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精神の果て  作者: 村街マイク
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第二話 鮭とカップルと私

 デパートの屋上から魚の切り身が大量に降ってきた。私は幸いにも切り身の直撃から逃れていた。


 私はネクタイを新調しようと、電車を何度も乗り継いで知る限りの一番大きく有名なデパートに向かった。はじめての土地にも関わらず、道に迷うこともなくあっさりと目的地に着いた。

 デパートはどのビル達よりも高く、そして傲慢かつ荘厳に私を見下ろしているようだった。そんなビルを眺めていると周りの人々が小走りに移動を開始した。ビルの影に入る者や、地下鉄への階段を下るもの、バス停には人が押し合いながら並び出した。

 私は周りの変化に目を回していると、逃げ遅れたかのような老婦人が傘を開いて私に手招きをした。私は老婦人の意図が読めずに首を傾げた。老婦人は私を見捨てるようにゆっくりと歩き出した。その時だった。べちゃつと何かが地面に衝突する音がした。続いて、べちゃっ、べちゃつ。音が連なった。音のしたところを確認すると、そこには平たく潰れた魚の切り身が落ちていた。私はさらにしゃがみ込んで魚の切り身を見た。身の色は赤く、皮は銀黒かった。どうやら魚の正体は鮭だ。この鮭はどこから降ってきたのかと天を仰ぐと、デパートの屋上から降ってきているようだった。べちゃべちゃと又も降り落とされてきた鮭が潰れていった。

 私はあまりの事に動けなくなってしまい、その場に立ち尽くした。鮭の切り身が直撃しても最小限の被害で済むように手で頭を抱いて、鮭が行き過ぎるのを待った。


 どれくらいの時間そうしていたのか。私が金縛りから解放される合図はべちゃべちゃと音が止んでから、すぐにごんっと鈍い音がした瞬間だった。そこには切り身の鮭ではなくて、丸々一匹の鮭が衝突した半身を潰して横たわっていた。

 「やるじゃないか!」

 「ラッキーボーイだ」

 声をかけた二人組が朗らかに親指を上に向けた。私は軽く会釈した。二人はお揃いの格好をしていた。黒のズボンに黒のスニーカー。黒の革ジャンを着ていた。違いは革ジャンの作りで、シングルのライダースかダブルのライダースくらいだった。髪型も違っていた。シングルは長髪で肩まで髪を伸ばしており、ダブルはモヒカンで赤く髪を染め上げていた。

 関わり合いにならないほうがいいと判断して二人に背を向け、デパートの入口に進んだ。

 「どこに行くのラッキーボーイ?」

 「これはお前の物なんだから持って帰って食べなくちゃ。なかなか無いぜ一匹なんて!」

 振り返ると、シングルが尻のポケットから白いビニール袋を取り出して、半身の潰れた鮭の口に指を突っ込んで持ち上げて袋に押し込んだ。ダブルも同じように袋を取り出して、潰れた鮭の切り身を数切れ拾ってからぎゅっと袋の口を縛った。

 「鍋にでもしろよ、ラッキーボーイ!」

 シングルが私に鮭の入った袋を手渡してきた。私は拒否することができずに、なすがままにそれを受け取った。

 「今日はついてる、お前ほどじゃあないけど、それでも俺にはこいつがついてるからな!」

 ダブルが上機嫌で私に笑いかけた。

 「やめろよ、ラッキーボーイが羨ましそうに見てるだろ。初対面の前で惚気るのはよしてくれ」

 シングルは頬を火照らせながらダブルに熱い視線を送っていた。

 「聞いてくれよ。俺達は一度別れたんだ。本当は女が好きなんじゃないかと俺自身が血迷っちまってさ。それから何度も寄り道したけど違ったんだ。俺は女も男も好きじゃない。こいつが好きなだけだってな!」

 私は返事に困り、大袈裟にうんうんと頷いてみせた。

 「やめてくれよ本当に、こんな話聞きたくないよなラッキーボーイ」

 シングルは裏腹に接したのがわかった。その態度が実に女性的でいじらしく私は足を止めることにした。

 「どうぞ続けてください」

 私の返答に「もう」 とシングルは裏腹な表情を引きずり、ダブルはそうこなくてはと二人の歴史の断片を語り出した。その話はカーペットに溢したコーヒーの染みを素晴らしい柄だと額に入れて飾るようなものだった。

 「実はお前は知らないと思うけど、今日は俺達の復縁記念日なんだ」

 「そうですか。それはおめでとうございます。復縁一周年くらいですか?」

 「馬鹿言うなよ! 二ヶ月記念だよ」

 ダブルはシングルの頬にキスをした。シングルはダブルを叱るような目つきをした後に、冗談よという風に目を一度閉じて私に同意を求めた。

 「二ヶ月おめでとうございます」

 それ以上の言葉が出てこなかった。この言葉以外の言葉が存在していないのではないかとさえ感じるくらいに口籠ってしまった。ダブルは次の言葉を待っていた。しかし黙る私の代わりにシングルが口を開いた。

