消し飛ばされて、今は静まり返った部屋のあちこちにジルと同じように倒れた人影があるだけ。そしてジルと違うのは、その人影全てが既に息絶えていると言う事だ。
ガキ大将気質で皆をまとめていたエリク。仰向けに倒れたその体の身長は記憶より短くて、少し離れたところに切り飛ばされた首が転がっている。口が悪いけど面倒見のよかったビーニャを抱きしめるようにして庇い――諸共に槍で串刺しにされているのは、泣き虫で弱虫だった筈のウィムだ。いつもにこにこ笑っていたミニィの顔は恐怖にゆがみ、その頭には見るに耐えない裂傷が刻まれている。
彼らだけではない。いつも騒がしくにぎやかだったグループの子供達は、全員いまや物言わぬ屍と成り果て、どんな宝石にも負けない光を宿していたその瞳には、最早何も写っていない。
そのうつろな目を見つめるジルの頭にさきほどから響き続けるのはただ一つの言葉、ただ一つの疑問。
(何で、何でこんな事に……)
いや、理由は分かっている。これを招いたのは他ならぬ自分の判断だ。絶望的な二択を迫られ、選んだ答え。それがどんな結果に終るか、充分予想できていたのに、ジルはその答えを選んだ。そしてその選択に皆を巻き込んだ。
守ると誓って。助けると約束して。結果がこのざま。あまりにも無様すぎて笑うしかない。自嘲に唇を歪ませようとして何も感じないことに気付く。意識にもや靄がかかりだしていることに気付く。どうやら『その時』が近いらしい。
「…………!……!………!!」
おぼろげになっていく意識の中、誰かが何かを叫んでいるのにジルは気付いた。どこかで聞いたことのあるその声は段々大きくなり、やがてこの部屋の前で止まる。
「ジル!!」
さっきよりずっと大きな声。悲痛な叫び。誰だろう。とてもよく知っているはずなのに、その名前が頭から出てこない。何とか思い出そうとしても思考はまとまらず、耳から入ってくるのは最早意味のないノイズにしか聞こえない。
ごめん。もう貴方が誰なのかも、何を言っているのかも分からないよ。
体の下に何かが差し込まれ、上半身が持ち上がる。どうやら声の主が自分を抱き上げたらしい。こちらを覗き込み、必死になにやら呼びかけているが、目の前にあるはずのその人物の顔さえ、もうはっきりとは見えない。
「ねえ……。聞いて……くれる?」
気がつくとジルは、薄れていく意識の中、必死に言葉をつむいでいた。
相手が誰でも構わない。どうしても聞きたい事が、いや。答えてほしいことがあった。
「私の……選択は、間違って……いたの……?」
今まで彼女は、自分の行動の是非を他人に問う事などなかった。世間の常識や人の言う事など気に停めず、常に自分達にとって最良と思える選択をし、そこに躊躇やためらいはなかった。
全てはグループの皆、大事な子供達の為に。
この貧困や死と隣り合わせの街から皆を解放してやりたい。その一心でここまで来たのに。もう少しで求め続けたものが全て手に入ったのに。
「それ…なのに……」
最後で詰めを誤った。挽回しようのないミスをして、取り返しのつかない結果を招いた。皆への謝罪の言葉すら浮かばない。
「だって、私は……皆から奪ってしまった。何もかも……」
そう、皆が死んだのは自分のせい。そして死ねば全てが終る。ジルはあの世なんて信じていない。死ねば身体は腐り、魂は消えうせて……後には何も残らない。生きていた証などどこにもない。完全なる無だ。
それでも自分だけのことならまだよかった。知り合いの中には自分の事を『命知らずのイカレた奴』などと考えていた者もいるが、それは間違いだ。死を恐れて命を惜しむのは、生きている人間なら当たり前に持つ感情で、ジルもその例外ではない。ただ、自分の生き死によりも大事なものがあった。それさえ果たせれば、いつどんな形でくたばろうとどうでもいいと、そう考えていただけだ。
それなのに、自分の失策で自分だけでなく、絶対に守ると誓っていた仲間達まで巻き込んでその存在を終わらせて――
「これじゃ……あの子にも……会わせる顔がないよ……」
段々視界が歪んでいく。それが溢れ出した涙のせいなのか、体から血が抜け落ちているせいなのかは、ジルにはもう分からなかった。
ああ、目の前の相手がまた何か言っている。でも、もう何も聞こえない。何も見えない。
守りたかったものも失い、手に入れたかったものはもう得られない。私にはもう何もない――
――いや。
一つだけあった。今の私が持っているもの。たった一つだけ残ったもの。
それは自分から全てを奪った奴らへの憎しみと殺意。理不尽に全てを奪われた無念。それらの感情が入り混じり、冷え切った体の中でふつふつと煮えたぎるどす黒い怒りの炎となるのを、ジルははっきりと感じた。
他に何もないのなら、せめてこれだけは離すものか。
強く強くそれを掻き抱く。まるで魂に刻みつけようとするかのように。
ただこの黒い炎が消えない事だけを願いながら、少女の意識は薄れていった。
自分は問題がなかったのですが、文章の行間詰めすぎ、スペースが少なすぎて読みにくい、ですかね?右も左も分からない未熟者なので、そんな様式とか目安みたいなものがあれば、教えていただけ得ると幸いです。(2012年、4月12日)