8話
「はて、次はどこに行きましょうか」
蕎麦を食い終え、満足げに小春はそう言った。
どうやら彼女は顕本寺の商談を終えたあたりでなにか吹っ切れたようで、随分と口数が多くなってきた。
「お召し物などは見ないのですか?」
安吉はそう尋ねた。
姫と呼ぶには小春の服装はあまりにも質素だ。
何か理由があるのだろうか。
「私はこれで満足していますので」
小春は安吉の問いにそう静かに答えた。
自分の服装は質素に、そして武具に金をかける。
一体どこぞの戦国武将かと思うかもしれないが、小春のことである。
「今回の目的は本当に火縄だけなのですか?」
安吉はそう尋ねた。
わざわざ大三島から遠路はるばるこの地にやってきて目的は火縄だけということはあるまい。
「他の物は侍女たちが買いに行っておりますよ」
そう言った小春に安吉は興味本位で「何を買いに行かせているのですか?」と尋ねた。
「砂糖、そして芋ですね」
小春の言葉に武吉はふむふむと頷き、尋ねた。
「芋は飢餓対策として……。砂糖は何に使うのですか?」
安吉の問いに小春はクスリと笑う。
そして頬を綻ばせ口を開く。
「私の趣味です。洋菓子でも作りましょうかね」
嬉しそうに言った小春の表情には喜びが見え、どうやら菓子作りが趣味なようだった。
(そういえばこの時代に来てから甘味なんて口にしてないな)
その味を創造すると口の中からよだれが滲む。
恥を忍んで安吉が「拙者もいただいてよろしいですか?」と尋ねると小春は一瞬驚いたような顔をして、口に袖を当てながらクスクスと笑った。
「えぇ。かまいませんよ」
笑い終えぬうちにそう答えた。
その姿は幼く、年相応の物であった。
少し恥ずかしがりながら安吉は「かたじけない」と笑っていると橋の上に立つ一人のやせ干せた女性が目に付いた。
「ん?」
この栄えた堺という町には不似合いなその姿に安吉は気になった。
目は虚ろで、視線は足元の川に向かっている。
「いかがなさいました?」
小春も安吉が橋の先を凝視していることが気になってその視線を追った。
そして表情を曇らせた。
横目で小春の表情を見た安吉はその反応に一抹の疑問を抱いた。
その瞬間、ドボォンという音が周囲に響いた。
「やりやがった!」
安吉はそう叫ぶと腰に下げた太刀を小春に押し付けると川岸から川に飛び込んだ。
(なんだって死ななきゃなんないんだ)
安吉はそう心の中で叫んだ。
死にたくなくても死ななきゃいけない人間もいる中で、生きる可能性もあるのにそれを投げ捨てるのは安吉にとって許せない行為だった。
飛び込んですぐに先ほどの女性を見つけた。
自ら飛び込んだ割には水中でもがいている。
安吉は彼女を憐れみつつ、下から抱え込むと一気に川底を蹴り上昇する。
「ブハッ!!」
水上に浮き上がった安吉は一気に空気を吸った。
直後、彼の横に小春が何かを投げ込む。
「使って!」
それは縄で先端が輪になっていた。
「ありがたい!」
安吉はそう答えると女性のわきの下に輪を通し、締める。
右手を上げ、引き揚げるように合図を送ると上にいた町民たちと小春が引き揚げていく。
「旦那ァ! 大丈夫ですか!」
上からう安吉を心配する声が投げかけられた。
安吉はそれに右手を挙げて応えると、川岸が一段低くなっているところに泳いでいき、何とか自力で這い上がった。
「お疲れ様です」
這い上がった安吉に小春はそう声をかけた。
安吉はそれに「かたじけない」と答えると天を仰いだ。
水中で、彼は一瞬自分が死んだときのことをフラッシュバックしていた。
「なぜ、自殺なんてするのでしょうね。生きたくても死んでいった者たちもいるというのに……」
思わず安吉はそう言った。
小春はそれに、安吉と同じように空を見つめて口を小さく開いた。
