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第36話 慈悲なき選択

真っ暗な空間に閉じ込められた無名はすぐさま自身の周りを結界で覆った。

明らかに危険な雰囲気が漂っており、警戒を強める。


(これは……闇属性魔法か。それもかなり高位の魔法だな)

闇属性魔法はあまり知らず、無名も見たことがなかった。

しかしあのルクレティアが全力で放った魔法なのだからと警戒を緩めることはしなかった。


結界を何重にも張っていても安心はできない。

この瞬間にも一番外側にある結界が割れた。


(相手を封じ込める魔法?……いや、違うな。強制的に心臓へダメージを与える精神魔法か?)

無名は思考を止めることなく、打開策を考える。

結界の残り枚数も後少しであり、時間に余裕はない。


(あれならここから逃れられるかもしれない……)

一つだけ思いついた方法があったが、現実的ではなかった。

無名にはまだ使えない転移魔法による脱出。

使いこなせない魔法を土壇場で使うのはリスクが大きくあまり推奨される挑戦ではない。


とはいえ少しずつ結界は破られており、考える猶予はないに等しい。

無名はすぐに魔力を練り始めルクレティアの直ぐ側の位置へと転移する為目を瞑り集中する。


転移魔法の難しいところは正確な位置を魔法陣に刻まなければならない所にある。

それに転移先に障害物があった場合、身体が岩などと同化してしまい死に至る可能性が高い。


今までに見たことも無いほどに無名は集中力を高めていく。


(座標は……この魔法を発動した時の女王の位置が十四時方向におよそ三メートル。そこから右斜め後方一メートルの場所に勇者……それなら……)

幸いにも戦場であるこの場所は障害物になり得る物が殆どない。

ルクレティアとエミリアの位置さえ間違えなければ転移先は問題がなかった。


(座標固定……魔力の流れは……問題ない。後は発動のタイミングを合わせるだけ)


