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♯4

 僕は初等部の二年に上がった。

 この頃家庭用ゲーム機が普及し、クラスの子たちはその話で盛り上がっていた。何を攻略したとか。

 礼央も同じ宿舎の年上の子がそれを持っていて、平日よくお邪魔していると言っていた。お母さんの方針で、礼央はゲーム機を買ってもらえないらしい。

 僕は専らビデオを見ることにハマっていて、日曜の午後は和馬の自転車の後ろに乗り、一緒にレンタルの店に行く。

 好きなアニメ映画ばかり何度も借り、話は覚えているのに何度もわくわくした。


「おまえが言ってたの、借りられてるなぁ。他のにするか?」

 背の高い和馬が言う。僕の身長ではケースに手は届くけど、手に取って見ない限りそこに何があるか分からない。

「たまには和馬が見たいのでいいよ。いつもお金出してもらってるし」

「あのな、ビデオ代はいつも……いや」

 兄は何か言いかけてやめた。

「オレが見たいのってホラーだけど、大丈夫か? 血みどろサスペンス」

「僕そういうのはちょっと」

 ほらな、と和馬は笑う。

「これとかどうだ? 先週も見たけど。隆夫、好きだろ?」

 同じシリーズの別の作品。

「うん」

 借りる手続きは和馬がしてくれる。カウンターでケースと会員証を差し出すと、店員さんがバーコードに機械をあてる。ピッという音。

 近所のスーパーはまだ手打ちだったので、バーコードの読み取り作業は珍しかった。

「和馬、僕も今度借りるのやりたい」

「だったら隆夫も会員になればいい。カード作るの簡単だぞ」


 自室にも小さいテレビはあるんだけど、どうせならスクリーンの方がいい。本物の映画館ほどじゃない、個人で楽しむためのミニシアター。そういう部屋が、うちにはあった。

 ソファに座り、ポップコーンを食べながらアニメ映画を鑑賞する。東綾製のスピーカーは音がいい。迫力満点。

 隣の和馬はいつの間にか眠ってしまった。


「起きて、和馬。和馬!」

 僕は停止と巻き戻しぐらいはできるけど、その後の片付け方分からない。和馬にやってもらわないと。

 よっぽど疲れているのか、体を揺さぶっても和馬は起きなかった。深緑のジャンパーのポケットから、何か落ちる。

「会員証」

 僕はじゅうたんから、紙のカードを拾い上げた。

「三上、和馬。え……」

 これは、和馬の名前?



 テレビは一日一時間までですよ。消灯は十時――五条にそう言われているけど、僕は電気を消して、音も小さくして、十時以降もドラマを見ていた。早い時刻のアニメと合わせると、約束の一時間は超えている。

 大人向けの番組は、男女が服を脱いでお布団の中にいるシーンがよく出てくる。最初何をしているか分からなかった。

 最近ちょっと、分かるようになったんだ。愛を確かめ合う行為らしい。結婚している男の人が奥さん以外とすることもある。そういうのを浮気とか不倫という。

 そして子どもが生まれる。


「ねえ和馬」

 スクリーンの前のソファで、僕は兄にたずねた。

「もしかして和馬は、三上さんという子どものいないご夫婦の家に、養子に行ってるの?」

 前から不思議に思っていた。僕は長男なのに、どうして兄がいるのか。その兄はどうしてよその家で暮らしているのか。そして僕と異なる名字。

「えっと……。どうしてそんなこと聞くんだ?」

「この前、和馬の服のポケットから落ちた会員証を見たんだ。三上和馬と書いてあった、綾瀬じゃなく。それが和馬の本当の名前なんでしょ」

 兄はしばらく黙ったままだった。でも何か、様子がおかしい。

「オレは綾瀬和馬だよ」

 和馬は、僕の目を見ずにそう言った。



 次の日曜も、その次も、和馬は屋敷に帰ってこない。ひょっとすると僕は、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれなかった。

