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2:エングルフィールド公爵家



 私は馬車に揺られながら、これからの身の振り方を考える。

 正直この三ヵ月ほど、突然の魔力量低下に私自身混乱しているというのに、私以上に混乱した周囲の人々から『一体何故こんなことに!?』『心当たりはないのですか!?』と詰め寄られて、医師や研究者をたらい回しにされ、アラスター殿下との破談のために王家と話し合ったり、ほうぼうに手紙を送ったりと、怒涛の展開が続いていて、精神的に疲れていた。

 実家でのんびり羽を伸ばしたいところなのだけれど……。

 そうもいかない理由が、私にはあった。


 ――一つ年下の義弟、スノウ・エングルフィールドが屋敷にいるからだ。


 現在十七歳のスノウは、エングルフィールド公爵家の跡取りとして父の補佐をしながら、領地に出没する魔獣を討伐し、領民たちからとても慕われている青年だ。

 身分の高さや見目麗しさから、同年代のご令嬢たちから熱い秋波を寄せられている。影では『氷雪の貴公子』などと呼ばれているらしい。


 そんなスノウは、幼い頃は私に懐いていて、とっても可愛い義弟だったのだけれど、ここ数年は大寒波レベルで冷たい態度を取ってくる。

 スノウに私の近況や屋敷の様子を尋ねる手紙(便箋で平均七枚)を送っても、『僕もお義父様も元気です』と一言しか返してくれない。

 ……私はスノウが心配しないように、『アラスター殿下や他の婚約者たちと仲良くなれましたよ』とか、『四人の王妃様たちから、妃教育の成績を褒めていただきましたよ』とか、逐一報告していたのに。


 上位貴族が集まるお茶会で久しぶりにスノウに会えた時はとても嬉しくて、私はアラスター殿下の隣から手をブンブンと振った。

 すると、スノウは綺麗な顔からすべての感情を消し去り、『そうやって他の婚約者たちと一緒になってアラスター王太子殿下を囲う義姉様は、まるで光に纏わりつく蛾のようですね』などと、とんでもない嫌味を言ってきた。


 城の夜会でアラスター殿下とダンスを踊っている時なんて、会場の端からジト~ッと睨みつけてきたりするなど、とことん私を嫌っている様子なのである。


 私がスノウに何かした記憶はないので、きっと反抗期なのだろう。

 彼が冷たくなったのも、そういえば私がアラスター殿下の婚約者に本決定した十四歳の頃からだったし。心に鋭いナイフを抱えることが多くなる年頃よね。

 もういい加減、反抗期を卒業してもいい頃だと思うのだけれど。


 ……なんて。スノウは反抗期継続中だと思い込まないと、とてもつらい、というのが私の本音だ。

 私自身は彼のことが義弟としてずっと可愛いままなので、本当は彼の冷たい態度に傷付いている。

 でも、スノウに『そんなにお義姉様のことがお嫌いですか!?』と真正面から問い質して、肯定されてしまったら、姉らしい態度なんて取れなくなってしまう。きっと子供のように泣いてしまうわ。


 ……どうしよう。エングルフィールド公爵家に帰って、スノウと上手くやっていける気がまったくしないわ。


 私は馬車の窓を覗き、刻々と領地に近付いていく街道の様子を眺めながら、深い溜息を吐いた。





 王家から派遣された騎士のお陰で道中の魔獣被害も問題なく進み、馬車旅から三日目の夕刻にはエングルフィールド公爵領の巨大な城塞が見えてきた。

 王家の紋章が入った馬車のため、商人や冒険者たちが並ぶ領門をさくっと通過し、最奥部にある山を目指す。

 山を切り開いたその頂上付近に公爵家本家の屋敷があり、中腹や麓には分家の屋敷群が続いているのだ。麓より先は領民が暮らす街が広がっていた。


 これからのことを考えると、非常に気が重い。

 手紙でやり取りをしていた父からは、体調を気遣う言葉をたくさんいただいていた。アラスター殿下との婚約破棄に関しても『それはもう仕方がない。ルティナの体のほうが心配だ』と言われてはいたけれど、やはり父をがっかりさせたと思う。

