28-過去
──かの声を聴く。
それは初めて自分が真に聴き惚れた声であり、自身を形作るきっかけとなった声であり、先行きの見えない暗闇に道をつくった声だった。
しかし、どこか聴き覚えのあるその声は、
いつもより幼い気がして──
–
「ファっちゃんできるもん!!!」
けたたましい、つんざく声音が響く。
それは穏やかな午前のことだった。
草原が陽光に照らされて踊っている丘の上で、四人の家族が笑い合っていた。
──正確には一人だけ、その小さな頬を膨らませ、顔を真っ赤に染めていた。
小さな子供は赤い髪をツインテールに纏めて、ふりふり感情と共に揺らしながら抗議する。
「ファっちゃん余裕だから!!」
「だーはは! よく言うぜ!! さっきから一回も出来てないじゃんか」
「出来るし!! ファっちゃん、てん、さい? だし!」
「なーに言ってんだ。ファっちゃんは天才じゃなくて、凡才だってーの! この凡才から生まれた娘だから間違いねぇ!」
「ちーがーうーのー!!!」
再び地団駄して抗議する少女に髭を蓄えた中年の男は腹を抱えて笑う。
特徴的な赤い髪は短く切り揃えられ、装備する鎧も胸当てが目立つ程度の軽装だ。
鍛え上げられた肉体は剥き出しに、周囲を威嚇している。
目立つのはその悪人面と、背負う巨大な紅の大剣。
そんな屈強な男を前に、横の淑女は恐れることなく口出しする。
「ガイオン、やめなさい。娘を揶揄うのは」
「とは言ってもよ、アイリス。コイツ、自分に才能がないのわかってるくせに天才と言うんだぜ? 笑えるだろう」
「全く……それを口に出さないのが大人というものでしょうに」
口から溢れる溜息は、流れなかった日がないくらいには吐き慣れた落胆の感情が込められている。
昔はこんな男ではなかったのに、いつからこんなふうになってしまったのか。
そう後悔するアイリスと呼ばれた日傘を差す淑女。
彼女は純白のドレスに、腰ほどまで伸ばした長い黒髪が特徴の女性だった。
美貌は言うまでもなく至上。キレのある瞳とシャープな頬のラインが神の悪戯を感じさせる程に完成された美だった。
アイリス・フレアクラフト。
隣で尻をつき腹を抱えて笑う、ガイオン・フレアクラフトの妻である。
そしてその目の前、真っ赤な顔で小さな頬を膨らませる少女こそ──ファレーナ・フレアクラフトである。
現在五歳。本格的な鍛錬を始めたばかりの、剣術の道に入りたてのファレーナであった。
「旦那様、奥方様、そしてファレーナ様も。お茶が入りました」
「さすがね、リベリー。貴方の手際にはいつも驚かされます」
「恐縮です」
少し離れた場所で、サバイバル用品を使用して淹れられたお茶を貰いご満悦なアイリス。
それに淡々と、当たり前のように一歩下がってスカートの裾をつまみ、ぺこりとお辞儀してカーテシー。
リベリー──リベリカもまた、齢五歳のメイドなり立てである。
しかし、その所作は同年代のファレーナとは比べるべくもない。
完成度の高いそれは熟練のメイドを思わせる美しい動きだった。
「ファっちゃんにも見習わせたいもんだぜ!! なんで同年代なのにこんなに差がついちまうんだろうなぁ? あ、俺の娘だからか!! だーはは!! 残念だったなぁ!」
「ファっちゃんだって出来るもん!! ほーら!」
終始腹を抱えて爆笑するガイオンを見返すため、ファレーナもくるりと回ってカーテシー。
その所作は、リベリカのような美しいものではないが、可愛らしいものではあった。
リベリカはそれに小さな拍手を送る。
「お上手です。ファレーナ様」
「でしょー! ふふん」
見事に調子に乗るファレーナの鼻は高い。
そんなあまりにちょろい娘の姿を見てガイオンは頭を抱える。
「威厳がないよなぁ威厳が。仮に俺の娘とはいえもう少しイケメンというか、イケてるところを見せて欲しいもんだぜ」
「イケてるもん!! ファっちゃんちゃんと炎出すから! ほら!!!」
