12-予兆
そこからの修行の日々は地獄と呼ぶに相応しかった。
それこそブルブラックの元での虐めがお遊びに見えてしまうほどの地獄。
毎日繰り返される苦行。
半日魔物に追いかけられ体力を搾り尽くした後、達人から繰り出される剣撃をどうにか受け止めて、机いっぱいに出される料理の山をなんとか食べ切って、泥のように眠る日々だ。
吐いたことはしょっちゅうだった。
苦しさから胃を搾り出し、中身を吐き散らせば、その日の食事は苦いものが多くなった。
薬膳に近いものなのだろう、それを食すだけで次の日からの吐き気はだいぶマシになった。
ただ自身に付き纏う、身体の機能をゼロから作り直されているような不快感は、毎日増して行った。
常に込み上げる嘔吐感、身体は元気なのに脳が疲労感に泣いている。
心に広がる闇が身体に絡みつき、ズブズブと底へ底へと誘ってくる。
息は出来なくなり、苦しみは永続的にブランクを襲う。
世界は平気なのに、自身だけが異常に塗れているのだと、理解するのに二週間かかった。
そうしてブランクは行動を起こした。
いつも通り、死ぬほど用意された料理を平らげて、寝床に行く。
そこには先に就寝したファレーナがスヤスヤと寝ている。
小さな身体だ。
細い首は森に落ちていた枝より細く見えた。
あまりにか弱い。実年齢は幾つなのだろうか。記憶喪失ではあるが、ブランクは自分の方が年上な気がしていた。
ファレーナの身体に跨った。
息が荒い。
顔が熱い。
心臓が胸から飛び出したような気がするほど、鼓動がうるさい。
しかし視線は揺れることはなくただ一人に集中している。
ファレーナの寝顔は綺麗だった。
燃えるような赤い髪。フレアクラフトを象徴するその髪は、彼女の信念、在り方を決定付けているものだ。
ボロ屋に差し込む月光に反射して、燃え盛る炎のような輝きを放っている。
きめ細かい肌、長いまつ毛、小さな顔。
この優良な血が絶えると思うと言いようもない気持ちに襲われた。
しかし、今は──
「……ふぅ……ふぅ」
細い首に両手を当てる。
殺意を持って。この異常な世界を終わらせる気持ちで。
だが、
「……あ」
触れた瞬間、心に広がった闇が晴れた気がした。
細い首。
力を込めれば簡単に折れてしまいそうなその首は、
「あたたかい……」
とても温かった。
心に広がった闇の中に生まれる小さな太陽が、闇を切り裂いていく。
闇に沈み、絡みつく心が一気に軽くなった気がした。
そして込み上げる、涙。
「くそ……くそ」
ブランクはすぐ手を離し、隣の寝床で横になる。
明日も早い。
こんなことをしている場合ではないのだ。
だがいつもより寝付きは悪かった。
「……」
そんなブランクを薄目で見るファレーナ。
その表情は少し嬉しそうに見えた。
—
次の日のこと。
いつも通り半日の魔物との追いかけっこを終えたブランクは、いつもと違う面持ちでファレーナの前に立っていた。
疲労感が浮かんでいるのは変わらない、ただ目つきが良い。
自然とファレーナの構える木剣にも力が入る。
そして繰り出される目視出来ない超絶技巧から繰り出される斬撃は、いつも通りブランクを──
「──っらぁっ!!」
吹き飛ばさなかった。
斬撃を的確な角度で受け、後ろへと力を流した。
瞬間、ファレーナの目が開く。
しかしすぐにもう一撃が──
「ォォォォッッ!!」
それも防ぐ。
完璧に。一切の無駄なく力を流している。
ファレーナも気を緩めることなく、連続で、間隔を変えながら五十回斬撃を繰り出した。
その全てが、ブランクによって防がれた。
五十回が終わった時、緊張の糸が切れたようにブランクは膝をつく。
息はいつもより整っている。力を適切に流し、余計なダメージを受けていないからだ。
ただ心が保たなかっただけ。
「やったじゃない。初めて成功して、しかも連続でさばき切った」
パチパチと手を叩いて褒めるファレーナ。
ブランクの方は喜ぶ余裕はないようで、下を向きながら、
「なんか、訳がわからないうちに……今でもよくわかってないです」
「それで良いのよ。貴方の固有術式が判明していない以上、レイテムの動きを真似した再現性を上げる必要がある。その条件はおそらく──剣を交える」
「剣を?」
「“剣”を、なのかはまだ不確定だけどね。でも私の推測は正しかった。リベリカのおかげよ」
