♯12
「これは市民証と言って、欧立市内でいろいろなサービスを受けるためのものです」
僕の写真が貼られた、名刺サイズのラミネートカード。バーコードがついている。
「具合が悪いときは、病院へかからなければなりません。家へは来てくれませんからね。このカードがあれば、お金を払わずに診てもらえます。薬代も払わなくて構いません」
「僕がお医者さんにただで診てもらったら、お医者さんはお給料をもらえないんじゃないの?」
それでは経営が成り立たないだろう。
「毎月、市民税を払いますのでね。その中に診察代も含まれているのです」
「そっか」
新しいテーブルに着いて、僕は五条と向かい合い、受け取ったカードを眺めている。
「買い物をするときにも、このカードは必要ですよ。市民かそうでないかで、支払額が変わりますのでね」
「分かった、持っていく。市民と市民以外とで、どっちが安く買えるの?」
「市民の方です」
一人暮らしをするにあたり、掃除や洗濯を覚える必要があった。
「毎日でなくても構いませんが、住居はきれいな方が気持ちがいいでしょう。洗っていない衣類は、溜め込むと着るものがなくなってしまいます。こまめに洗って、すぐ干すようにしましょう」
「はい」
廊下に立ち、エプロン姿の僕は、言われたことをメモ帳に書く。
「それでは今日は、まず洗濯機を回しましょう。その間に、お風呂場とトイレの掃除です」
「はい、先生」
その日の夜は、カレーライス。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、牛肉を切って、炒めた後ルーと一緒に煮込むだけ。単純だけど、皮むきに手間取った。あく取りも。
「僕、他のお料理もできるようになる?」
椎野町産コシヒカリでカレーをいただきながら、五条にたずねた。横にはツナサラダ、オレンジ。
「私がお教えしますので、大丈夫ですよ。明日は栄養学と、調味料の使い方を勉強しましょう」
そのとき玄関の方で、呼び鈴が鳴った。
「はて。どなたでしょうね」
僕は椅子から立ち、廊下に近い壁に取り付けられた、インターホンの受話器を取る。
「どちら様でしょうか」
セキュリティのため、いきなりドアを開けてはいけないと教わった。
「オレ。と」
「私だ」
僕は急いで玄関に向かった。チェーンを外し、電子ロックも解除する。
外側へ押し開くと、そこにいたのは兄と従妹だった。
「引っ越し祝い」
二人の声が重なる。持ってきてくれたものも、二人ともケーキのようだ。
「上がって。ごはんまだなら、カレーを食べていってよ。僕たちで作ったんだ」
兄たちは顔を見合わせ、ふっと笑った。
初心者向けの料理本を、五条からもらった。
メインのおかずに対して、どんな副菜なら合うかも、例として挙げてくれているのがありがたい。
基本は一汁三菜と言うが、ずっと食べる側だった人間にとっては、組み合わせを考えるのは難しい。
五条に習った栄養学の計算をしてみると、ほぼ偏りのない分布になっている。計算しなくても分かるぐらい、感覚として身につけていきたい。
「だいぶ、包丁に慣れてきましたね。キャベツの切り方がきれいです」
優しく微笑む執事。
「まだまだ、レストランのシェフほどじゃないよ」
行っても行かなくてもいい学校に、僕は今、在籍している。
新学期初日から登校はせず、ある程度家事ができるようになってからスタートしようと思っていた。
だから入学試験以来、初めて門をくぐったのは、五月のこと。
「新入りくん?」
玄関でスリッパに履き替えたところで、知らない人に声をかけられた。
中学生か高校生。僕より年上の感じがする。
「来たらすぐ出席簿にマルをつけるんだよ、自分でね」
その人は村西くんといった。僕と同じく市外から来た、中学三年生。
「きみは中二ぐらいか? 一年じゃなさそう、ガキっぽくないし」
一緒に階段を上りながら、僕らは少し話をした。
「一応中二ですけど、勉強は中一からです」
修了試験があると聞いた。受験は強制じゃないらしいが、きちんと終わらせたあかしはもらっておきたい。
「綾瀬くんは、いつから学校に行けなくなった?」
僕は途中で足を止める。
「行けなくなったんじゃなくて、行かなくなったんです。中一の、確か今頃」
行けなくなったは、学校に行きたい子が使う言葉だ。僕にはそぐわない。
「そ。おれも行かなくなった派。また話そうぜ、今度ゆっくりな」
村西くんは三階への階段を上っていく。きっと授業を受けるんだろう。
僕は二階。一人で自習する。
ノックはしなくていいと聞いているから、静かに扉を引いた。
窓からの風が一気に向かってくる。
書架と閲覧机と、いろいろな年齢の生徒たち。僕は一人じゃない。




