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♯6

 和馬が都立トップの高校に合格した。

 内輪だけのお祝いを、我が家でしたんだ。父の秘書である三上玲子さんも同席して。

 僕は母がどんな気持ちか気になったけど、母に特に変わった様子はなく、いつも通りに和馬と接していた。玲子さんとも親しく話していた。

「隆夫」

 飲み物を飲んでいた僕のところに、父が和馬を連れて来る。

「おまえも春からは中学生だ。少し早いが、進学おめでとう」

 受験を経てじゃなく、初等部から中等部へ校舎が替わるだけの話なんだ、僕にとっては。

「ありがとうございます」

「そこでだ」

 父はここからが本題というふうに、僕ら二人を並べて見る。

「来週から、おまえたち二人に経営学の講義に出てもらう。本家分家問わず、綾瀬家の子どもたちが皆受けるものだ。おまえたちもその年齢に達した。参加してくれるな?」

「はい」

 澄み切った声で堂々と答える和馬。

「僕はまだ、(春からでも)中学生ですけど」

 なぜ僕と和馬で、開始年齢が違うのか。

「和馬を支えてやりなさい。本家の行事に参加するのは、初めてなのだ」


 立食式なので、好きな料理を適当に皿に取って食べる。

 余ったものは普段どうしてるんだろう、なんて考えるのは、新聞で世界の貧困についての記事を読んだからだ。

 大人たちはお酒が入ってにぎやかになってきた。僕は黙って会場を抜け出す。

 ふと見ると、廊下の端に和馬が立っていた。風でカーテンが揺れている。

「何してんの」

 姿が見えないと思ったら、ここにいたのか。

「夜風にあたってた」

 和馬は僕と話すとき、いつも笑顔を浮かべる。

「合格おめでとう。都立って難しいんだろ、すごいじゃないか」

「がんばったからね」

 僕は和馬に近付いた。

 夜会服姿の兄を見るのは初めてだ。とても大人に見える。

 僕のは七五三の延長という感じだけど。

「ここにグラスがあったら乾杯するところ」

「して」と、和馬はエアーでシャンパンか何かの入ったグラスを作る。

 僕は、ジュースの入ったコップにした。何となく。

「乾杯!」

 二人で音のしないガラスどうしをぶつけた。

「さっき父さんが言ってた経営学の講義。オレずっと狙ってたんだ、参加させてもらえるの」

「そうなのか」

 僕にとってはそう珍しいものではなかった。小さい頃から、分家の年上の子たちが月に一回通ってくるのを見ていた。彼らも今は成人して、グループ内のどこかで働いている。

「囲い込みというか、将来別の道に進むことを考えさせず、グループの企業に勤めるんだという自覚を持たせる意味があるんだと思う。けど、オレにはお声がけがなかった、中学に入ったとき。普通は十二歳からなんだよ。だから隆夫が今参加し始めるのは、ごく当たり前、特別なことじゃない」

 何となく、和馬の言いたいことが分かった。

「必死で勉強した。部活の剣道も結果を出した。それでやっと手に入れたんだよ、綾瀬家の子どもという地位を」

 僕が生まれたときから持っている権利。

「和馬……」

「だからオレは、将来必ず綾瀬グループに入る。できるだけ高い地位を手に入れて、いつかおまえを」

 追い抜いてやるからな、と言うんだと思ってた。言ってほしかった。

「支えてやる」

 兄のやさしさ。僕が求めてるのはそれじゃない。身勝手だけど。



 初等部の頃は、生徒の成績を廊下に張り出すなんてことはなかった。テストも授業内容の確認程度で、難しくはなかったし。

 中等部では、中間・期末と大きなものが学期に二回。加えて、出題範囲を特定しない実力テストが春と秋に行われる。

 僕はそれなりに努力をしていた。学校で出される宿題だけでなく、自分で買った問題集も毎晩解いていたんだ。

(努力が実らないタイプなのか。それとも他の子がすごいのか)

 上位者十名の中に僕の名前はなく、後でもらった個人成績表には、学年全体の真ん中ぐらいの順位が記されていた。



 家の敷地の西の端、元はゴルフ場だったところに、巨大な観覧車がある。

 小学生の頃、まだナーサリーに通っていた礼央と、遊園地に遊びに行った。そのとき「こういうのがうちにもあるといい」と僕が言ったのを五条が覚えていて、父に伝わり、建設に至った。

 我が家で一番高価なおもちゃだ。

「ぼく高校へは行かないよ」

「え……」

 ゴンドラが最上部に達する直前、礼央が思いがけないことを言った。

 来年中学に上がる礼央に、公立はテストでいい点を取っておかないと、高校へは行けないらしいよと話したところだった。

「高校へ行かずに何をするの」

 ミュージシャンになりたいとか言い出したらどうしようと思った。何の才能もないのは僕だけど。

「執事教育を受ける。旦那様や五条さんと約束したんだ」

「聞いてないよ」

 僕に報告する義務などはないが。

「五条さんね、子どもがいないんだって。執事は世襲制じゃないけど、やっぱり現職の人が認めた相手じゃないとって。それでぼくになった」

「礼央は、それでいいの?」

 まだ小学校もあと一年あるような子どもに、そんなことを決めさせていいのか。

「ぼくいつか言ったよね、このお屋敷で一生を終えたいって」

 あれは遊園地の帰り。五条の運転する車の中で、礼央はお母さんが貯金している話をした。将来礼央がここを出て外の世界で働くために、あるいは学校へ行くために、準備しているんだと。

 でも礼央はそのとき、外へは行かず屋敷に勤めたいと言っていた。

「気持ちは変わらなかったのか」

「隆夫くんと一緒にいたいから」

 僕は、顔を上げた。礼央は、とてもいい表情をしていた。

「隆夫くんはいつか旦那様の後を継いで、この家の当主になるでしょ。そのとき僕が執事として、きみのためにできることをしたい」

「たとえば」

「おかえりと言ってあげる」

 礼央は、執事の仕事を本当に分かっているのか。

 五条が普段していることを全部は知らないが、執事はこの家全体の管理者だ。屋敷内、庭、各施設を見回り、修理など必要なところがあれば迅速に対応する。朝昼晩の食事も、厨房に依頼する前にメニューや栄養価をチェックしなければならない。夜会が開かれるときは、来客一人一人の好みや病気にも配慮する。その他、各所からの経費報告に目を光らせたり。

 とても神経を使う仕事なんだ。軽い気持ちではできない。

「そういうのは妻の仕事だろう。別に執事じゃなくても」

 言ってから気付いた。礼央は男の子だ、妻にはなれない。

「分かってるよ。でもぼくには他の道がないから」

 いつからこんなふうになってしまっただろう。僕は礼央と友達になりたかった。立場上、“友達”は無理だとしても。

「礼央は――」

「ぼくは隆夫くんが好き」

 向かいに座る一つ下の男は、熱っぽい瞳をしていた。もともと性別の分かりにくい容貌で、髪を伸ばせば女だと偽ることもできるだろう。

 でも僕は、妻にはできない彼と、隠れた関係になるのは嫌だった。

「僕は礼央を好きになったりしないよ、そういう意味では」

 礼央は目を伏せ、さびしそうな顔をする。

「うん」

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