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♯3

 土曜の朝。学校へ行く前、厨房へ寄った。今日はお客さんが来るから、おやつを二人分用意してほしいと言いに行ったんだ。

 その後、車で登校し、お昼までで下校。帰ってくると、出迎えてくれた五条に廊下で聞かれた、お客様とはどなたですかと。

「……」

 僕はすぐには答えなかった。留美ちゃんとのお見合いは終わったので、彼女の名前を出すわけにいかない。

「谷口礼央さんですか? 洗濯係の谷口さんの息子である」

「知ってたの?」

 バレていたのかと思うと、ばつの悪い気持ちになる。

「この前のお休みに、おやつを二人分、プールに運ぶよう指示されましたね。そのときその場に隆夫様以外の子どもがいたことを、聞いておりました」

 何もかも内緒で事を運ぼうとしていた。隠し事などできないんだ、この執事がいる限り。

「確かに隆夫様と礼央さんは対等ではありませんが、仲良くすることを後ろめたく感じる必要はないのですよ。旦那様はこういったことをお叱りになるような方ではございません」

「本当? いいの? 礼央と仲良くしても」

「隆夫様にはお話相手が必要でしょう」

 咎められるかと思っていた。五条は窓の桟に埃が残っていると、掃除した人を呼びつけて説教するような、厳しいところがある。

「そっか」

 ほっとした。

「これからは堂々と、仲良くなさってください。秘密を共有する従業員の負担にならないように」



 従業員宿舎まで礼央を迎えに行き、手をつないで屋敷へ連れてきた。すれ違った五条は僕らを見て、なぜか微笑む。赤いカーペットの敷かれた廊下を歩いて、僕は礼央を客間でなく自室へ入れた。

「ここが隆夫様のお部屋か。広いねぇ」

 椅子に座った礼央は、顔をぐるっと右から左へと動かす。

「ぼくの部屋がいくつ入るだろ」

 学校の教室を基準にすれば、二つ分ぐらいかと思う。壁際には机と本棚、少し離れてベッド、クローゼット。今着いているテーブルから見て、家具はそれぐらいしかない。フランス料理のような部屋だと僕は思っていた。

「天井も高いね」

「うん」

 横幅より高さの方が僕には重要。天井が低いと圧迫されるような感じがする。

「そしておやつ」

 今僕らの前には、生クリームたっぷりの四角いケーキが置かれている。紅茶は、僕が淹れたもの。

「隆夫くんて、いつもこんなの食べてるの?」

 礼央はフォークでケーキの端を取り、口へ入れた。

「毎日じゃないよ。特別な日だけ」

 僕はいちごを一つ食べた。

「今日は特別なの?」

「うん」

 礼央は特別。

「そっか」

 うれしそうだった。

「これってお抱えのパティシエさんが作ったの?」

「そうだよ」

「スーパーのと全然違うね。クリームがふわっふわ!」

「スーパーマーケットでケーキを売ってるの?」

 一般家庭では、ケーキはケーキ屋で買うものと思っていた。

「隆夫くん、買い物したことない?」

「ないけど」

 基本、食料品は買い出し係が店か市場へ買いに行く。服は仕立て屋さんがうちまで来てくれて、その他細々した物も僕は選ぶだけで現金を渡したりしない。

「今度ぼくが連れてってあげようか?」

 礼央は一人で買い物ができるのかな。だとしたら僕より大人だ。

「うん」

「小銭を用意してね。五円とか十円とか」

「分かった」

 礼央とはその後、人生ゲームをして遊んだ。ルーレット式のすごろくは、漢字が多くて代わりに読んであげないといけなかったけど、お客さんのお気には召したようだった。あと一回、あと一回と、僕らは何度も一生を経験した。



