3.この世界の魔法の常識
ホームズはたしかに同居しにくい人間ではなかった。ふだんの態度は物静かで、規則正しい生活習慣だった。早寝で夜十時以降は部屋の灯りを真っ暗にして物音ひとつたてず、朝は早起きで順一が起きる前にいつも朝食を終えて出かけていた。この世界に早く慣れたいからだと言っていた。
行き先はどうやらデルタ地区の外れや都市外のスラムのようだった。魔法が思ったより楽しかったらしく、広いところで魔法をぶっぱなしたり、スラムの住人にクリーンやヒールをかけて練習したりしているようだった。
そうやって活動的にしばらく過ごしていたが、一月ほど経った頃に反動がやってきた。今度は全く家から出なくなったのだ。彼は何日もずっと居間のソファの上に寝そべり、朝から晩まで身動きもせず、じっと黙りこんでいた。
順一が色々話しかけてもホームズの目はうつろで、たいした返事も帰ってこない。彼が身の回りを清潔にしていなかったら、薬物中毒を疑ったかもしれない。一見、平和な【ガーダルシア】でも、スラムで違法薬物が取引されている話も聞く。
観察によれば"疲れてぼんやりしている"だったし、念のためレアで高額(必要経費として区に請求した)な"病気診断"の宝珠も使ってみたが、ただの疲労だった。おそらく魔法の使いすぎだろうとのこと。どうやらぼんやりすることで魔力回復をしているらしいことが解って放って置くことにした。
部屋は壊されないが、色々心配な人物ではあった。
そうやって数週間が経つのちに、順一の好奇心に火がついた。まあ暇だったとも言う。これだけ謎多き同居人である。気になるのは仕方ないだろう。
見た目がどうみても日本人であるのに、かの名探偵シャーロックホームズと名乗るこの同居人がかもしだす面白そうな謎のほうがよほどミステリーであるし、それを解読しようと非常に長い時間をかけた。
まずは観察である。
着ていた服からも同時代の日本人だと推測した。順一の居た時期ではMA-1は人気を通り過ぎて「定番化」になっていたので、ちょっと流行りに疎そうなホームズが着ているのなら恐らくなにも考えずに定番商品を手にしたのではないかと考えたのだ。あとは会話に草などネットスラングを混ぜてみたが、難なく理解しているようであったことから確実であろうと予測した。
また彼は頑なに出身を言わなかったが、ある日ホームズさんと声をかけたら「はい、元気ですー」と返事だったことを村田へ報告すると「埼玉県人の疑いがある」とのこと。村田が言うには、学校で出席をとる時に健康状態まで答えるのは埼玉県人だけらしい。本当かどうかは知らんけど、埼玉出身・異世界在住のシャーロック・ホームズってちょっと面白い。
まだ埼玉県人かどうかの確信にはならないが、順一は今後追求していくつもりだ。
この世界に来てから順一の家に置いてある魔法書を読み込んでいるようであったが、魔術に属性があるという常識を知らないようであった。
風呂に湯をためてみると言うのでやらせてみた時のことである。通常、二つの属性の持ち主以外は魔道具などを使い火と水の複合魔法として使うのだが、ホームズは水魔法のみで温度を調節して風呂水を溜めてみせた。
「なに、お湯も水も氷も、結局同じH2Oだろう? 」
「つまり、氷の属性がなくとも水の属性があれば氷まで出せるってこと? 普通、常識的に属性がない魔法には莫大な魔力が必要になるんだよ!? 」
「属性? ―――なるほど、確かに火はライターくらいだし風はそよ風しか出なかった。水が一番使いやすいが……、ふむ、これが属性か。」
そう言って納得したように笑うホームズに、順一はビックリしたものだ。
「少しだけ火や風が出るのは生活魔法と呼んでいて、魔力があればこの世界の人間は大抵その程度は出来るんだけどね。こんなに水を自在に操れるってことは、ホームズくんは水属性か。確かに水属性とクリーンやヒールは親和性が高いって聞くからね。君が掃除当番の時はやけに綺麗だと思っていたよ。」
「魔法で掃除出来るなんて、夢のようだったからつい必要以上にしてしまった部分はあるね。―――ねえ、他にはどんな属性があるのかい? 」
「他の属性? さっき君がライターやそよ風しか出せないと言ってた火や風はポピュラーだね。属性があれば火柱や竜巻になるから、冒険者になる人が多いよね。木属性は植物を育てるから農業者になることが多いみたいだよ。」
「ふむ。属性で職も左右されやすいんだな。」
「あと、この国だと土属性のほうが有名だね。建築に使われてる四角い建物に使われてるからね。この家も古くから建っているから、建国時の土属性魔法使いが作ったものらしいよ。その魔法使いが建てたものには、レンガの中に泥棒避けの魔道具が埋め込まれているらしいし。」
「なるほど。かなり頑丈だとは思ったが、魔法で作られたモノだったか。」
「Sランク冒険者の魔法使いだったらしく、それを越える土属性魔法使いじゃないと建物を動かすのが精一杯で、絶対に壊せないらしいよ? お陰で前の同居人がどんなに破壊のスキルを使っても、壊れるのは家具だけで済んだんだけどさ。壊せないけど動かせるから、引っ越しの時は土魔法使いに建物ごと引っ越すこともあるらしいよ。楽チンだよねえ。」
「ほーなるほど。属性とは実に興味深い。」
★
このように、ホームズは異世界常識というのを知らない人間であった。前世でファンタジー映画やゲーム、異世界ものの小説やアニメなんかは見てこなかったのだろう。