「そうですね。私も同意見です」
そう答えた小春の表情はどこか清々しかった。
「さぁ、お食べなさい」
「ありがとう、ございます……」
その後、やせ細った女性を宿に連れていき、介抱するとちょうど夕飯時になっていた。
そこで小春はこの女性に粥を与え、共に夕飯を摂ることにした。
「拙者もこのような場所にいてよろしいのですか?」
安吉はすこしおどおどしながらそう尋ねた。
宿自体は小春と安吉は同じ宿に泊まっているが部屋は違う。
現代でなくても未婚の男女が同じ部屋で護衛もつけずにいるというのはどうなのだろうか。
そう思わずにはいられない安吉だったが小春はクスリと笑い両手を広げた。
「安吉様にそれだけの気概があるのなら、どうぞ」
嘲るようにそう言った小春に安吉は何もできなかった。
据え膳食わねばなんとやらと言うが、その膳には毒が仕込んである。
恐らく今小春を襲えば明日我が胴と頭が離れているだろうなと思った安吉は「拙者は臆病者故」と笑った。
「して、お名前は何というのですか?」
粥を口に運びながら小春はそう尋ねた。
女性は小さな声で「みつ、と申します」といった。
やはりというべきが苗字が無いようであった。
だとすればどこかの商人の娘が妻か。
「なぜあんなことを?」
安吉は思わずそう尋ねてしまった。
思えばそれは失策であったかもしれないが、尋ねずにはいられなかった。
みつはその問いに一瞬戸惑ったが、ポツポツと語り始めた。
自分は京の周辺にいたが最近の戦乱で両親を失いこの堺に身売りされたこと。
身売りされた先は着物屋であったが、近年は公家たちが貧乏になってきたこともあり、まったく売れず、一家離散。
他の仕事先も見つけられず日々の生活に困窮するありさま。
それならば身投げしてしまえと思い立ったそうだ。
「……仕事先が欲しいのですね?」
話を聞き終えた小春はそう尋ねた。
驚きの問いにみつは目を見開いて、食い気味で「はい!」と答えた。
「仕事先は紹介してあげますが、故郷に帰れるとは限りませんよ」
「父も母も死にました。故郷に何もありません」
小春の問いにみつは彼女をまっすぐ見つめてそう言った。
「作法に厳しいかもしれません。仕事も多く忙しいですよ?」
「救っていただいたお命です。何があっても与えられた仕事を勤めてみせます」
小春の脅すような問いにもみつは戸惑うことなくそう言った。
安吉はその姿に恐ろしさすら抱いた。
この時代の人間は生きるためなら何でもする。
そう感じたのだった。
みつは命を投げ出したがそれは万策尽きたからだ。
あの堺で盗みを働くことなんて不可能。
そんな街で職を失った彼女は死ぬしかない。
だが、目の前に職があれば何であろうと勤めるという。
(末恐ろしい)
安吉はそう思った。
対して小春は、みつの表情をゆっくりと眺めながら思案していた。
だが、数秒後には口を開いた。
「では、私の侍女になりませんか?」
小春の問いにみつは目に見えて動揺した。
そして、震える声で小春と安吉に尋ねた。
「失礼ながら……。お二人はどのようなお方なのですか?」
突然侍女になれと言われても困惑するのは当たり前だ。
「大山祇神社の神主、大祝安舎の娘。小春です」
そう言った小春にみつは目を見開いた。
神社の神主。
それはこの時代においては十分な権力を持つ人間であった。
みつは小春から視線を外し、伺うように安吉を見た。
「村上安吉と申します」
安吉の言葉を聞いたみつは首を傾げた。
どうやら村上海賊の名を知らないようだ。
そしてみつは恐らく安吉は小春の護衛だという結論にたどり着いた。
みつは息を吸い込むと神妙な面持ちになり、ゆっくりと口を開いた。
「……。小春様のお申し出、有難く受けさせていただきます」
そういって頭を垂れたみつに小春は微笑んだ。