彼女がデート中も推しの話ばかりでつらい
デートのときくらい、“私との時間”を楽しんでほしい。
そう思うのは、心が狭いのだろうか。
そんなことを考えながら、私はショッピングモールのフードコートで目の前の彼女――宮園真希を見つめていた。
「ねえねえ、今日のルミナちゃんのツイート見た?」
「……またそれ?」
「だって、めっちゃ可愛かったんだよ! ほら、見て!」
スマホを突き出してくる真希。
私は無言のまま、それを受け取る。
画面に映っていたのは、ルミナの投稿した一枚の画像。
自宅と思しき机に並ぶパンケーキとコーヒー、それに添えられた「もぐもぐルミナだよ~☆」という呟き。
「可愛くない!? ルミナちゃんが朝ごはんの写真を載せてくれるだけで、一日が最高のスタートになるよね!」
「いや、ただのパンケーキじゃん……」
「違うの! この角度とか、添えてあるナプキンの折り方とか! あとカップのブランドが前回の配信で言ってたやつなの!! つまり、ルミナちゃんは私たちリスナーとの会話をちゃんと覚えてくれてるってこと!! エモくない!?」
「……もういい、わかったわかった」
スマホを返しながら、私は深いため息をつく。
やっぱり今日もこの調子か。
今日は久しぶりのデートだ。
お互いの仕事が忙しく、なかなか時間が合わなかったけれど、ようやく休みが重なった。
たまにはゆっくり二人で過ごそうと誘ったのに、結局真希の口から出てくるのは推しの話ばかり。
「……はぁ」
もう何回ため息をついたかわからない。
「真希、さっきからルミナの話ばっかりじゃん」
「えっ? そう?」
「そうだよ。せっかくのデートなんだから、もっと普通の会話しない?」
「普通の会話……?」
真希は少し考え込んだあと、「うーん」と唸った。
「じゃあさ、君は最近ハマってるものとかないの?」
「え?」
「私はルミナちゃんだけど、君にも何かあるでしょ?」
唐突に話を振られ、私は少し戸惑う。
改めて考えると、何かに熱中することなんて、最近はほとんどなかった。
「……特にないかも」
「えー、つまんない!」
真希があからさまにガッカリした顔をする。
「なんかないの? ゲームとか映画とか、本とか!」
「……うーん」
少し考えて、ふと最近見た配信ドラマの話をしてみる。
「あ、そういえば、この前ちょっと気になってたドラマ見たよ」
「へぇ! どんなやつ?」
「サスペンス系のやつで、ラストが衝撃的だったんだけど――」
「えっ、それって伏線回収系!? ルミナちゃんもそういうの好きなんだよ!」
しまった。
うっかり話を振ったせいで、またルミナの話題に持っていかれた。
「この前も配信でさ、『伏線が綺麗に回収される話って気持ちいいよね』って言ってたの! やっぱりルミナちゃんってセンスいいよね~!」
もう私の話は完全に終わっていた。
「はぁ……」
また、ため息。
「ねえ、真希」
「ん?」
「たまにはルミナ以外の話しない?」
「えー?」
「ほぼ全部推しの話じゃん」
「だって好きなんだもん!」
真希はケロッと言いながら、ドリンクのストローをくわえる。
その言葉を聞いて、私は少しイラッとした。
「私といるときくらい、ちょっとは控えてよ」
真希の表情が、一瞬だけ曇る。
私は、しまった、と思った。
言い方がキツすぎたかもしれない。
でも、私は本音を言っただけだ。
数秒の沈黙。
真希はストローから口を離し、グラスを手の中でくるくると回す。
「……ねえ、君さ」
「なに」
「私が推しの話してるの、そんなに嫌?」
嫌、というより。
ずっと同じ話題ばかりで、少し疲れる。
もっと普通に、デートっぽい会話がしたい。
そう言おうとしたけれど、言葉にする前に、真希が小さく笑った。
「でもさ、好きなものを語ってるときの人間って、魅力的に見えるって言わない?」
それは。
たしかに、そうかもしれない。
私はじっと、目の前の彼女を見つめる。
自分の推しを全力で語る真希は、いつもすごく楽しそうだった。
私がどんなに呆れても、どんなに「またその話?」と言っても、彼女の目は輝きを失わない。
そして今、この瞬間も。
「ね? だからさ、もうちょっとだけ聞いてよ」
そう言って、無邪気に笑う彼女。
真希の顔を見ていると、強く否定する気がなくなってしまう。
「……まあ、別にいいけど」
「やった!」
子供みたいに嬉しそうな顔をして、真希はジュースを一口飲むと、すぐさま話を再開した。
「でね、ルミナちゃんって実は雑貨好きなんだよ! この前の配信で、可愛い小物とか集めるのが趣味って話しててさ!」
「……なるほど?」
「だからさ! ちょっと雑貨屋寄っていい?」
「え? 雑貨?」
「うん! ルミナちゃんが好きそうなやつ、探したい!」
結局、私は流されるままにショッピングモールの雑貨屋へと連れて行かれた。
◇
「ほら! 見てこれ!」
真希が手に取ったのはマグカップだった。
「ね! ルミナちゃんカラーじゃない!?」
「ああ、まあ……言われてみれば」
「絶対これ、ルミナちゃんの部屋にありそう! しかも、この星のデザイン、めっちゃ似合うと思わない?」
「似合うって……ルミナは実在するわけじゃないんだから、物が似合うとかないでしょ」
「違う違う! こういうのって“イメージ”が大事なの! ほら、ルミナちゃんがこれで飲んでる姿を想像してみ?」
想像してみ、と言われても、私はルミナのことをそこまで深く知らない。
でも、なんとなく頭の中に、彼女がそうしている姿が浮かんでしまった。
「……ああ、まあ」
「でしょ!?」
真希は満足そうに頷くと、次々に店内の商品を手に取り始めた。
「これも良くない? このステッカー、絶対ルミナちゃんのパソコンに貼ってそう!」
「いや、それはさすがに……」
「このクッションも! ルミナちゃんがこれ抱えて配信してるの、見たくない?」
「……」
「ねえ、これとか!」
そう言って差し出されたのは、小さな星形のキーホルダー。
「ほら、ルミナちゃんって“星”モチーフだから、こういうの持ってたら絶対かわいいと思うんだよね!」
さっきから思っていたけど、真希はなぜか“推しが持っていそうなもの”を探すのが異常に上手い。
私は別にルミナのファンではないはずなのに、彼女が言うことを聞いていると、なんとなく「確かにルミナが持っていそうな気がする……」と思えてくる。
……いや、私は何を納得しかけているんだ?
