26:魔獣襲来①
公爵領に戻ると、スノウは次期後継者として仕事に励む忙しい日々にまた戻った。
先日目撃情報が上がった魔獣がまだ見つかっていないのもあり、朝早くから領地中を駆け回っているらしい。その合間にホロウェイ伯爵の研究室から見つかった資料を確認しているようで、彼の部屋の灯りは夜遅くまで点っている。
私よりずいぶん睡眠時間が短いので、スノウの体が心配だ。
何か彼の役に立ちたい。でも、今の私では魔獣討伐は無理だ。
せめて研究資料の確認を私に任せてほしいとスノウに伝えてみたけれど、「気になることがあるので、僕に先に読ませてください」と言われてしまう。
スノウに懇願されてしまうと、強く出られない。研究資料だって彼の実父のものなのだし。
そういうわけで私は相変わらず、出戻り娘暮らしを送っている。
「でも、こうやってのんびり過ごすのにも飽きましたわ……」
私の溜息混じりの独り言に、アンネロッテが反応する。
「では、街へ遊びに行かれては? エングルフィールド公爵領内は安全ですし、領民たちもルティナお嬢様にお会い出来れば大変喜びますよ!」
城に上がる前は、領内のあちらこちらに赴いて、よく領民たちと話をしていた。私は知りたがり屋で、本や教師の知識だけでは飽き足らず、領民たちの生活の知恵を聞きたかったのだ。
そういえば領地に戻ってから、お見合いやらスノウからの求婚やらで気持ちの面で大忙しで、新しい知識に触れていない。
街へ出て、誰かと話すのも楽しそうだわ。
「そうですね。出かけましょうか」
私はアンネロッテの提案に頷き、街へ出かけることにした。
▽
街に行くのは、スノウと買い物に来た以来だ。あの時は老舗の高級店が並ぶ目抜き通りや新しい商業地区を回ったので、今日はその先にある、平民が暮らす地区へ馬車で向かうことにする。
「久しぶりにパン屋の店主やおかみさんに会いたいわ。私がいない間にどんな新作パンが増えたかしら? たくさん買って、屋敷の皆のお土産にしましょう」
「あそこのパンはとても美味しいですから、使用人一同喜びますよ。ありがとうございます、ルティナお嬢様!」
しかしパン屋に到着すると、いつもは賑わっている店前には人気がなく、扉も閉まっていた。
「定休日だったかしら?」
「いえ、このパン屋の定休日は週末だったはずです」
「じゃあ、どこかに家族でお出かけとか、体調が良くないとかかしら……?」
私とアンネロッテが顔を見合わせていると、店の横から「おや! ルティナ様! 領地にお戻りになったと聞いていましたが、店に顔を出しに来てくださったんですね!」と、人の良さそうな店主が顔を覗かせた。その後ろから、ふくよかなおかみさんも現れる。
どうやら家族でお出かけというわけでも、寝込んでいるわけでもなかったらしい。
それなら、どうして定休日でもないのにお店が閉まっているのかしら?
「お久しぶりです。店主もおかみさんもお元気そうで良かったわ。ちょうど今遊びに来たら、お店が閉まっていたので驚いていたところです」
「あぁ、それは申し訳ございません、ルティナ様。俺も連れ合いもすこぶる元気ですよ!」
「ルティナ様もお変わりなくて何よりです。本当ならルティナ様が帰られたという噂を聞いた日のうちに、お屋敷にパンを届けたかったのですけれどねぇ」
「何かありましたの?」
「先日から領地のあちこちで目撃情報が上がっている魔獣のせいですよ。風車小屋の近くでも目撃されたらしくて。まだ騎士団から討伐達成の報せがないので、風車小屋の奴らが怖がって小麦を挽く時間を短縮してるんですよ」
「あぁ、第一の領門近くにある風車小屋ですね」
魔獣から領民を守るために、街は第一の領門の中にある。その先は農地や牧草地があり、第二の領門がある城壁で守られている。
風車小屋は騒音問題があるのと、農地から収穫した小麦を運び込む利便性を考えて、第一の領門の近くに建てられている。各家が風車小屋まで小麦を持って行って、職人たちに使用料を払って粉を挽いてもらう、というスタイルだ。
もちろん製粉された小麦粉を売っているお店もあるけれど、農民の数が多いので風車小屋の利用客は多い。
職人たちが魔獣を怖がって勤務時間を減らしているとなると、小麦粉が手に入らずに困っている領民も多いでしょう。
騎士団の見回りが強化されているはずなのだけれど……。
でも、魔獣が討伐されるまでは、職人たちも仕事に専念する心境ではないのかもしれないわね。
そんなことを考えていると、店主とおかみさんが真剣な表情でこちらを見つめてくる。
「ルティナ様、風車小屋の奴らにぜひお声をかけてやってくれませんかね? ルティナ様のお言葉なら、奴らも勇気づけられて、小麦をきちんと挽く気になるかもしれません!」
「そうですよ。ルティナ様が来て下さったら心強いですもの」
もしかすると領民たちは、私がアラスター殿下に婚約破棄されて領地に戻ってきたことは知っていても、魔力が激減してしまったことまでは知らないのかもしれない。
それで、私という戦力が風車小屋に向かえば、職人たちがいつも通りに小麦を挽くことが出来ると考えているのでしょう。
「あの、店主とおかみさん。私は……」
私は婚約破棄された原因を説明しようとしたが、二人の会話に遮られた。
「俺たちだって、いつまでも店を閉めておくわけにはいかないものな」
「ええ、そうよ。今は少ない小麦粉と芋やコーンミールでしのいでいる家が多いけれど、うちのパンが食べられなくて困っているお客さんがたくさんいるもの」
私は公爵令嬢なので普段の食事にパンが出ているけれど、領民たちは小麦粉が品薄だから、すでに他の主食で食いつないでいたらしい。
この状態が続けば、さすがにお父様やスノウが動いて、風車小屋の職人たちに小麦粉の生産を急がせるとは思うけれど……。とりあえず暇な私が状況を確認に行ったほうがいいかもしれないわね。
「わかりました。一度、風車小屋を見に行ってみますわ」
「ありがとうございます、ルティナ様!」
「小麦粉が入ったらたくさんパンを焼いて、お屋敷にお届けいたしますね!」
店主とおかみさんに見送られて、私は馬車を風車小屋のほうへと向かわせた。




