彼女が配信中もうるさすぎてつらい
スマホを握りしめたまま、私は深呼吸をした。
(……よし)
「ね、ねえ真希」
「ん?」
ソファでスマホをいじっていた真希が、こちらをちらりと見る。
その視線に、私はなんとなく居心地が悪くなりながら、それでも意を決して言った。
「あのさ、今日……恋ちゃんの生配信、一緒に見ない?」
真希の手が止まる。
「……え?」
「いや、あの、ほら、七周年記念だし、すごい配信になりそうじゃん?」
言葉を選びながら、なるべく自然に聞こえるように頑張る。
本当は、ただ単に「好きなものを恋人と共有したい」という気持ちがあっただけなんだけど、それをそのまま言うのはなんとなく照れくさかった。
真希はじっと私を見つめたあと、小さく笑った。
「……ふーん。珍しいじゃん」
「何が?」
「自分からそういうこと言うの」
「そ、そうかな?」
「うん。ま、いっか。一緒に見る?」
そんな軽い返事に、私はほっと息をついた。
◇
少し大きめのタブレットに、YouTubeの待機ページが表示されていた。
二人でソファに座り、クッションを抱えながら画面を見ていた。
「開始まであと1分……」
(……なんか、緊張する)
私はクッションを抱きしめていた。
恋の配信をリアルタイムで見るのは、実はこれが初めてだった。
今までは録画を後で見ていただけだったから、「生で推しの配信を見る」という感覚が新鮮だった。
(……真希と一緒に見るの、どうなんだろ)
隣を見ると、真希は特に興奮するわけでもなく、いつものように落ち着いていた。
むしろ、私のほうがそわそわしている。
そして、待機画面から切り替わった。
豪華なパーティー会場の背景とともに、彼女が登場する。
「みなさん、こんばんは。桐崎恋です」
淡々とした声が、部屋に響く。
それだけで、なんだか胸が高鳴った。
「今日は七周年記念ということで、特別な配信です」
コメント欄が一気に流れ始める。
『七周年おめでとう!』
『恋ちゃんについてきてよかった!』
『これからもずっと推します!』
(……すごい)
視聴者の熱量が、画面越しでも伝わってくる。
(こういう雰囲気、いいな……)
――そう思った瞬間だった。
「今日は特別ゲストがたくさん来てくれています」
恋がそう言うと、真希がピクリと反応した。
「……ゲスト?」
その声が、少しだけ鋭くなる。
◇
最初のゲストが登場する。
「やっほー! 恋ちゃん、七周年おめでとう!」
巫女服を着た元気いっぱいのVTuberが現れる。
「えっ……嘘でしょ……神楽マイ!? ちょっと待って、これ、すごくない!?」
真希の声が一気に弾ける。
(か、神楽マイ……?)
私はついていけず、ぽかんと画面を見つめる。
「ねえ、すごいよ!? これはマジでレジェンド級!!」
「そ、そうなの?」
「そうだよ!! だってマイちゃんって、VTuber黎明期からの『バーチャル四天王』の一人で――」
そこから、真希の解説タイムが始まった。
どれくらいすごいのか、過去のコラボの経緯、恋との関係性、ファンの反応――。
詳細すぎる情報が、私の頭に次々と流れ込んでくる。
(な、なるほど……つまり、すごい人ってことね……)
私はひとまず、そう理解することにした。
◇
そして、次のゲストが登場する。
「ふふ、七周年おめでとうございます、恋さん」
今度は、銀髪ゴシック系の美しいVTuberが現れた。
「……っ!? え、嘘でしょ!? 白夜ルリカまで!? なんでこんな豪華なの!?」
真希のテンションがさらに上がる。
(し、白夜ルリカ……?)