「ねえ、これ買おうかな?」
「えっ、それ真希が使うの?」
「ううん、飾る!」
「……」
「ルミナちゃんの推しグッズとして!」
なんというか、発想が根本的に違う。
私はてっきり、可愛い雑貨を見つけて「これ欲しいな」となるものだと思っていたが、真希の場合は「推しのイメージに合うから買う」という動機になるらしい。
「そんなに買ってどうするの……」
「コレクション!」
もう何も言えなかった。
◇
雑貨屋を出たあとも、真希の勢いは止まらなかった。
今度は洋服屋の前で足を止める。
「あっ、ちょっとだけ見ていい?」
「まあ、別にいいけど」
そう言って入った途端、真希のテンションがさらに上がる。
「ねえねえ、このワンピース! ルミナちゃんっぽくない!?」
「……いや、知らんけど」
「絶対似合うって! ルミナちゃん、こういうフワッとした感じの服、似合うんだよ!」
「だからルミナは実在しないって……」
「想像すればいいの!」
どうやら、推しに似合いそうな服を探すのもオタクの習性らしい。
「いやでも、ほら、これとかめっちゃ配信衣装っぽくない?」
「配信衣装って……」
「例えばさ、ルミナちゃんが特別な歌枠やるとき、こういうワンピースとか着てたら絶対映えると思わない?」
うっかり「たしかに」と思ってしまった自分を殴りたい。
ていうか、何だこれ。
私はただ普通にショッピングを楽しみたかっただけなのに、いつの間にか「ルミナに似合いそうな服探し」に巻き込まれている。
「ねえ、こっちのブラウスも可愛くない? ルミナちゃんが着てたら絶対ヤバい!」
「……ねえ、真希」
「なに?」
「それ、真希が着る服を探してるんじゃなくて、ルミナの服を探してるよね?」
「え? うん!」
「……もういいよ」
私は半ば諦めたように肩を落とした。
でも、不思議と嫌な気持ちはそこまでない。
真希が本当に楽しそうだったから。
自分の「好きなもの」を全力で語る姿は、たしかに魅力的だった。
たとえその対象が、私じゃなく画面の向こうの誰かだったとしても。
◇
帰り道。
「ねえ、今日楽しかったね!」
「……私はそうでもない」
「え~? でも、結構付き合ってくれたじゃん?」
「まあ……暇だったし」
「ふふっ、ありがと」
ショッピングモールを出て、駅に向かって歩きながら、真希は小さく口にした。
「好きなものを語るのって、楽しいね」
「……」
「私がどれだけルミナちゃんを好きなのか、ちょっとは伝わった?」
「もう十分すぎるほど……」
私は呆れたように言いながら、ふと自分の中に芽生えた感情に気づく。
――こんなに全力で好きなものを語れるって、ちょっと羨ましいかもしれない。
そんなことを考えていると、改札前で立ち止まった真希が、バッグの中をゴソゴソと探り始めた。
「ん? 何?」
「えーっと……あった!」
そう言って、彼女が取り出したのは、小さな紙袋だった。
「はい、これ」
「……え?」
中を開けると、ヘアクリップが入っていた。
もこもこしたベージュの、可愛いデザインのもの。
「……これは?」
「雑貨屋で見つけたとき、君に似合いそうだなって思ったんだよね」
真希は照れくさそうに笑う。
「ルミナちゃんの話ばっかりしてたけど、ちゃんと君のことも考えてるから」
その言葉に、胸の奥がふっと温かくなった。
「……ありがと」
素直にそう言うと、真希は嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、またね! また配信リアタイするときは連絡して!」
「いや、もうしない」
「え~、絶対するって!」
「しないってば!」
軽口を叩き合いながら、改札の向こうへと消えていく真希の後ろ姿を見送る。
手元に残った、小さな紙袋。
それをそっと握りしめながら、私は思った。
「……ちゃんと、私のことも大事にしてくれてるんだ」
少し、安心した。