結界が全て砕けた瞬間、無名は胸の前で魔法陣を生成する。

空間に歪みが生まれ、膨大な魔力と引き換えに無名の姿は音もなく消えた。




――――――

生命力と引き換えに神級魔法の発動に成功したルクレティアはその場に両膝を突いた。

息遣いは荒く、呼吸するだけでも苦しそうな表情を浮かべる。


「陛下……なぜそのような真似を」

「エミリア……奴はここで殺さなければならなかった。あれは……人の心を理解する事のできぬ化け物の類だぞ」

ルクレティアは無名の目が怖かった。

無表情であるはずなのに、恐ろしいと感じてしまった。

ルクレティアを見ているはずなのに、ただ道端の石ころを眺める……そんな無関心な冷たさを感じ取ってしまった。


「それに我々ルオール法国最高戦力がたった数分で敗北した事実は士気にも影響する……妾の命と引き換えてでも殺しておかねばならなかったのだ」

「陛下……貴女の剣になると誓っておきながらこの無様な結末、申し訳ございません」

「よい、気にするな。あれが人外であっただけの事。流石に神級魔法をその身で受けておいて無事では済むまい。急いでここから――」

ルクレティアが最後まで言葉を紡ぐ事はできなかった。


「ガフッ……な、ぜ……」

ルクレティアの胸から鋭利な刃が突き出ていた。

背後から一突き。

その刃は亜空間から飛び出てきたようで、人の頭程の魔法陣がルクレティアの背後数十センチの所に浮かんでいた。


「陛下ッッ!」

エミリアが片腕の痛みに堪えながら、ルクレティアへと駆け寄る。


既に刃は消えて無くなってしまったが、胸からおびただしい量の血液が流れ落ちていた。


エミリアが必死に傷口を塞ごうと手で抑えるが、零れ落ちる血は止まらない。


誰の仕業か、そんなもの誰でも察する事だろう。

エミリアは目に涙を浮かべながら、振り向きルクレティアに刃を突き立てた張本人へと視線を送る。


「危ないところでした」

淡々と冷静な態度でそう呟く無名は、片手をルクレティアへと向けていた。


「どうやって抜け出したのですか……あれは陛下が自身の命と引き換えに放った魔法です。そう簡単に抜けられるはずが……」

「転移魔法ですよ。神級魔法は確かに脅威ですがそれを上回る難易度の魔法を使えた僕の方が優れていた、というわけです」

エミリアも転移魔法の存在は知っている。

しかし使いこなせる者は世界でも限られていると聞いているが、目の前の勇者がその一人などと信じられなかった。


「転移して……逃れたのですか。ですがわざわざ陛下を亡き者にする必要はなかったでしょう……」

「これは戦争だということをお忘れですか?殺意をもって刃を向けられれば僕も相応のお返しをしますよ」

「どのみち長くはもたなかったんです、わざわざ殺す必要はなかったでしょう!」

エミリアが声を荒げても無名の態度は変わらなかった。


「安心して下さい。貴女もその方の下に送りますから」

「え――」

今度はエミリアの胸から刃が突き出ると、大量の血が吹き出す。


「ゴフッ……」

エミリアの口からはドス黒い血が溢れ、徐々に鎧は赤く染まっていく。


「|亜空よりきたる死の祝福デスギフト。予測不能な魔法です。どこから刃が出てくるか分からなかったのでは?」

無名の言葉を聞いている余裕はエミリアにはなかった。

突如訪れた死の感覚。

たとえ勇者であろうとどれだけ強者と言われようと人間である以上、血を流しすぎれば死に至る。

回復魔法が使える者はそばにいない。


少しずつ体温が失われていくエミリアは自分を見下ろす無名に目を向けるくらいしかできなかった。


ルクレティアは既に瀕死、エミリアも長くはない。

血塗れの二人を背に無名は歩き出す。


無名がどこに向かおうかなどと容易に想像できる。

自分達に降りかかった凶刃が、今度は法国軍に向けられているのだ。


なんとか声を振り絞りエミリアは口を開く。

「我々……だけでは気が済まず、兵達も同じように殺すの、ですか……?」


「何度も言いますがこれは戦争です。降りかかる火の粉を払う、ただそれだけです」

「既に法国軍に戦う意思はありません……私が最高戦力だったようですので……」

「なら、そこの女王がまだ生きているのなら白旗を軍を退かせて下さい」

無名が瀕死のルクレティアに目を向けると、僅かながら小さく口を開けた。


「……ルオール法国、の、女王として……宣言する。……我々の、負けだ」

しかしながらルクレティアの声は小さくとてもではないが、法国軍の元まで聞こえるはずがなかった。

聞こえたのはエミリアと無名にだけだった。


「貴方達の部下は未だ戦う意思を見せているようですが?」

女王と勇者が重傷を負い、すぐにでも駆け付けねばと今この瞬間にも法国軍の本隊がこちらへと向かって来ている。

無名の攻撃範囲に入れば、またあの広域魔法が飛ぶことになるだろう。


それを危惧したエミリアが剣を杖代わりに立ち上がる。


「貴方が……無為に命を散らすと言うのなら、立ち塞がるまで……」

エミリアに戦う気力は殆ど残されていなかったが、これから何万人もの法国軍の者達が殺されると思うと立ち上がらざるを得なかった。


「そんな状態でまだ戦うつもりですか……」

無名は呆れたように肩を竦める。

無名といえども魔力は無尽蔵ではない。

転移魔法を行使したせいで半分以上の魔力が失われており、消耗している状態だった。



「私はまだ戦え――」

白亜の雷槍(ボルトランス)

無名の掌から放たれた魔法はエミリアの心臓を撃ち抜いた。


エミリアは言葉を最後まで紡ぐ事ができずそのまま地面へと倒れこんだ。



「これで二人……まだまだ数はいるし、魔力がもてばいいけど」


ルオール法国の女王と勇者を殺し、こちらへと向かって来る大群へと顔を向けて無名は小さく呟いた。

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