 翌週金曜の夜。

「隆夫様、お約束の物をご用意しましたよ」

「ありがとう」

 五条は部屋までお金を持ってきてくれた。

「これが五円玉、十円玉、五十円玉、百円玉、五百円玉」

 机の上に硬貨を置いて、レクチャーしてくれる。

「五円と五十円には穴が空いているのに、五百円はそうじゃないんだね。千円玉はないの?」

「千円からはお札になります」

 こちら、と五条は紙幣を見せてくれた。

「五円と十円を持ってきてと言われたけど、いくつぐらいあったら足りるんだろう」

「十円玉十枚分の価値が、百円玉にはあります。十円玉をたくさん持ち歩かなくても、百円玉があれば困りません」

「そうなんだ」

「ただし、おつりをもらうのを忘れてはいけませんよ」

「分かった」

 おつりの計算なんて、算数でしかやったことがない。現実でちゃんとできるか、少し心配だった。

「それから」と、五条は続ける。

「もし礼央さんがお金が足りなくて困ることがあれば、隆夫様が出して差し上げるのですよ」

「うん。僕の方がおにいさんだもんね」


 翌日の昼。学校が終わって帰ってくると、僕は背負いかばんを置き、制服から私服に着替えた。

 半袖のYシャツに黒い半ズボン。制服とそう変わらない。違うのは、校章のマークとサスペンダーがないこと。

 僕は食堂で昼ごはんをとった後、五条に昨夜もらった財布を持って、礼央のいる宿舎へ向かった。


「ちょっと歩くよ。迷子にならないよう手をつなご」

 僕と礼央は、屋敷の勝手口に近い門から敷地を出た。

 僕の家もそうだけど、この辺りは洋館が多い。文明開化の頃に建てられたという。もちろん何度も修理をしている。

「隆夫くんは、歩いてどっか行くの初めてでしょ」

「そうだね。いつも車だから」

 本当に、どこまで歩くのかと思うぐらい、目的地は遠かった。街並みがすっかり変わっている。

「ここだよ」

 民家が立ち並ぶ通り。見過ごしてしまうような、家と家の隙間にその店はあった。

(小屋?)

 車一台分の広さ。ドアでなくシャッター式で、ガレージみたいだと思った。

 中央の台には品物の詰まった木の箱がいくつも置かれていて、すくそばの壁際には、瓶詰めのお菓子。

「礼央、ここは何?」

 スーパーマーケットへ案内してくれるのかと思っていた。

「駄菓子屋さん。子どもだけが来るお店だよ」

 おばさんこんにちは、と礼央は奥の小窓に向かって大きな声を出した。窓は開き、年配の女性が顔を見せる。

「礼央くん、今日はお友達が一緒かい?」

「ともだ……うん、そんなとこ」

 礼央は僕の方を向いた。

「隆夫くん、好きなお菓子を自由に選んで。どれも五円か十円だよ。札を見て計算しながら買い物してね、足りないと恥ずかしいから」


 僕たちは近くの公園の、ホラ貝(の形をした遊具)の中に入った。梅雨が明け夏が来て、昼の日差しは強い。

「隆夫くん、いっぱい買ったね」

「百円持ってきてたから」

 白いビニール袋の中には、五円のチョコレートや、十円のガム、ドーナツなどが入っている。

「ぼく毎日二十円もらってるから、百円なら五日分だ」

 言いながら礼央はアメを口へ入れる。白い線の入った赤い大きな玉。僕もさっき緑のを買った。

「隆夫くん、いか好きなの?」

 店のおばさんがこれだけ紙の袋に入れてくれた。するめいか。僕は端を歯で押さえて、反対側を手で引っ張る。

「うん。前にお父さんの友達が、おつまみのいかを分けてくれたことがあって、すごくおいしかったんだ。でもあれ以来食べてない。食事に出ることもないし」

 煮物にいかが入っていることはあっても、するめいかとは違う。

「知らなかった。自分で買い物をすると、いつでも欲しい物を手に入れられるんだね」

 僕が言うと礼央は微笑む。

「また一緒に来よう」

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