婚約破棄の途中ですが、特殊清掃代を頂戴します
タイトルにある「特殊清掃」は現代でよく使われる意味合いとは違いますので、あらかじめご了承下さい(プラス料金的な感じです)。
婚約破棄、かしこまりました。その方に御子が出来たのでしょう?
なんで知ってるかって、それはそうでしょう。
貴方は王族なのですから、当然のごとく常に影がついております。
貴方がたの行動は記録が取られております。
――26回。普通に考えてそれだけ行えば御子が出来てやむなしですわね。
しかも場所もどんどん躊躇いもなく校舎内をお使いになって。先ほどの数字のうち17回は学院内です。
生徒会室、音楽室、保健室、温室、屋外はまあいいですけれど、図書館の自習室は防音機能がないので、後から工事をしたのですよ。
一番不快でしたのは、セキュリティのためにわたくしたち――要するに王族に準ずる者が利用を求められる昼食用の個室での行いですわね。
不衛生極まりないですわ。
ええ、わたくし今まで自分が潔癖症であるなど思ったこともなかったのですが、食事スペースでというのはどうにも耐えられず、壁紙から何から全て取り替えをいたしました。
え、ただのリフォームだと思われていたのですか?
貴方がたが行った後に工事が入ることをそんな風に思っていらしたのですね。ふうん。
だって嫌ではないですか、何が飛び散ってるか分からない椅子に座るとか。その他諸々と。
ええ、わたくし、貴族令嬢としては少々おかしなことに、アルジャーノン殿下の婚約者でいるうちに清掃スキルが飛躍的に上がりましたの。とてもよく除菌できるスプレーや洗剤なども開発しましたのよ。
はじめは殿下の汚れも控えめだったので、わたくし自身で拭いていたのですが、この頃はあまりにも汚くされるものですから······。
たとえわたくしが入らない場所でも他の生徒さんがうっかり汚いものに触ってしまったらお気の毒でしょう?
ですから、通常の汚れの場合は全て殺菌除菌し、使用した家具は予備のものに取り替えていましたが、それも膨大な数を行ったのですよ?
激しい汚れ、特殊な汚れの場合はそれにプラスして床や壁紙の張り替え、カーテンの煮沸消毒などなど徹底して行いました。
そうしましたら学院の清掃予算をすぐに超えましたの。今まではわたくしと王家で負担してきましたが、婚約破棄ということでしたら、この分はお二人で補填してくださいましね。
わたくしが勝手にしたことだから払わない?
いや、貴方が勝手にしたことですわよ?
婚約者がいながら不貞して、学院のあちこちを特殊清掃しなければいけないほど汚して、人前であんな事していれば、それはそうなりますわよ。
はい? 人前? 今更そこに突っ込むのですか?
ですから貴方は王族。常に影がついています、と先程も言いましたわよね?
影が見ていることを知りつつ、そのような行為を26回もなさった。
それは見られること前提での行いですわよね?
違うのですか? あらまあ、わたくしたちは皆貴方がたがそれを好むタイプなのだとばかり。
だって王族の落し胤など政変の好カードになってしまいますでしょう?
その可能性がある行為は当然上層部に情報共有され、監視体制も強化されますわよ。
もちろん、影はマリア・ボブソン男爵令嬢にもつきました。
何を驚いてらっしゃるの? そりゃあ婚約者がいる王族となれあう神経の持ち主なのですから、当然非常識な人間として王家の調査は入りますわよ。
政治的思想はどうなのか、家庭環境はどうか。アルジャーノン王子殿下に近づいた理由や、それ以外の私生活も監視しますわよね、要注意人物として。
アルジャーノン王子殿下にもしものことが起こらないよう、この半年避妊薬を食事に混ぜていましたのに、······ボブソン男爵令嬢が妊娠されるなんてねえ。
彼女が親しくしていた高位貴族家のご子息がたの家でも、同じように避妊薬を飲ませていたようですのに。
ええ、影の報告を受けていた王家では、おそらく平民の恋人のどなたかだろうと推測をされておりますよ。
ええ、婚約破棄、賜りました。
アルジャーノン殿下ご自身には薬剤による殺菌清掃が行えないので、このまま婚姻となったら衛生的に辛いと思っていたところですので、わたくしもホッとしております。
そちら有責での婚約破棄に伴う慰謝料はアルジャーノン殿下宛に、それからわたくし負担の清掃費につきましてはお二方に折半していただくのでよろしいですか?
