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婚約破棄された魔力無し令嬢ですが、塩対応だった義弟から実はド執着されていました  作者: 三日月さんかく


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16:独白①(スノウ視点)




 手の届かない人だと、最初から知っていた。


 ルティナ・エングルフィールドという令嬢のことを、僕は家族になる前から知っていた。

 そもそもエングルフィールド公爵家に連なる一族の中で、本家の一人娘のことを知らない者なんていないだろう。

 ましてや、公爵家の長い歴史の中でもトップクラスの魔力量を持ち、王家に嫁ぐ可能性が高いとまで噂されていたのだから。





 魔獣被害の多いオルティエ王国では、魔力量の多い人間が重宝されている。

 上級魔法を操り、『災害級』の魔獣を討伐する彼らの勇敢な姿は、人々の羨望の的だった。


 王都の魔法学校で教鞭をとっていた父も、自分の魔力量を増やしたくて日夜研究に明け暮れていた。

 母は毎日精一杯着飾って、観劇やお茶会などに出かけていたが、自分よりも華やかな暮らしを送っている貴婦人を見かけては、いつも妬んでばかりいた。

 そして「王都で優雅に暮らすためには、もっとお金が必要だわ。旦那様の研究が成功すれば、きっと王家から報奨金をもらえるわね。爵位も上がるかもしれないわ。そしたら、あの鼻持ちならない伯爵夫人よりも大きなダイヤを買って、自慢してやりましょう。あぁ、楽しみだわ」などと怖い顔で笑って、強欲な妄想に憑りつかれていた。

 両親とも、息子である僕の存在を忘れているようだった。


 ホロウェイ伯爵家での暮らしは寂しいものだった。

 両親と同じ屋敷で暮らしているのに食事もバラバラで、一緒に過ごしてもらえることは殆どない。

 金遣いの荒い母の皺寄せが僕の養育費にも及んでいて、家庭教師を呼ぶことが出来ず、僕は二人だけの使用人(年老いた執事と、その妻で年老いたメイド)から、読み書きや最低限のマナーを教わった。あとは父の書斎の本を読むことで、どうにか暇を潰して暮らしていた。


 そんなある日、父が魔法学校の研究室で魔力暴走を引き起こして亡くなった。

 かなり大きな事故だったらしく、城の人々が原因究明のために父の書斎から様々なものを押収に来たり、母に事情聴取をしていたようだ。

 僕はまだ五歳だったので蚊帳の外だった。


 母は僕を連れて、実家の子爵家があるエングルフィールド公爵領に戻った。

 実家で暮らすのは息が詰まるらしく、子爵家の別宅に移り、日夜恐ろしい顔で自分の欲望を叫んでいた。


「ああ! クソ! 忌々しい! 魔法学校の教授なら高給取りだと思って結婚したのに! こんな早く未亡人になるだなんて! 遺族への給付金なんかじゃ全然足りない! もっともっともっと! 最先端のドレスがほしいのよ! 流行の歌劇が観たいのよ! 大粒の宝石が、高位貴族にしか手に入らない化粧水が、貴重な香水が、滅多に出回らない茶器が、予約の取れないレストランで上等な食事が! 誰もが羨ましがる優雅な生活がしたいのよ!!!」


 僕はもはや、怪物と暮らしているような心地がした。


 しばらくすると、母は公爵様の後妻になる妄執に憑りつかれ始めた。


「そうよ! 私にはまだ若さがあるわ! 美貌もある! お寂しい公爵様を慰めて、後妻になるのよ! そうすれば前夫の時よりも、もっと! もっと!! もーっと優雅な暮らしが出来るわ!! なんていったって、四大公爵家ですもの!!」


 母は実家の伝手を使ってどうにか公爵様に近付いた。

 最初は笑顔の日が多かった母だが、次第にまたイライラし始めた。

 長い爪を嚙みながら、以前よりももっと醜悪な表情で不満を口にする。


「どうして、どうして、どうしてぇぇぇ? どうして公爵様は私をお選びにならないのぉぉぉ? そりゃあ初婚だったら、爵位の格差で結ばれるのは難しいでしょうけど、お互いに再婚よ? 一度は伯爵家と縁付いた私なら、男やもめくらい簡単に手に入れられるでしょう? なのに、なんで? なんでなのぉぉぉ!!? 私に悪いところなんて絶対にないのにぃぃぃ!!!」


 母はふと、居間の隅で読書をする以外にやることのない僕に視線を向けた。

 そしてハッとしたような顔を浮かべる。


「お前か! お前のせいなのね、スノウ!! お前の魔力量が平凡だから、公爵家の跡継ぎに相応しくないんだわ!! あぁ、母親の足を引っ張るなんて、なんて出来損ないなのぉぉぉ!!」


 母はそう叫んで僕の髪を引っ張り、何度も頬を打った。


 妄執に憑りつかれた者は、おかしな方向に努力をするものらしい。

 母は公爵様の後妻になれない原因を僕のせいにすると、父の研究資料を読み耽るようになった。どうやら『いずれお金になるかもしれないから』と、城からの押収の際に隠し通していたものらしい。