父を見返さんと手を翳す。
小さな手のひらには体内で凝縮された魔力が少しずつ蓄積し、その力を増していく。
手のひらが赤く発光し、魔の発現は疑いようのものとなる。
「おお……」
「さすがです。ファレーナ様」
その様子にリベリカはもちろん、ガイオンも声をあげて驚きを示す。
アイリスだけが唯一お茶を飲むながら静観していた。
「んーーーーやぁ!!」
手のひらに集めた熱は十全。
魔力の扱いは既に熟知している。
収束した魔力は爆弾と同等の力を有し、その破壊を現実に齎して実体化する。
それを魔術と人は呼ぶ──未だに成功したことないファレーナの初の魔術は今ここに、
「あれ?」
成功しなかった。
ぽんっ、と間抜けな音を出して魔術は不発。
体内から絞り出した魔力はそのまま空気で霧散して、どこかへ消えていった。
「そんな……」
魔力が体からごっそり消えたのと、眼前の失敗の精神的負荷がファレーナの膝を折った。
危うく膝の皿を割りかねない衝撃は、幼いメイドの助力により防がれた。
「ありがとう……」
「いえ。あと少しでしたね」
膝から落ちたファレーナの身体の前に滑り込むようにして支えたリベリカは、正しくメイドの鏡といえよう。
ゆっくりと原っぱに座らせて安全を確保。
ファレーナの魔力は、一発魔術を撃とうとしただけで力尽きそうだった。
「ほーら無理なんだよ。なんたって俺の娘だからな」
「ガイオン」
本気で気分を落としてる娘を前に、嫌味を言うガイオンを諌めるのはアイリスだ。
日傘の陰から睨みつける彼女の瞳は絶対零度もかくやと言った冷え具合だ。
とはいえ当たり前だろう。
父親としてはゼロ点の言葉ばかりを並べるのだ。
母として、妻としては文句の一つも言いたくなる。
だが、ガイオンは目を逸らすだけで謝ろうとはしなかった。
「良いんだよ。魔術なんか使えなくたってよぉ。下手に才能があっても、雑にこき使われるだけだろ。俺がそうだ。才能がなかったのに、努力しちまったから今こうなってる」
「──」
ガイオンの言葉にアイリスは反撃出来なかった。
彼の人生の半分しか知らないが、半分知っていれば色々知っているものだ。
その半生に、どれほどの苦労があったのかは、察して余りある。
頭の上でハテナを浮かべている愛娘に、同じ目に合わせたくない。
そういうことだろう。
「にしても言い方があるでしょうに」
「けっ。生憎と親に育ててもらった事がないんだ。正解なんてしら──おぉい!? アイリス! どうした!!」
空気は最悪。一触即発。
今にも夫と妻の離別の時かと、思われたその瞬間だ。
アイリスの端正な顔からは想像もつかないアホづらで口からお茶が滝のように流れ出した。
「遅行性……の、不味さ、とは……ばたっ」
「あ、アイリスぅぅッッーー!!!?」
はらり、パタリと倒れたアイリスを抱き抱え、劇的なワンシーンが如く天に叫ぶガイオン。
犯人のリベリカは、至って落ち着いた様子で首を傾げ、
「新作の茶葉が手に入ったので全てブレンドしてみたのですが……いささか挑戦が過ぎましたか」
「そんなとこで子供心出してくるなよなぁっ!? ちくしょう! リベリカもファレーナも五十歩百歩だぜ!!」
「あはは! 母様おかしいの!」
ファレーナはそんな両親の様子とリベリカの失態に腹を抱えて笑っていた。
ファレーナのその様子を見て、また皆で笑い出す。
あーーこんな日々が続けば良いのに。
そんなファレーナの心は驚くほど早く打ち砕かれることになる。
それは二ヶ月後のことだ。
両親が仕事先で死んだと、ファレーナが報せを受けたのは。
読んでいただきありがとうございます。
少しでも“面白そう”と“続きが気になる”と感じましていただけましたら、『ブックマーク』と『評価』の方していただけますと幸いです。
皆様の応援が作者のモチベーションとなりますので、是非ご協力よろしくお願いいたします。