清掃のための人件費も馬鹿にならなかったでしょうから、学院側の経費もこれで落ち着きますわね。
ご自分たちの愛を汚いものみたいに言うな、ですって?
通常の学院生活ではありえない事態に際しての清掃なのですから、特殊清掃扱いにするのは当然です。
ボブソン男爵令嬢、もし貴方の保菌しているものが他の方に移ったらどうするのです?
真面目に学院に通う方たちが感染したら?
え、保菌、感染ですか?
ええと、妊娠された時に母体検査を行って、診断書が出ていると思うのですが。医師から説明を受けてらっしゃらないのですか?
それをよくよくお読みになって、今後の対応を進めるのがよろしいかと思いますわ。
――それでは清掃代、お支払いお願い致します。特殊清掃手数料込みですので、割増料金で算定しております。ご了承下さいませね。
◇ ◇ ◇
ミルティーナ・バース侯爵令嬢は、学院卒業式にて突如として突き付けられた婚約破棄騒動においても慌てず対応し、その身に降りかかるかもしれなかった瑕疵や汚泥を見事に清掃した、と高く評価されたことは皆様の記憶に新しいことと思う。
何より令嬢自身も王子殿下の婚約者という立場で、常に多くの監視がついて回るという不自由があったにも関わらず、広い視野を持って一人冷静に行動したのは大変素晴らしいものだ。
アルジャーノン王子殿下やその他の者に対しても、必要とあらば何ら臆せず自身の意見を述べ、事前に危機に際して対策を練っていたというのだから、我が国としてもさぞ未来の王子妃として期待が大きかったことだろう。
令嬢自身も王子妃としての自覚をもって多くを学び、先を見据えていたはずなのだ。常に注目される日々。最高峰の教育。自由を削り、年頃の娘らしい楽しみも堪えて、そうして私欲を捨てて王族となる覚悟を育てていっただろうに。
だが、元々王族であるところの王子殿下がその覚悟を持たず、軽率に一介の男爵令嬢に入れ揚げたため、彼女の未来図はあえなく書き換えられることとなった。
在院中のアルジャーノン王子殿下の行動がよろしくないということは、もちろん王家も把握していた。ただ『治世者としての資質を見極める期間』として静観の姿勢を見せていたようだが、それはいささか怠慢な放任であったと言うべきであろう。
現にミルティーナ・バース侯爵令嬢の学院生活は、それらのために更に過酷なものになったようだ。愛しいと思うはずの婚約者がどうにも臭いし汚いと感じたのだという。
月に一度の婚約者との茶会も吐き気を堪え、同席しても菓子も茶にも口を付けたくない。極力王子殿下に触れないようにしたくとも、エスコートを拒絶も出来ない。苦肉の策として、貴婦人に人気の肌が透けるレースではなく厚手のサテングローブを自作して、使用後は毎回煮沸消毒していたらしい。
バース侯爵家によると、元々は令嬢の幻臭が消えて穏やかに生活出来るようにと、敢えて令嬢の目の前で清掃することに心を砕いた侍女の献身が始まりだったという。
令嬢のストレスが軽減されるように、過剰なほど清掃する。汚れが清められるのを実際に見せて、それで気持ちが落ち着くのなら重畳。
そうして始めたことがまさかビジネスになるとは、とバース侯爵は謙遜して語るが、娘への愛が素晴らしい清掃技術を生み、そして彼こそが近年の一大清掃ブームを創り出した立役者なのだ。
最近ではミルティーナ・バース侯爵令嬢が愛用していたグローブも人気だという。彼女と同じ厚手グローブを身に着けることで、婚約者や夫の不貞を牽制する意味合いとなるらしい。こちらの売れ行きもなかなかのものなのだろう、店にはいろいろなカラーのグローブが取り揃えてあり、多くの女性が手に取っていた。
醜聞に塗れたアルジャーノン王子殿下は、いまだ謹慎中だという。再教育を施していると聞くが、この度の王家の対応は遅きに失したという印象が拭えない。