 しばらくすると、母は公爵家から氷結竜の魔石を盗み出した。

 その魔石を使って、母は六歳になった僕に魔力量増幅実験を行い――のちに『エングルフィールド氷漬け事件』と呼ばれる事態を引き起こしてしまった。





 実の両親にすら、取るに足らないものとして扱われてきた僕のことを、義姉様は危険を承知で氷の城に乗り込み、救ってくれた。

 その後も、後遺症で体調を崩してばかりいる面倒な僕に、わざわざ魔力譲渡の口付けをしてまで、生かしてくれた。


 まるで女神のような人。

 黄金を溶かして糸にしたように輝く金髪に、ルベライトのように濃いピンク色の瞳。人形のように整った顔立ちは一見近寄り難いのに、笑うと誰もが近付きたがるほど華やかな生気を帯びる。

 世界で一番綺麗なのに、どこまでもお人好しで、底抜けに優しい人。


 義姉様と一緒にいて、救われて、恋をしないほうがおかしかった。


 義姉様がいずれ王家に嫁ぐ可能性があることは、もちろん知っていた。

 嫁がずに済んだとしても、その場合は直系である義姉様が本家を継いで、高位貴族から婿を取るだろう。僕と結ばれる可能性などない人だ。


 現実なんて分かっていたけれど、僕の体に流れる愚かな両親の血が、僕に甘い夢を見せる。

 手の届かない夢に無理やりにでも触れたいと、僕の中で暴れている。

 両親を反面教師として築いた理性と、義姉様への恩が、身の程知らずな恋心をどうにか押さえつけてくれていた。


 それでも、義姉様が十五歳になり、王太子との婚約が決定すると、駄目だった。

 僕の恋心は牙をむき出して喚きたてる。『義姉様を僕から奪う者は許さない!』と。

 義姉様の送別パーティーの時も、平気な顔で立っていることなんてとても出来なくて、途中で抜け出してしまった。

 パーティー終了後にわざわざガゼボまで探してくれた義姉様に、

「もしも僕が義姉様に『一緒に逃げてください』と言ったら、どうしますか?」

 だなんて、予防線を張った言葉をかけてしまうくらいに、そしてその後に義姉様に八つ当たりするくらいに、恋心が表に出ようとしていた。


 義姉様が婚約者として城に上がるだけで、こんなに襤褸が出るなんて。

 この先、本当に義姉様が王太子と結婚してしまったら、僕は一体どうなってしまうのだろう?

 母のような怪物となり、父のように手を伸ばしてはいけない夢に足掻いてしまったら――もう、義姉弟でさえいられなくなってしまう。


 僕は義姉様と距離を置かなくてはならなかった。

 城に上がった義姉様から手紙が届けば、事務的に返信した。

 王家のお茶会でも素っ気ない態度を……取ろうとして、王太子と仲良くやっている義姉様に腹が立ち、言いがかりをつけてしまった。

 王太子とダンスを踊る義姉様を見た時は、激しい嫉妬に魔力をコントロール出来ず、手に持っていた飲み物を凍らせてしまった。あの時は我ながら、かなり怖い顔をしていたと思う。


 もっと心を殺して、義姉様に関わらないようにしないと。

 義姉様をほしがる僕の中の怪物が、暴れ出さないように。


 幸い、僕は公爵家の後継者として学ばなければいけないことが多かったし、義姉様がいなくなった分の戦力として魔獣討伐に参加したりと、忙しく過ごしていた。

 そのうち、あちらこちらの貴族から縁談を申し込まれるようになったり、王都に顔を出せば令嬢に絡まれるようになった。

 どうやら、義姉様のことを忘れたくて仕事に没頭している間に、『氷雪の貴公子』などという妙なあだ名をつけられていたらしい。

 結婚など、する気はない。

 僕はもともと分家の出で、お義父様が同情して引き取ってくださっただけだ。エングルフィールド公爵家は義姉様の子の誰かが継ぐべきだ。

 僕の持つ魔力だって、母の施した悍ましい人体実験がもたらしただけで、子供を作ったところで遺伝はしない。僕は種馬の価値もない男なのだ。


 城から聞こえてくる義姉様の素晴らしい功績や、王太子と仲睦まじそうな様子に、耳を塞ぎたいのについつい聞き耳を立ててしまい、勝手な嫉妬で苦しむ日々を送っていると。

 突然、お義父様から義姉様が領地に戻ってくると伝えられた。


「なぁ、スノウ。急にルティナが婚約破棄されて、領地に戻ってくることになったのだが……」

「……はい?」


 なんでも、義姉様は急に魔力を失ってしまい、未だ回復の兆しがないので、エイベル侯爵家のマデリーン嬢に婚約者の立場を譲ることになったのだとか。

 お義父様からの説明を呆然と聞きながら、僕が考えることは一つだけだ。


 義姉様が婚約破棄された。

 僕の愛しい女性は、もう誰のものでもない。

 王太子から婚約破棄されてしまった義姉様に、良い縁談は見つからないだろう。

 後妻や難ありの人物なら縁談が結べるかもしれないが、そんな相手とは義姉様も結婚したくないはずだ。

 ――もしかすると、僕にチャンスが回ってきたのかもしれない。


 僕の中の怪物が、『手の届かなかった人に、今こそ手を伸ばしてしまおう』と囁いていた。


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