 それに、スノウから『出戻ってきたのですか、義姉様』と、きっと冷たい目で見られるであろうことも、非常につらい。

 何より、エングルフィールド公爵家実子の私が出戻ってしまったせいで、あの子の立場はさらに複雑になってしまう。

 ……ますますスノウから嫌われそうで怖いわ。


 キリキリと痛む胃をドレスの上から撫でつつ、私は覚悟を決めて馬車から降り立ち、屋敷の玄関へと向かった。

 すでに使用人たちにも私の現状が周知されているらしく、玄関扉を開けてくれる従者から「おかえりなさいませ、ルティナお嬢様。すでに公爵様が玄関ホールでお待ちです」と、こちらを気遣う様子で告げられてしまい、申し訳ない気持ちになってくる。

 スノウに冷たくされるのも怖いけれど、父や使用人たちに心配をかけているのも心苦しいわ……。

 でも、もう帰ってきてしまった以上は引き返せないもの。

 魔獣討伐の時と同じく、女は度胸よ!

 私は明かりの灯った玄関ホールへ足を踏み出すと、「ルティナ・エングルフィールド、ただいま王都より帰還いたしました」と、思いっきり頭を下げた。


 すると、真正面から甘く低い声が聞こえてきた。


「おかえりなさい、義姉様。王都の城まで迎えに行けなくてごめんなさい。本当は迎えに行きたかったのですが、ちょうど領地の外れに魔獣が現れまして。討伐に出ていたのです。これでも急いで魔獣を倒して帰ってきたんですよ。義姉様を迎えることが出来て良かったです。とりあえず顔を上げてください」


 促されるままに顔を上げると、目の前に、朝日に照らされた雪のようにキラキラ輝くプラチナブロンドと、流氷のようなセルリアンブルーの瞳が印象的な義弟の顔があった。


 ご令嬢たちから『氷雪の貴公子』などと持て囃されているのも頷けるほどの端正な顔立ちなのだけれど――…!今日のスノウは何故か、見たこともないような甘い微笑みを浮かべていた。


「???」


 一体どうしたのですか、スノウ?

 確かに私がアラスター殿下の婚約者に決まる前までは、スノウもよく頬を上気させた可愛らしい笑顔を見せてくれていたけれど。

 でもそれは、こんなに色気のあるものではなかったはずなのに。


「義姉様の魔力量が急に低下したと聞きましたが、体調のほうはどうですか? どこかに痛みとか、吐き気とかはありますか? 僕はすごく心配です」


 スノウはこちらを労わるような表情に変わり、私の手を両手で包み込む。

 たぶん医師でも、患者の手を握っただけでは相手の体調を見抜くことは出来ないと思うのだけれど、スノウはどうして手を握ってくるのかしら……?


「い、いえ。体調はいつも通りなんです。私はすこぶる元気ですよ」

「それなら良かった」


 スノウは本気でホッとしたように肩の力を抜いた。……私の手は握ったままだけれど。

 彼が思春期に入ってから、私たちの間にスキンシップ――家族らしいものも、ずっと二人だけの秘密だったあれ(・・)も――はなくなっていたので、スノウに触れられていると妙に居心地悪く感じてしまう。


 義弟のあまりの豹変ぶりに戸惑っていると、玄関ホールの奥から「ルティナ」と名前を呼ばれた。

 執事や使用人に囲まれて落ち着いた様子でそこに立っていたのは、父だった。


「お父様! ただいま帰りました!」

「おかえり、ルティナ」


 父はこちらを労わるような表情を浮かべて、私の頭を撫でた。

 たったそれだけで、胸がじーんと暖かくなる。


「今回のことはとてもつらかっただろう。今後のことは明日以降話し合うとして、今夜はゆっくりと過ごしなさい。もうじき夕食も出来上がるよ。ルティナの好きな料理を用意させたからね」

「ありがとうございます、お父様……!」

「スノウも、いい加減ルティナの手を離しなさい。きみの気持ちも分かるが、この子は移動の疲れもあるからね。これからはまた一緒に暮らすのだから、離れていた距離を埋める時間はいくらでもあるだろう」

