6 希求するJK
帰路につき、翔流は家の近くにあるコンビニへと立ち寄った。
引き籠もりの男が唯一、このコンビニへとは定期的に足を伸ばすのにはひとつの理由がある。
「いらっしゃいませ」
二十代前半くらいの長い髪を結った凜然とした女性店員がレジに立ったまま迎え、翔流は俯き加減に、本のコーナーへと入っていく。
『翔琉よ、この狭苦しい小屋はなんじゃ?』
「コンビニと言って雑貨屋みたいなものだよ。食料を買っていくんだ」
『ほう食料か。では、眷属への施しを頼めるか?』
「施し?」
『奴には生命力を分けてもらった貸しもあるのでな。ワシシに代わって褒美を与えてやっほしい』
「ああ、猫の餌のことね。なんでボクがそんなことまでしなきゃいけないんだよ……」
『ワシシへの供物じゃと思って頼む。腹を空かせておるようなんじゃ』
悪魔でも下僕には優しいようだ。
金欠の引き籠もりにペットを飼育する余裕などないのだが、これも異世界のために多少は悪魔の要求も呑まなければなるまい。
猫缶と菓子パンとお菓子を買い物カゴに入れてそのままチラチラと、女性店員を覗き見ながら、緊張した面持ちでレジへと向かった。
会計中は視点の置き場がなく、レジや天井、出入り口をみたり、けれど女性店員の働く姿を覗き見たりと、挙動不審に拍車がかかる。
彼女を凝視したい気持ちと、悟られたくないという気持ちに葛藤していた。
『なんじゃ、この透明な箱に収められた食い物は。うお、なにかが煮込まれておるぞ! む、あそこの棚からは冷気が出ておる! これは氷魔法か!?』
ケースに収められた揚げ物やおでんに興味津々なダークシャドーを無視して、会計を済ませた。
そして女性店員の営業的な応対に、翔流の心は癒やされていた。
退店してからも、そんなちっぽけな幸せに浸っていると、
『あの女を好いておるのか?』
ダークシャドーの何気ない問いに、翔流は動揺した。
「な、なんでだよ!?」
『ずいぶん気にしておったようじゃったからな』
「まあ……素敵な人だとは思ってるけど」
翔流の狭い行動範囲で年の近い異性は彼女くらいだった。
容姿も接客も良く、人に優しく接してもらえるのは彼女の応対ぐらいで、マニュアルどおりの接客とはいえ、人恋しい翔流にとって惹かれてしまうのも仕方がなかった。
『ワシシにかかればあの女も自由に弄ぶことができるぞ』
「そんなことは望んでないよ」
『あの女を手込めにしたいとは思わんのか?』
「……そういうのはいいんだ」
『人間なのに変わっておるな。無欲すぎる』
「そりゃね。欲深かったらいまの生活はしてないって……」
人との出会いも、触れ合いもない男にとって、コンビニはキャバクラのように癒やされる空間で、これが翔流にとっての幸せの形だった。
それ以上の発展も望んではいけない。こちらのことを知られれば失望されるのはわかりきっている。
いまは夢があればそれだけで十分だった。
ビニール袋を片手に家の前にさしかかろうとしていたときだった。
壁を這うように泳いでいた悪魔が背後へとやってきて、神妙な声で耳打ちした。
『翔流よ、気づいておるか』
「なにをだい?」
『あの小娘、さっきからずっと尾行してきておるが、どうするのじゃ?』
「小娘?」
振り返ると、さきほどこちらを気にしていたバンギャ風の女子高生が慌てたように電柱の陰へと隠れた。
『最初は気のせいかと思ったのだが、お主が店から出てくるのを待っていたようなのでな、尾行しとるのは間違いないようじゃぞ』
半信半疑で数歩進んでまた振り返ると、女子高生は路上駐車された車の陰へと屈んで隠れた。
これで確信した翔流は一度立ち止まって息を整えると、気合いを入れて走り出し、四つ角で左折する。
そして曲がり角で待ち構え、罠にかかった女子高生が追いかけてきたところで立ち塞がった。
女子高生は蛇ににらまれた蛙のように竦み上がり、鞄で顔を隠した。
ここで畳みかければいいものを、対する翔流もまた女子高生を前にしたことで緊張して頭の中が真っ白になってしまい、言葉が浮かんではこなかった。
するとその一瞬の隙を与えたことで女子高生側が鞄を下げ、攻勢に出た。
「な、なによ! 警察を呼ぶわよ!」
「そそ、それはこっちの台詞だ! 一体なんの真似だ。どうしてボクの後をつけてくる!」
「べつに……帰り道なだけよ」
「嘘をつけ!」
「嘘じゃないわよ!」
あんなベタな尾行をするような帰り方があるものか。友人達と別れてから急いで追いかけてきたのだろう、息が乱れている。
だが、こんな男を尾行する目的はなんなのだろうか?
