2.シャーロック・ホームズごっこ
「またとないときにきてくれたよ、ワトソン君。」
待合室にいた、痩せている猫背の男が笑顔を向けてきた。
笑うと目がなくなるくらいの糸目で、黒髪は伸びてもっさりしていた。ミリタリーグリーンのMA-1の下は着古したTシャツとジーンズで、何故か足元は雪駄を履いており、あまり身なりには気を遣わなそうな男であった。笑うと八重歯が見えている。観察によれば"少しだけ緊張している"と出ている。
「ん? ワトソンって? 」
「ん、まあ…、光原くんのことかと思うわ。」
糸目の男のとなりにいた、順一の上司の村田に問う。
小柄なせいか40手前にしては若く見える村田はいつもの笑顔ではなく、珍しく困った顔をしていた。観察によれば"助けを求めている"ようだ。世紀末の日本から転生してきた村田は異世界歴も長く、本人曰く関西弁も薄れてきているとのこと。正確には三重出身だから関西弁じゃないらしいけど、関東出身の順一には違いがよくわからない。
「彼は光原くんやで、ホームズくん。――光原くん、彼は自称シャーロック・ホームズ、らしいわ。」
村田が声を落とすのに合わせて、順一も声を落とす。
「ホームズ……。あの、イギリス、ヨーロッパ区画でなくていいんですか? 」
「あまり人を見た目で判断すべきじゃないんやけど、見た目が明らかな黄色人種で、現代日本の知識を持っていたのでね。」
「なるほど……。―――こんにちは、光原順一です、ホームズさん。」
「はじめまして」彼は、常識を越えた握力で順一の手を握りしめながら、心を込めてこう言った。「見たところ、アフガニスタンに行ったことがありますね。」
「痛っ……。え、いや、アフガニスタンって、地球の? いやいや、俺は前世でも海外行ったことないです。本州以外なら佐渡には行ったことあるけど……。」
「……有名な方のワトソンは従軍中にアフガニスタンで怪我をして、イギリスに行ったって設定だったはずやで。彼は光原くんを完全にワトソン認定したみたいやねえ。―――ああ、ホームズくん。彼がさっき言うてたルームシェアの相手や。」
村田は背の高い三本足の丸椅子に腰を掛け、もう一つの椅子を足で順一の方に押し出しながら言った。
「ホームズくんは【ガーダルシア】に来たばかりで住むところを探している。そして光原くんは【ガーダルシア】に来たばかりで慣れていない人の世話をする仕事なんや。僕の仕事はそんな二人を引き合わせること。」
村田の投げやり気味の紹介で、ホームズは順一と相部屋になることを理解したように見えた。観察では"繋がった!"と出ている。「ルームシェアか! ベーカー街に目をつけている部屋がある」彼は言った。「二人ならぴったりだ。強い煙草の臭いは気にならないか?」
「……ベーカー街ではないけど、俺の家はベータ地区にあるよ。ちょっと古いけど雰囲気いいし、間取りも2DKで住みやすいと思う。レンガ造りの建物で、暖炉があるのがおすすめポイントかな。あとタバコは俺も吸ってるし、全然気にならないよ。――タバコと言えば、この世界にはライターがないから、マッチを擦るなんて古典的な作業をしなくちゃならないけどね。」
こちらのタバコも先人のお陰で前世と変わらないものばかりなのだ。ちなみに順一は赤マルボロを愛煙していた。パッケージも味も全く同じものを再現した技術に乾杯。
「それはよかった。マッチを擦るのもきらいじゃないよ。――それから、この世界には魔法があると聞いた。魔道具や魔石、前の世界で憧れていたものばかりだ。そんなわけで魔法についていろいろな実験をしてみたいんだが。それでは困るだろうか? 」
「実験って……。まあ前の住人も"破壊"スキルであちこち壊す人だったけど、問題なく暮らしたし、問題ないかな。何かあればリターンの宝珠で直せるしな。」
「そうだな・・・・僕の欠点は他にどんなものがあったかな? 僕はときどき、ふさぎ込み、何日も口をきかないことがある。そうなった場合でも、機嫌が悪いと思わないでくれ。放っておいてもらえれば、すぐに良くなる。君の方は、ここで白状しておくことがあるかな? 同居する前に、一番悪い点を打ち明けあうのは、お互いにいいことだ。」
順一は苦笑した。自身の欠点を言い合うなんて今までの住人には居なかったからだ。転生してばかりの割に、ずいぶん落ち着いているように見える。観察にも混乱しているという情報は出てきていない。
「まあ、ちょっとずぼらかな。寝るのが趣味だから、あまり五月蝿くして欲しくないかなあ。」