魔法についてはそれがプラスに働いていたが、知らなすぎることは順一にとって心配な事案でもあった。
「ええ!? スライムが何か知らないだって? この世界のスライムはまだしも、前の世界でもゲームとかででてきたじゃん! 」
「ほう。このポヨっとしたやつはゲームに出てくるようなものなわけか。」
【ガーダルシア】には、もれなく魔獣が存在した。
それは、かつて順一がゲームで戦ったような敵キャラクターに良く似た魔獣ばかりだった。
例えばスライムやゴブリン、オーガなんて定番からドラゴン、ヴァンパイア、サイクロプスみたいな強そうな魔獣も、前世のゲームやアニメの記憶通りのものであった。それらのほとんどは迷宮にでも潜らなければ出会うことなはい存在だが、魔獣を素材として作られた道具や防具、生活の品は数多くあったため、【ガーダルシア】でしばらく生活して魔獣の存在を知らずに生きることは不可能に近い。
迷宮外でも見ることができる魔獣の代表はスライムである。【ガーダルシア】の下水処理やごみ処理に重要な役割を持つ有益な魔獣の代表で、普通に生活していたら知らないわけがない魔獣だ。益魔と呼ばれていて、どの家庭も地下にスライムを飼っているし、もちろん順一の家にも数匹地下でごみ処理してくれている。
それを知らないというのは、肉を食べているのに牛や豚や鶏を知らないと言っているようなものだ。
そうでなくともファンタジーネタ溢れる現代日本に居たと推測されるホームズには、マンガやゲームをしてなくとも、なんとなく見聞きしていてもおかしくないはずだが……。
少なくとも順一の子供時代はマンガやゲームは友達とのコミュニケーションツールで、モンスターの話題で友人と何時間も喋った記憶がおおいにあった。そうやって自分が触れたことのない作品でも、なんとなく知っていたりするものだが。
「DQじゃなくともFFにも出てくるじゃん! マイクラにだって出てきたでしょ……。ええ……。君はいつの時代から転生してきたのさ。それとも友達すらいなかったの……? 」
「驚いているようだが。」
ホームズは、順一のあぜんとした顔に笑いかけて言った。
「いま、僕はそれを知ったが、全力で忘れようとするつもりだ。」
「は?! 」
「いいか」ホームズは説明しはじめた。
「僕は人間の頭脳は江戸間の六畳くらい狭い部屋だと見てる。狭いからこそ、なにを部屋に置くか取捨選択が大切になってくる。手当たり次第に、いろんながらくたを詰めこむのは、おろか者だ。ベッドを置くより布団にした方がいいし、暖房とテーブルを兼ねたこたつを選択したほうがいいかもしれない。
最終的に、自分に役立つかもしれない知識が押し出される。よくても、ほかの事実とごちゃ混ぜになり、けっきょく知識を取り出すのが大変になる。腕のいい職人は、脳の狭小部屋に持ちこむべきものを慎重に選ぶ。仕事に役立つ道具だけを持ち込むが、その種類は非常に豊富で、ほとんど完璧な順序に並べる。脳の部屋が弾力性のある壁でできていて、ほんのわずかでも拡張できると考えるのは間違っている。知識を詰めこむたびに、知っていた何かを忘れるときが必ずやってくる。要するに、使い道のない事実で、有用な事実が押し出されないようにするのが、最重要課題になるのだ。」
「……なんかごちゃごちゃ言ってるけど、あまり魔獣については知りたくないってことかな? 魔法の属性に関してはあんなに興味津々だったのに。だけどねえ、ホームズ。スライムは充分に使い道あるし生活に役立ってるよ。不本意だとしても、この世界に転生したならちょっとはこっちの知識も得たほうがよくないか? 」
「僕は特殊な自営業者だ。おそらくこの世界でただ一人だと思う。君に説明しても理解してもらえるかわからないが、専門的な助言をする探偵だ。ここロンドンには、公共調査官や私立探偵がいっぱいいるが、お手上げになると、僕のところに来る。そのとき、正しい手掛かりをたどれるように、できるだけの指導する。彼らが持っている証拠を全部ザッと机の上に並べてくれさえすれば、ほとんど場合、僕は犯罪史の知識を活用して、それを順序よく並べなおしてやることができるのさ。犯罪には強い系統的類似性があるから、千件の詳細がすべて頭の中に詰まっているのに、千一件目が解決できないなんて、つじつまの合わない話だ。つまりは探偵には、探偵に必要な知識だけを蓄えておかねばならないのだよ。」
「はあ。探偵ねえ……。」
「異世界では犯罪も、犯罪者も、ご無沙汰だ。」
ホームズは不平がましく言った。
「この職業で、知性があっても使い道があるのか? 僕は自分が知性を持ち、それが僕の名を高めることを知っている。僕と同じ量の研究をし、そして僕のように犯罪を探知できる才能に恵まれた者は、現在どこにも存在しないし、過去に存在した事も無い。その結果はどうだ? 探知する犯罪がない。せいぜい、あまりにも動機が見え透いた、不器用な悪事だ。ロンドン警視庁の警部でさえ見抜くことができる。」
「ここはロンドンじゃないけど……。まあ、君の設定はそうなんだねえ。はあ………。」
順一は恐らくシャーロックホームズの小説のセリフを垂れ流している同居人を否定する気にもならず、曖昧な笑顔を浮かべた。観察によれば"ホームズは語る"と出ていた。いつまでもホームズごっこをする同居人にちょっと苛ついたのも事実だ。異世界サポーターとして良くない傾向だ。
ため息をつきながら窓の外の景色をみる。春らしい青々とした草木が風に揺れていて、実に平和な景色だ。
こういうときは話題を変えるしかなさそうだ。