リベリカにブルブラックの道場での、ブランクの半年の記録も調べてもらっていたのだ。
レイテムとブランクの絡みを調べたところ、基本的に寝泊まりは別であり、道場内での稽古でしか顔合わせをしなかったという。
つまり、稽古と称した虐めこそ、ブランクがレイテムの動きをコピーした、或いは出来た要因と考えたのだ。
「そして今回で判明したのは、貴方の固有術式は“真似する”が主な目的ではない。といったところね。コレはまぁ、知り合いに知恵を貸してもらった結果だったんだけど、上手くいったわね」
真似するだけならば剣をさばくのは不可能だ。
つまり、ブランクの能力は相手の動きを完全にコピーするだけではなく、そこに至るまでの過程がある、ということなのだろう。
「とりあえず、貴方の固有術式は剣を交えることでも発動が可能ということよ。じゃなきゃ」
剣が条件に組み込まれているのかは現段階では不明だ。
しかし、今回の実験で立証されたことがある。
それは、
「──たった三週間で私の剣をさばけるはずがない」
核心をつく言葉には説得力があった。
騎士の等級は基本、一等級につき超えられない壁が用意されている。
岩を切れる、鉄を切れる。そういった技術から、町を一人で制圧できる、S級魔物が討伐できる、といった指標まで。
ただ、十等級と黒等級との差は大きいと言われ、その理由は黒等級は努力ではなれない、という通説があるからだ。
黒等級になるものはそもそもそれだけの才能があった。
それだけ、騎士等級の差はハッキリとしていた。
であれば無等級であるブランクが、八等級のファレーナの斬撃を完璧に受け流すことは理論的に言えば不可能に近い。
しかも、あの黒等級のブルブラックを瞬殺したファレーナの真の等級は判明していないためそれを考えると尚更不可能と言えた。
その斬撃をさばいたのだ。
不可能を可能にしてしまったのだ。
「方針が固まったところで再開するわよ。今日からは斬撃を受けれるようになったら倍に増やしていくわね」
「ば、ばい!??」
「当たり前じゃない。動物は窮地に落としてこそ、真価を発揮するのよ」
可愛らしくウインクをするが、提案そのものは化け物のそれだ。
地獄の熱をさらに増そうというのだからブランクからすれば溜まったものではない。
目尻いっぱいに涙を溜めて、ブランクは叫ぶ。
「僕は人間ですよォォッッ!!!」
—
人が強くなるには強い思いが必要である。
目標には夢を。
目的には動機を。
動く燃料がなければ、動かない。
人が食事を取らなければ死ぬように。
目標にも食事が必要なのだ。
であれば“目標”がない人間はどうしたら良いか。
簡単である。
目標を作れば良い。
それが例え殺意だとしても。
動く目的になれば、問題はないのだ。
行先が例え絶壁だったとしても。
「貴方はあまりに純朴すぎる」
日課となった木の上からブランクを監視するファレーナ。
彼に植え付けた殺意の感情はすぐに消失した。
根が優しいからなのだろう。
目標が朧げな彼が、毎日同じことの繰り返しと度重なる痛みと疲労によりいつか心が壊れることはわかっていた。
武道に精通する人間でなければ、この過酷な環境を生き抜くことは難しい。
それでも一つ安心したことがある。
「逃げることはしない、か」
行く宛てが無い不安というのもあるだろう。
しかしこの地獄よりはマシなはずだ。
それでもこの場から逃げない賭けをした。
彼が見せた、ブルブラックの道場での強さへの異常な執念。
それがどこから来るものなのか未だ不明ではあるが、
「無意識に強くなろうとする程度には、強力な願いなのね」
彼の記憶が消える前、一体彼がどこで何をしていたのか。
何を望んでいたのか。
彼を門下生にするときは毛ほども気にならなかったファレーナだったが、初めて彼の過去に興味を持った。
「ふふっ、それにしてもまさか三週間か。異常ね」
当初の予定では一ヶ月はかかると思っていた。
レイテムとは違い、彼我の実力差は海の底と宇宙ほど離れている。
無意識に使う力はそれほどに桁違いの能力なのかもしれない。
ファレーナは先の見えない未来に期待を寄せ、胸を高鳴らせていた。
本日も遅れてしまいました。
休みの日にたくさんあげれたらあげたいものです。
明日も朝は上がれそうに無いので、20時近辺での投稿となりそうです。
よろしくお願いします。