「ああ、それは問題ない。出来るだけ静かにしよう」ホームズは楽しそうに笑って叫んだ。「これで決まりだと思っていいな、 ―― とりあえず部屋を見せてくれ。」
★
自称ホームズ持ち物は黒のボディバッグだけであった。それに村田の用意した身分証明書の変わりになるドッグタグ、当面の生活費の入ったマジックリングを身に付けている。
マジックリングは前世のスマホに存在が近いもので、大まかな位置情報と簡易的なメッセージのやり取り、キャッシュレス決済が行える魔道具だ。この世界では成人したらほとんどの人が身に付ける。ほとんどの支払いがマジックリングを使うので、少なくとも【ガーダルシア】ではこれがないと生活が出来ない。財布の代わりみたいなもんだ。
性能はピンきりで、高級品は防魔法や防毒などの効果があったり、色々な魔法陣が組み込まれているらしい。役所の用意したマジックリングはさすがに最低限の機能のモノだが。
自称ホームズはベータ地区に向かうゴーレム車のなかで、腕時計のように巻いたマジックリングをしげしげと見ていた。観察によれば"興味津々"とのこと。
「これは時間も分かるのか? 」
「秒針はないけど、この魔石に触れるとここにアナログ時計が表示されるよ。」
マジックリングの真ん中の水晶に、時間が表示される。
「おぉ! 時間は地球のものと変わらないのかい? 」
「正確にはすこし違うらしいけど、同じとして生活してもなんの問題もないよ。ちゃんと一日を24等分にしたのを一時間として、その60分の一を一分と決めたらしいから。どうせ向こうの世界のカップラーメンもないから、同じ一分でなくともいいんだってさ。」
「ほー、なるほど。」
「こっちの魔石は現在の残高が見れるよ。当面の生活費はの20万G入ってるはず。平均的な給料二ヶ月分くらいかな。おおよそだけど1万Gは5000円くらいの価値と言われてるね。あまり無駄遣い出来ないけど、ベータに着いたらとりあえず着替えを買おう。ホームズくんは古着とか抵抗ある? 」
「ああ、着れるならなんでもよい。」
「よかったよ。この世界の衣服かあっちよりかなり高くて、簡単には新品は買えないんだよね。こっちにもユニクロやしまむらみたいな店があればいいのになあ。でも、オーダーメイドは結構凄いよ? 異世界の衣服の再現は斜め上に性能が上がってたりさ。あ、そのMA-1の形いいから再現師に魔素材で再現してもらおうか。対魔の魔方陣編み込んでもらったりさ。」
「……うむ。こちらの世界は色々な技術が進んでいるようだな。」
「そ。だから、知識チートとか無理だからねえ。マヨもからあげもリバーシもとうの昔に流行り終わってるよ。」
「ふむ。」
ホームズは顎を撫でながら、目を閉じた。観察では"考え込んでいる"。きっと異世界で何をすべきか、何をしたいのか、そんなところだろうと順一は思っていた。
「そうそう、村田さんから聞いたかもしれないけど、異世界を渡ると身体が作り替えられてこの世界に適応出来る細胞に変わるといわれてるんだ。」
「ほほう、僕の細胞は以前と変わってるのか……? 」
「そ。そのおかげでこちらの言葉を喋れるし。それに地球ではなかった"魔力"があるそうなんだ。"魔力"が身体にあることで、この世界特有の"スキル"を得られているハズなんだ。保護されたあと、教会でスキルは確認したよね? 」
「推理のスキルとか探偵の職がよかったんだが……、『魔術』というものだったよ。」
「魔術師か! じゃあ魔力も豊富だね。冒険者にも研究者にもなれて、ちゃんと稼げるから将来有望じゃん。」
順一は初めて聞いたように答えたが、前もって村田から聞いて知っていた。魔術のスキルは危険な部分があるから、気をつけて生活していかなければならない。
リターンの宝珠が、またたくさん必要そうだ。村田から給料替わりにいくつか融通してもらったが。
それにしても―――、
魔術師ホームズって面白いなと、順一は声には出さずに笑った。
「そのドッグタグは簡易ステータスを診ることが出来るんだ。細かいステータスは教会の水晶じゃないと無理なんだけど……。握りしめて魔力を通すとタグに浮かび上がるよ。」
「なるほど。―――んん、魔力を通すのはコツが必要そうだねえ。」
「何度かやってるうちに、呼吸するくらい簡単に出来るようになるよ。」
「ん、こうか? おぉ! 不思議だ、文字が浮かび上がってきた!! 」
タクシー代わりのゴーレム車が自宅まで走っている間、ドッグタグ片手に子供のようにはしゃぐホームズを順一はのんびり眺めていた。