 平日の夕方。僕が学校から帰ってくると、表の門の前にランドセルを背負った和馬が立っていた。

「停めて」


 和馬が家の中に入らずに話をしたいと言うので、僕らは庭の休憩所に来た。雨が降っても大丈夫な屋根の下、木のベンチに僕らは座る。

「寒いだろ。おまえコートとか着てないから」

 言いながら和馬は、自分のジャンパーを僕に着せた。

「和馬は、寒くないの?」

「オレはお兄ちゃんだから平気だよ」

 テーブルの向こう側にも座るところはあるけど、和馬は僕の隣を選んだ。

「名札……」

 僕の学校は、防犯上名札をつけないことになっている。公立小学校に通う和馬は、左胸に学校名と学年・クラス・氏名の書かれたものを安全ピンでつけていた。

「そうだ。オレの本当の名前はこれなんだよ」

 会員証に書いてあったのと同じ。

「最初に言っておく。オレとおまえは血がつながってるし、兄弟なのも本当だ。ただ、オレはおまえのお母さん、綾瀬美也子さんの子どもじゃない」

「どういうこと?」

「オレの母親は、別にいるんだ」

 和馬はランドセルから鉛筆とノートを取り出し、簡単な家系図を書いた。

「分かるか? 父さんと美也子さんの間に生まれたのが隆夫。父さんと三上玲子の間に生まれたのが、オレだ。つまり養子でも何でもない」

「……」

 僕が腑に落ちないのは、父と線でつなかってるのが、僕の母、玲子さんの二人ということ。

「お父さんて、和馬のお母さんと結婚して離婚したの? それから僕のお母さんと結婚した」

「違う」

 和馬がそう言い切ったとき、僕の頭にはハテナしか浮かばなかった。

「父さんは、美也子さんと結婚した。その後にオレが生まれて、そして三年経って隆夫が生まれたんだよ」

「え……」

 どういうことなのか分かってしまった。分からないままがよかった。

 僕が顔を歪めていることに和馬は気付く。

「オレの母さんは、父さんと結婚することができなかった。なぜなら父さんは、美也子さんと結婚している状態だったから。オレは婚姻関係にない二人の間に生まれた子どもだ」

「つまり不倫」

 使いたくなかった、こんな言葉。

「受け取り方は自由だけど」

 和馬は真っ直ぐ前を見つめていた。

「たとえば豊臣秀吉、徳川の将軍家、時代劇では正室・側室って考え方があるだろう。正式な妻以外に、非公式の妻たちがいた。父さんの正妻は美也子さん、オレの母さんは非公式の方なんだって考えれば、オレは納得できるけど」

「……」

 僕は言えることが何もなかった。納得できるわけじゃないし、納得できないとはっきり言うこともしたくなかった。和馬を傷つけるから。

「オレたちの父さんが何者かは知ってるだろ。貿易、金融、食品、電気製品――これらの会社や銀行をすべて束ねる東京綾瀬グループ会長だ。子どもは必要なんだよ、たった一人の妻から生まれた子どもだけじゃなく、他の遺伝子を持った子どもも。繁栄のために、多様性のある子孫を残さないと」

 僕はいつの間にか、黒いズボンの上で拳を握りしめていた。

(正室と側室、そう言ってしまえば不倫じゃなくなる。でも本当に浮気じゃないの? お父さんはお母さんを裏切ったことにならないの? なんで結婚した後に、妻以外との間で子供ができるんだよ……)

 大人のドラマじゃ妻は夫を責めてた。それとこれとが噛み合わない。

「ごめん。今のは自分を納得させるための方便だから。父さんやオレの母さんがそういうふうに考えているわけじゃない」

「……」

 僕はうつむいていた。まだ納得はできない。

「不倫の果てに生まれた子どもだったら、生きていられないんだよ。そういう気持ち、分かってくれって言っても無理な話だよな。美也子さんの子どもであるおまえには」

 突き放された気がした。いつもやさしい兄から。

「僕は、和馬のことお兄ちゃんだと思ってた。けど違うの?」

 見上げたとき、自然と涙があふれてきた。

「違わない」

 和馬は僕を抱きしめてくれた。

「おまえはオレの弟だ」


 秋雨が降り出し、傘を持った母が迎えに来た。

「二人とも、こんなところにいたら風邪を引くわよ。中で温まりなさい」

「はい」

 僕は座ったまま、学校の黒いかばんを背負った。

 和馬は立ち上がると、母の方を向いてゆっくりと礼をする。

「和馬くん、後で送っていくわ」

 母は、僕に見せるのと同じ笑顔を兄にも向けた。

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