そして件のマリア・ボブソン男爵令嬢だが、ただの恋多き娘との判断が下された後、病を得て隔離施設で療養しているようだ。その他にも彼女と関わりがあったとされる男性数名も入院しているとのことなので、推測の域を出ないが、彼らの身には何かしらの感染症が生じたのではないかと思われる。子は親を選べない。まもなく生まれる彼女の腹の子が健康に生まれることを祈るばかりである。
数々のヒット商品を世に送り出したミルティーナ・バース侯爵令嬢の現在はというと、献身の侍女とともに、殺菌作用の強い石鹸やうがい薬なども開発中だという。その他、清掃と模様替えを兼ねて多様な壁紙やカーテンも取り揃えた新店舗もオープンを控えているとのことなので、今後も令嬢の生み出す商品には要注目である。
――アレンビー・ジャーナル紙(文責:ベンジャミン・フレイ)
◇ ◇ ◇
「父上、商会の宣伝記事にかこつけて、新聞社に随分色々口を滑らせましたね」
「いや、ベンジャミン・フレイ卿の下調べ自体が相当なものだったのだよ」
「たしかによく当家や商会に来ていましたけれども」
「あれは······あれだ」
「父上、それでは何にも分かりませんよ」
「もうまもなく! フレイ卿が求婚状を持って来る、ということだ!」
「あー。彼もミルティーナに落ちましたか。最近のあの子は表情も柔らかくなって、キラキラしていますしねえ」
「嫌だ嫌だ。ようやくあのボンクラ王子から解放されたというのに、結局すぐ嫁に行ってしまうかもしれん」
「でもフレイ卿ならいいじゃないですか。年も程よく、同じ侯爵家でありながら王家に与する家でなし。嫡男ではないけど、あの家にも余っている伯爵位があったでしょう?」
「そうだから断れない。ミルティーナも彼に会うと嬉しそうにしているからな」
「私は賛成ですよ。今度こそ妹には幸せになってほしいし、彼自身が元々新聞社に勤める職業人だ。ミルティーナが商会の仕事を続けるのも容認してくれるのではないですか?」
「だから断れないと言っただろう! アルジャーノン殿下の再教育が終わったら、またミルティーナが狙われる動きがあるから、早く自分と婚約させてくれとか言ってくるのだぞ! このわしに!」
「有益な情報かもですが······」
「脅しのようだろう! だがその線は現実問題として消えていないのだ。だから彼の言う通りにするのがよいのも分かっている。分かってるのだが······ちょっとあれなんだ」
「ちょっとあれ?」
「癪に障るっていうかな。ポッと出てきた男に娘をかっさらわれるのも、なかなか」
「父上はミルティーナを政略に使うんではないのでしょう? ならば彼女に決めさせればいいではないですか。相性云々は当人が最も分かるのですから」
「そうだがなあ······そうなんだがなあ」
「もしもフレイ卿から不貞臭がしたら、ミルティーナは近寄りませんよ。笑顔で話してるんですから、彼は誠実な男ってことなんでは?」
「うむ、そうだな······。あーあ」
「溜息はやめてくださいよ。もうすぐミルティーナが帰ってきますからね。それにそういうの母上に嫌われますよ!」
「それは困る!」
「その代わり、いつかフレイ卿から不貞臭がしたら、ボコボコにしてやりましょう! 我が家の大切なお姫様を娶ったからには、ノー不貞! バース家に悪臭野郎は絶対にお断りですからね!」
「······よし、今から体術を学び直すか」
「その意気ですよ、父上! ······あ、今日のミルティーナはフレイ卿と一緒だったのですね」
「バース家の敷地内だというのに、二人の間に甘い空気が漂っている······だと! 許せんフレイ卿め、少しは遠慮して臭くなれ!」
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