私が戸惑っていると、またしても詳細な解説が始まる。
「ルリカ様はね、完璧なロールプレイを貫いてるVTuberで、絶対に素を見せないの!! 他の人の配信には滅多に出なくて――」
またしても、情報量の洪水。
(……あの、記念配信、普通に見たいんだけど……)
私は画面を見つめながら、じわじわと焦り始める。
桐崎恋の記念配信を楽しみにしていたはずなのに、今はほぼ、真希の解説を聞く時間になっていた。
そして、その後も次々と豪華ゲストが登場し、そのたびに真希のテンションは上がっていく。
「えっ、エダマメくんも!? え、ヤバくない!?」
「いや、ちょっと待って……私の心臓がもたない……」
「ねえ、これ全員の動画見なきゃダメじゃない!?」
「記念配信をちゃんと……」
完全に置いていかれる私。
(……やっぱり、一緒に見ようなんて言うんじゃなかったかも)
画面の中では、次々とゲストが登場し、桐崎恋を祝福している。
それなのに――私は、ほとんど何も頭に入ってこなかった。
なぜなら。
「え、え、ちょっと待って! 今の会話、やばくない!!? これ、もしかして伏線!? え、これって……えっ、ちょっと整理させて……!!」
隣で真希が、全力でオタク語りを爆発させているからだ。
◇
「いやー、まさか杜野カナデまで来るとは思わなかったよね!」
「……誰だっけ?」
「えっ!? ウソでしょ!? カナデちゃん知らないの!? もう超歌うまVTuberとして界隈ではレジェンド級だよ!? しかも、ルミナと同期でデビューしたから、オタクの間では“因縁の二人”って言われてて――」
説明が始まった。
私はうんうんと頷きながら、記念配信を見ようとするが、真希の情報量が多すぎて目と耳が忙しい。
(ルミナの同期……そうなのか……)
ようやく話の流れを把握した頃には、もう次のゲストが登場していた。
◇
「さて、次のゲストですが――」
「お邪魔しまーす!」
元気な声が響く。
「えっ!? まさかの風見ノア!?」
(えっ、今度は誰?)
私が戸惑っていると、真希はもう説明モードに入っている。
「ノアちゃんはさ、もともとめちゃくちゃガチゲーマーで、プロチームにいたんだけど、VTuberになってからも最強で――」
「うん、うん……」
(ゲームが強い人……?)
しかし、その説明の途中で、真希が急に黙った。
「……いや、ちょっと待って、これヤバいかもしれない」
「えっ、何が?」
「だってさ、ノアちゃんって、ルミナともめっちゃ仲いいのよ。でさ、最近、桐崎恋もゲーム配信してるじゃん? これ、もし3人でコラボすることになったら、界隈大騒ぎじゃない?」
私には、そのすごさがまだよく分からない。
でも、真希のテンションの上がり方を見るに、たぶんものすごいことなんだろう。
◇
もう配信が終わろうとしていた。
「今日はたくさんの方に来ていただいて、本当にありがとうございました。最後に、これからも応援よろしくお願いします」
恋の締めの言葉に、コメント欄が一斉に盛り上がる。
『7周年おめでとう!』
『これからも推す!』
『最高の配信だった!』
私もスマホを手に取り、「おめでとう」とコメントを打ち込む。
しかし――。
「はあ……はあ……」
隣の真希は、まるでフルマラソンを走り終えた後のような息遣いになっていた。
「ちょっと……情報が多すぎて、頭がパンクしそう……」
「……私も」
「ねえ、今すぐアーカイブ見直さない?」
「……いや、もう今日は無理……」
真希を見ていて、ふと思った。
(こういうのが、“理想のオタク”なんだろうな)
興奮して、語って、感想を分かち合う。
だけど、私はまだ、そこまでの境地には達していない。
恋の配信は楽しかった。
だけど、情報量が多すぎて、正直ほとんどついていけなかった。
(……もっと知りたい、かも)
◇
自分の家に帰ると、私はスマホを開いた。
バーチャル四天王。
今日の配信中、真希がやたらと強調していた単語。
VTuber界のレジェンド級の人たちのことらしいが、私にはさっぱりだった。
何となく気になり、検索してみる。
いくつかの記事が出てきた。
そこには、「黎明期に活躍し、現在も語り継がれる存在」と書かれている。
それぞれの名前をクリックすると、活動内容や影響を与えたライバーについての詳細な解説が出てきた。
これまでは、VTuberといえば、単に「ネットの配信者」というイメージしかなかった。
でも、こうして読んでみると、最初期の彼女らが「どういう文化を作り上げたのか」が、何となく分かる気がする。
(VTuberにもたくさんの人がいて、たくさんの歴史があるんだな)
そう思いながら、私はさらにページをスクロールした。
(……もう少しだけ、調べてみようかな)
そのまま、私は深夜までスマホを手放せなくなった。