 「俺はこうなるって知ってたんだ。わかるか? ラッキーボーイ?」

 私は嘘偽りのない気持ちで答えた。

 「いえ、ちっともそれはわかりません」

 「じゃあ教えてやるよ」

 なぜかダブルがシングルの話を引き継いだ。

 「俺は沢山浮気したんだ。そしてこいつを悲しませた。でもそれは悪いことだけど今は正しい行いだったと確信している。二人の為に必要だったんだ。身を切るような思い。お前の持っている鮭と俺の持っている鮭の切り身みたいな関係さ。わかるか?」

 「はい、なんとなく雰囲気は伝わってきました」

 返事に気を良くしたのかダブルは饒舌に語る。

 「それでだな、そんな俺をこいつはじっと耐えながら待ってたんだよ。いつか必ずその日が来ると信じて。普通ないだろそんなこと? ええっ? 俺のして来たことは全て裏切りなんだぞ? 普通怒るだろ? 怒るよな? 俺なら怒るぜ、怒り狂うぜ、でもこいつは怒らないんだ。笑うんだよ。そのツラ見たら俺も笑えてきてさ。この先も多分俺は裏切るぜ? でも大丈夫って笑うんだよこいつは! わかるか? どうしてこうなったか?」

 ダブルは熱い抱擁をシングルにした。持っていた袋がばさっとアスファルトに落ちた。私は抱擁が終わるのをデパートの外観を眺めながら待った。

 「おい、どこ見てんだよ、答えろよ」

 抱擁を終えたダブルが私に問う。

 「いや、デパートの方を見ていました」

 「そうじゃない、どうしてこうなったかわかるか? って話の続きだよ」

 私は安易すぎる答えを書き込んだ。

 「愛ですかね、それは愛でしょう。もしあなたが違うと否定されても間違いなく愛じゃないでしょうか? それ以外に考えられないし、それ以外にありえない」

 「わかってるじゃないかお前。俺はついに辿り着いてしまったんだ。誰もが追い求めるが辿り着いた者はいないその境地に」

 「おめでとうございます、羨ましい限りです」

 私の解答が気に召した様子のダブルは落とした袋を拾って腕を伸ばしながらストレッチをするように体を捻った。

 「他に聞きたいことはないのか?」

 まだ私を解放する気のないダブルが質問を要求してきた。話を切り上げる為に大きく話を逸らした。

 「そうですね、今更ですが」

 「いいぜ、今とても俺は気分がいいからお前にはなんでも教えてやるよ」

 「助かります。なぜ魚の切り身がデパートの屋上から降ってくるのでしょうか? 周りの皆さんも周知の事実のようでしたし、いつものことなのでしょうか?」

 ダブルはどこか誇らしげに鼻で私の質問を笑って教えてくれた。

 「いつもではないな。ただおおよその日時は決まっている。なぜ降ってくるのかはデパートの方針だろうぜ。客寄せの一種だ。欲しい奴は拾えばいいし、要らない奴は無視して屋根のある所に避難すればいい。常識だろ? お前はもぐりか?」

 私は理解したふりして、お礼の言葉を口にした。

 「色々と貴重なお話をありがとう」

 「気にするなよ、俺は今日、記念日で気分がいいんだ。じゃあ又ここで会おうぜ。俺たちは帰って焼きにするかな」

 「ラッキーボーイは鍋にするといい。寄り道せずに真っ直ぐ帰れよ。鮮度が命だからな」

 「はい!」

 二人は肩を寄せ合いながら人混みの中に混ざって行った。私はデパートでネクタイを購入する意欲を完全に喪失してしまっていた。そしてダブルの忠告通りに真っ直ぐに家路についた。


 家に着いた私はさっそく鍋に湯を沸かして半分潰れた鮭を水洗いしてから煮ようとした。湯に鮭を投入する時に、どうでもよいことに気づいてしまった。これはおそらく鮭ではなく鱒ではないかと。

 空から降ってきた鮭を煮て食べようという気にならなかったが、ダブルの言う通りに煮てみようとは思った。鮭ではなく鱒ではないかと知った時に、一口だけ食べようと私は思ってしまった。なぜそう思ったのか? 

 私は鱒の水煮を作り一口食べた。その後、もう一口とはいかなかった。ほとんど味がしなかった。そしてその後、激しい腹痛の末に腹を下した。


 僕は手帳に記された文字をここまで読んだ。ぱらぱらと捲るとまだ書き込まれていた。これは誰かの日記なのだろうか。それとも創作物なのだろうか。


 僕は人が見たら顔を背けるような醜悪な笑みを浮かべているだろう。忘れ物をこっそりと持ち帰り、本来あるべきではない物を手にしている背徳感、いや背徳感に酷似したものだ。それを隠さないでいる。


 続きを読む前に温かいココアを淹れることにした。湯が沸くまで読んだ文字の意味を考えていた。けれど、どうしても僕の中に答えは見出せなかった。それでも続きが気になってしまっていた。


 

 

 

 鮭と鱒の違いは生物学的区分は曖昧だそうです。ネット調べによる。やっぱりサーモンかなー僕は。

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