「……承知いたしました、お義父様。義姉様、せめて部屋までは僕がエスコートしても構いませんよね? 疲れが出て、廊下の途中で倒れるかもしれませんし」

「流石にそこまで疲れてはいませんけれど……。ぜひお願いしますわ、スノウ」


 父はなんだか呆れたような表情でスノウを見ていたけれど、「まぁ、好きにしなさい」と言って、私をエスコートするスノウを見送った。

 私のトランクを持った従者が後ろからついてくる。


 殿下と婚約してから、スノウにエスコートしてもらえたことなど殆どないせいで、やっぱり妙にドキドキしてしまう。

 関わりの薄かったこの数年で彼の背も一気に伸びて、体つきもすっかり男性のものになったことも、緊張の理由だろう。

 昔からスノウはいつ魔獣討伐が入っても動けるように騎士服を着ていたけれど、それが今では随分様になっている。


 私がスノウを観察し過ぎたせいか、彼はこちらの視線に気付いて首を傾げた。


「どうしたんですか、義姉様?」

「いえ、その……。あなたの態度が随分と変わったな、と思いまして」

「……ああ、そうですよね。僕は今まで義姉様に出来るだけ関わらないようにしていたから、急な変化で戸惑いますよね」


 スノウの台詞に、『あぁ、やはり避けられていたのだな』と改めて思う。

 胸にグサリと来るものがあるわね……。


「僕と義姉様は血の繋がりはないから、嫉妬にトチ狂った僕がそれを言い訳にして行動を起こさないように、義姉様から離れたかったんです」

「……それはどういう意味ですか? あなたの主観に寄り過ぎていて、よく分かりませんわ。ちゃんと説明してください」

「いえ。鈍感な義姉様にはきちんと伝えたいから、今はいいです」

「どんかん……?」


 スノウの言いたいことが分からず首を傾げていると、タイミング良く私の部屋の前に到着してしまった。


 スノウは切なそうな表情を浮かべた。


「今まで冷たい態度を取っていてごめんなさい、義姉様。あなたを僕から守るためとはいえ、義姉様の心を傷付ける行為でした。義姉様が怒るのも当然だから、お叱りは甘んじて受けます」

「スノウ……」

「今は僕に対する好意はマイナスかもしれないけれど、これから挽回します。僕は義姉様に世界で一番優しくするし、大切にしますから」


 いえ、そこまでしてほしい訳ではないのだけれど。

 昔みたいに仲の良い義姉弟に戻れれば、私はそれで十分嬉しい。


 ……そうスノウに言いたいのに、彼の瞳があまりにも真剣で、私は余計なことを口に挟むことが出来なかった。


「えっと……。ありがとうございます、スノウ……?」


 なんと返事をすれば正解なのか分からず、とりあえずお礼を言うと。

 スノウは晴れやかに破顔した。


「義姉様がエングルフィールド公爵家に戻って来てくれて、僕は本当に嬉しいです」


 急にスノウのそっけない態度が激変してしまって戸惑ったけれど。これは、義姉のことを心配してくれたり、再会を喜んでくれたりしたことの結果なのかしら。

 ……それならすごく嬉しい。


「またスノウと仲良くなれて嬉しいです。これからよろしくお願いしますね?」

「はい。よろしくお願いします、義姉様」


 その夜は久しぶりに家族三人水入らずで夕食をとった。

 私の好物のカトプレバスのローストもあって、スノウが「これは今日、僕が討伐したんです。義姉様の帰宅に間に合って良かった」と言っていた。

 カトプレバスは牛のような見た目をしていて、お肉の味はすごく美味しいのだけれど、石化能力があるから討伐が大変な魔獣だ。高位貴族が討伐に出ても犠牲が出ることがあるので、高級肉扱いをされている。

 それだけスノウが頑張ったということだ。


「すごいわ、スノウ。あなたの活躍でこんなに美味しいお肉が食べられて、とても嬉しいです」


 私はスノウのことをたくさん褒めちぎり、楽しい時間を過ごした。




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