5.血塗れ事件現場
空は曇天。灰色の雲は昨日に引き続き、この後の雨模様を示しているのかもしれない。
この世界にはアメダスとかはないけれど、気象師というスキルは存在するため天気予報は一応ある。しかし利用するのは農家や漁師などだから、街に住んでいる自分達にはあまり関わりのないとも言える。
それでも順一は以前の世界の習慣で、新聞の片隅にある天気予報は目を通していた。今日も天気はあまりよくない。
それに比例するように隣の男の顔は晴天であった。ご機嫌に最近研究しているらしい魔法の話をしていた。
「クリーンにも種類があって、細菌など顕微鏡レベルのすべてを取り払うものから、表面的に目に見える汚れだけを取るだけのものまでな。以前の世界でも消毒と除菌と滅菌と殺菌といろいろ違っていたから、それに近い感じなんだろうと思う。魔術だけじゃなく魔道具も使う人間によって効果に変動があることが最近の実験で分かったんだ。それで――」
「そろそろ魔術研究の話は止めようか、ホームズくん。このデカイ建物が、例の空き店舗みたいだよ。」
まだまだご機嫌な話が止まらない彼を遮るように、前方を指差した。
その先には軍服に似たようなミリタリーグリーンの制服の警備員たちが、中に無関係のものを入れないようにするためのロープを張っている所であった。ロープは黄色であった。
たくさん警備のものが出入りするからか、野次馬も何人かやってきてるようで、彼らを入れないようにするものなんだろう。
事件現場は長細い箱が3軒並んでいる建物の一番端のようであった。【ガーダルシア】を作った異世界人が、一番最初に"すぐに商売できる店舗"として作った建物ひとつであるようだ。その建物には貸店舗という張り紙は3軒の建物すべてに貼り出してあった。以前は人通りもそれなりにあった地区らしいのだが、歴史と共に中心地が移り変わり、現在は裏通りの人通りのない寂れた場所になったようだ。こじんまりした店舗ならそれなりに借り手があるだろうが、無駄に大きく使い道がなかったのだろう。有名な土魔法使いが建てたというブランドも、使い勝手が悪ければ役に立たない。
レンガっぽい造りの古い建築物だからか、そこに人が死んでいると知っているからか、順一にはおどろおどろしいモノに見えて少し尻込みをした。
「あの、えっと……、地区センターの村田さんから、警備責任の桶田さんに彼を紹介するように言われたのですが―――」
一番近くにいた警備員に声をかけると、怪訝な顔をしてその場で待つように言われる。状況は伝わってなかったようだ。
事件に一般人が乗り込んでくる常識なんて持ってないところをみると、彼も現代日本からの転移者なんだろう。
待っている間、ホームズは建物の周りをうろうろしていた。しゃがんで土を見たり、背伸びして街路樹を見たり。その姿は"名探偵ホームズ"と思わなければ、好奇心旺盛な保育園児のようにしか見えなかった。順一が母親ならじっとしてなさいと叱るところであろう。
ホームズの覗き込んでいる建物と通りの間には、ところどころ色の悪い草が生い茂っていた。手入れが悪いところを見ると、ずいぶん長い間空き店舗だったことがわかる。隣の空き店舗との隙間も覗きこみ、それから3件の建物を順番に覗き込んでいた。
3件の建物の前は広い道路を挟んで広場があり、裏口を出て10メートルも離れずに川が流れている。建物横には裏口に続く小さな道が通っている。建物が長細いため道も長細い。その道は土と砂利を混ぜたもので出来ているらしかった。昨夜中降り続いていた雨に濡れて、どこもかしこもびしょびしょだった。
ホームズは表の道を足元を見ながらゆっくり歩き、さらに後ずさりしながらゆっくり戻ってくるを何度か繰り返していた。そのあと、視線を地面にから離さずゆっくりと裏口までの小道を進んだ。小道と言うよりも脇に生えている草の上を裏口にに向かって歩いていた。ホームズは裏口付近で二度立ち止まった。そして一度、彼は微笑み、満足そうな叫びを上げるのが聞こえた。それがまた保育園児のようであった。
「ねえ、この辺りは地震災害はあるのかい? 」
「え、唐突だなあ。ガーダルシアは大地の加護があるし、暴れ地龍のいる国から遠いから地震なんてないよ。日本と違って今まで揺れたことない。」
「なるほど、地盤はしっかりしているということか。」
「そうだね。――ねえ、そこに足跡着けたちゃってるけど、いいの?」
「まあ……、いまさらだろうしね。」
濡れた粘土っぽい土の上に沢山の足跡が残されていた。しかし警備員がその上を行ったり来たりしていたので、ホームズがそこからどのようにして何かを読取れるのか、見当もつかなかった。
"警察"も"監察"も"遺留捜査"もないこの異世界でどこまで何を読み取れるのか……。
順一には何も見えなくても、ホームズが"名探偵ホームズ"であるならば、そこから非常に多くの情報を読み取っているはずであった。
★
「あなたが自称……シャーロック・ホームズさんですか、村田から聞いています。協力いただけるということでよろしいでしょうか。」
桶田という警備責任者と名乗ったのは、背が高く色白でメガネを掛けた男であった。少しホームズをバカにしたような言い方で、観察によればホームズはカチンときたようだった。
「この世界には現場保存の概念はないってことですか、桶田警備責任者どの? 」
ホームズは足元を指差す。
「刑事ドラマでも、ミステリー小説でも、転生前に誰も見聞きしてないんですね。折角昨夜雨だったのに、警備員の足跡だらけだ。」
順一の目にも泥だらけの歩道にも、柔らかそうな土の上にもたくさんの足跡がみえた。
「ベータ地区ではこんな事件初めてなんですよ。誰も慣れてないもので。」
桶田は肩を竦める。
「取り敢えず最初の発見者である警備員が、記録石で現場をスキャンはしたんですがね。」
「記録石は写真みたいなヤツだろ。それで十分だと責任者どのが思ったのなら、そうなんだろうよ。さ、行くよワトソンくん。」
「………ワトソンじゃないけどね………。」