♯9
礼央がくれたCDを聴きながら、部屋で勉強をしていた。
歌詞が入っておらず、まるで森の中にいるような、鳥のさえずり、木々のざわめき……。
――これ、リラックスできる音楽が入ってるんだって。隆夫くんに!
礼央の笑顔を思い出しながら、僕はノートに鉛筆を走らせた。進みは順調。
そのときノックの音がして、振り返ると、五条が姿を現した。
「隆夫様、旦那様がお呼びです」
親族会議や経営学の講義が行われる、屋敷内の会議室に僕は呼び出された。上座の位置には、父とその妹・那都芽おばさん。
「余計なことだと思ったのだけれどね。もし隆夫くんさえよかったら、考えてみてほしいの」
少し離れた僕の席には、学校案内のパンフレット。
「西の方に、大きな所有地があることは知っているだろう。欧立市――市政も学校行政も、綾瀬家が担っている。そこに那都芽が理事を務める学校がある」
「それが、欧立学園」
表紙に書かれた校名を、そのまま読み上げた。
「週六日制の一般的な学校もあるわ。逆に、籍だけ置いて、行っても行かなくてもいい学校もあるの。どちらも入学試験を実施しているから、誰でも入れるというわけじゃないわ。でも、隆夫くんの学力なら問題ないはず」
「……」
父と叔母は、僕に選択肢をくれようとしている。
今の学校に戻る気はないことを、知っているんだ。
「アキと、同じ学校ですか」
めくってみると初等科のページには、従妹と同じベレー帽の子たちが写っていた。
「大きな括りでは、そうね。このまちの学校は、すべて欧立学園」
「お答えするのは今じゃなくても?」
「もちろん。気が向いたらお返事をちょうだい、急がないわ」
一人でいたかった。誰にも会いたくなくて。
「仮に、那都芽の学校に通うことになれば、屋敷を出てあちらで暮らすことになる。遠方なのと、入学条件として市内または近隣の市在住であることが求められるからだ」
「うちに住むといいわ。娘も歓迎するでしょう」
「手を出させないよう、しっかり監視を頼むよ。何かあったら申し訳ない」
「あら大丈夫よ。うちの子、初恋は女の子だもの」
何か噛み合ってない。おばさんの中では、襲われるのは僕の方……。
「一人暮らし、などは?」
僕は父にたずねた。
「それでもいいが、家事はどうするつもりだ」
「自分でやります。料理と掃除ぐらい、覚えれば済む話ですし」
「少し乗り気になってきたか」
父はうれしそうだった。
もし僕が父の後を継がないのなら、この家にいる理由がない。遅かれ早かれ出ていかなければならないんだ。
転校そのものより、家を出る手段が気になっていた。
はい、と手渡されたマグカップを「ありがとう」と言って受け取る。砂糖たっぷりのミルクティー、礼央の好きなもの。
ここは従業員宿舎、谷口家の礼央の部屋だ。
「今日楽しそうだったね。五条さんも意外とやるんだ」
昼間、僕と和馬がテニスをしていたところに、私も混ぜろとアキが割り込んできた。それで、昔インターハイに出場したという執事を呼んで、ダブルスの試合をしたんだ。
「礼央を誘おうと思ったんだけど」
お使いに行ってるとかで、あのときは会えなかった。
「ぼくはだめだよ、あの二人のレベルについていけない。綾瀬家の遺伝子すごいもん」
四畳半の和室。机と本棚、たんすだけでかなりの面積を食う。座る場所は、布団一枚分しかない。
押し入れの前には、真新しい制服が掛けてあった。春から着る学ラン、もう買ったのか。
「礼央」
僕たちは唇を重ねた。
「今日は大事な話があって来たんだ」
「うん」
恋人は、覚悟を決めたような表情だった。
「転校する。遠い街に行くんだ。一緒に来てほしい」
「ぼく、置いてかれるんだと思ってた。転校の話は、五条さんから聞いて知ってたけど」
「一緒にいたいんだ、礼央と」
「……」
僕は礼央の頬を片手で包んだ。
「隆夫くんはぼくと、一緒になるつもりなの?」
「将来的にはそうするつもりだ」
結婚はできなくても、添い遂げることぐらいは。この国で同性愛は禁じられていない。
「だめだよそんなの。だって隆夫くんは、女の人と結婚して、子どもを作らなきゃ」
「礼央?」
今さら何を言ってるんだ。
「隆夫くんがぼくに愛情を示してくれるのは、会長さんになることを諦めているからでしょ。ならないといけないと思ってたときは、ぼくに冷たかった」
「それは……」
横柄な態度をとったこと、彼の気持ちを受け止めようとしなかったこと――全部後悔している。
「ぼくは隆夫くんに、ちゃんとお父さんの後を継いでもらいたい。だって考えてみて。隆夫くんが今までに受けてきた教育、すごくお金がかかってると思うよ。学校は私立だし、習い事だってたくさん。おやつもごはんも、贅沢な物を食べてる。それは全部、隆夫くんに会長さんになってもらうための投資。無駄にするなら、全額返さなきゃいけないよ」
今、礼央にこんな話をされるなんて思っていなかった。
「父さんか五条に、何か言われたのか。僕を説得しろとか」
「違うよ。これはぼくの意志。ぼくが隆夫くんに、会長さんになってもらいたいの」
「……礼央は、僕の気持ち分かってくれてると思ってた」
そりゃ、会長の長男として生まれて、能力不足で後を継げないなんてのは情けない話だけど。
「隆夫くんは、自信がないのと不安から、自分はふさわしくないと思ってる。違う?」
「……そうだけど」
自信なんてそんな簡単には。
「ぼくたちまだ子どもなんだから、これから成長のチャンスはいくらだってあるよ! それに、和馬さんもアキちゃんも、五条さんもぼくも、きみを支えたいと思ってる。だから、なってほしい」
「礼央……」
僕の手は礼央の両手に握られていた。
(こんなふうに力説されて、どうしたらいいのか)
だからって、分かったそうするとは言えない。
「ごめん。決めるのは隆夫くんだし、隆夫くんには隆夫くんの思いがあるよね。ぼくの一方的な気持ち、押しつけちゃってごめん」
礼央は僕の手を放した。
「いや……心配してくれてるんだし」
僕は礼央のいない方に顔を向ける。
(今日僕は何しにここへ来たんだ。欧立市まで、一緒に来てと頼むためだろう)
僕はもう一度、礼央の方を向いた。
「隆夫くん。ぼくは、執事になるからね。ここで隆夫くんを待ってる」
「礼央」
僕はその口をふさごうとした。
「だから行かないよ、きみと一緒には。好きだから、ついて行かない」