自分に置き換え、彼女の気持ちになって考えていると、ひとつの答えへと辿り着いた。
「まさか、ストーカーか?」
先ほどの出会いで運命的なものを感じて、一目惚れしてしまったという思春期特有の衝動によって、追いかけてしまったのだろうか。
足繁くコンビニに通ってしまっている、内気な純情男としては共感が持てる。
「なんではじめて会った奴のストーカーにならないといけないのよ!」
「だったら、なんのようなんだ」
「それは……その……」
どこか恥ずかしそうに、しゅんとする。
ストーカーではないとすると、これはもしや――
「まさか、これがパパ活ってやつか!?」
「お金が目的なら、身形のいいおじさんに声をかけてるわよ!」
「あ、確かにそのとおりだ」
「なに納得してんのよ!」
金銭でもないとすると、考えられることはひとつだ。
若者の溢れ出す活力は狂気にもなる。
「ははーん、わかったぞ。ボクをどうにかして人目のないところに連れ込み、そこでさっきの仲間達が待ち構えてるってわけか。つまりはハニートラップなわけだ」
「そんなことしないっての!」
「悪いがボクはビッチには興味がない。残念だったね」
「わたしはビッチなんかじゃ――」
女子高生が口をつぐむと、壮年のサラリーマンの男性が咳払いして横を通り過ぎていく。
「用がないならもう行かせてもらうよ」
閑静な住宅街の夜に女子高生とニートが口論していたら、通報された際に立場的にもこちらが不利なため、翔流はその場を後にしようとするのだが、彼女はまだなにか逡巡するように言い淀んでいた。
そして翔流が距離を取ると、彼女は意を決したように開口する。
「――魔法ってなに!?」
その言葉は翔流の足を止めるには十分だった。
「……なんの話だ」
「言ってたよね? 魔法とか、闇の力がとかって」
魔法といった翔流にとってはなじみがあるファンタジーな言葉も、こうして他人の口から聞くと、あまりにも滑稽だった。
「ただの戯れ言だよ……」
「じゃあ、さっきのあれはなに? どうして彼は具合が悪くなったの」
「それはたまたまだろ……」
「タイミング的にもおかしいじゃない」
「だったら、罰にでも当たったんじゃないのか」
「そんなわけない!」
ダークシャドーの呪いと言ったところで彼女が信じるとは思えなかったし、教えるつもりはない。魔法の存在が知られれば、時代や国によっては処刑されてもおかしくはない禁術なのだからなおさらだ。まあ、この現代社会でなら異常者と扱われて終わりだろうが、警察沙汰になっては困る。
「それじゃ、ボクはもう行くよ」
「ま、待ちなさいよ!」
「待たない」
これ以上の詮索にはボロが出かねないと判断して立ち去ろうとすると、彼女は翔流の袖を掴んだ。
そして――
「わ、わたしに魔法を教えて!」
なぜか魔法の教えを請うてきた。
「キミは……なにを言ってるんだ……?」
「わかってるわよ……変なことを言ってることも……。でも、わたしは本気なの! だから、魔法を教えて!」
真摯な双眸で翔流を見上げ、ぎゅっと袖を握る手の力が強くなる。
これは罠かとも思ったが、どうやら彼女は本気のようだった。
どうしたものかと当惑していると、興味深そうにダークシャドーが彼女にまとわりつき、スルスルと滑るように翔流の背後に回って耳打ちをする。
『翔流よ。なにやらこの娘からは、神聖な力と禍々しい力の残滓が感じられるぞ』
いままでなんの進展もみられなかった翔流の前に、悪魔と謎の女子高生が登場したことによって、異世界へと続く扉が開くのをヒシヒシと感じていた。