3 消失
大胆不敵にも悪魔を待たせること数分。
待たされている悪魔にもよからぬ考えが浮かんでいた。
『あ、あやつ、もしや仲間を集めてくる気ではなかろうな!?』
そんなことは杞憂でしかない。
どたどたと足音を立てて戻ってきた翔琉は、なぜか防寒具を着込み、食料の入ったビニール袋や旅行鞄などをたくさん抱えていた。
『な、なにをしとるんじゃ?』
「だからちょっと待っていてくれ。あ、スマホを充電しておかないと。それにモバイルバッテリーも――そうだ、向こうの気候はどんな感じなんだろ? やっぱり厚着していった方が良いかな? 暑ければ脱げば良いし、雪原地帯に行けば役立つわけだから」
翔流は旅行鞄を広げて中身を確認する。スナック菓子に缶詰、インスタント食品に懐中電灯。サバイバルセットに歯磨きセット、それに替えの下着などが詰められている。
『どこかに出かけるのか?』
「異世界に行くに決まってるだろ。あ、もしかして現世の物は持ち込めない制約でもあったりする? やっぱりそれってチートになっちゃうからね。ダメならダメって言ってくれていいよ。心許ないけど、その時はボクの知能と特殊能力で世界を救うから」
一通り必要な物は事前に旅行鞄に入れてあり、それらを持ち込めるのであれば心強いのだが、もしかしたら文明の利器によって異世界に混乱を巻き起こしてしまうため、神が制約を課している可能性もあると、あらゆる想定はしていた。
『救うとはなんのことだ?』
「異世界をさ。もしかしてボクが魔王のパターンだったりするのかな? それならそれでもいいんだ。魔王が真の勇者になっていく方向性でいこう」
心優しき、新たな魔王の誕生によって、圧政に虐げられ続けていた民は感銘を受ける。魔族と人間との長い諍いの歴史に終止符を打ち、世界を平和へと導く。そんな偉大な魔王として君臨するのも、ひとつの勇者の形となるだろう。
なんだか想像を膨らませるだけで、不思議な力がみなぎってくるではないか。
『ううっ……なんだかお主と話をしていると頭がおかしくなりそうじゃ……一体なんの話をしておるのだ』
「これからキミの居た異世界にボクは召喚されるんだろ? それでキミが導き手となってくれるんじないのかい?」
『なぜワシシがお主を連れて行かねばならんのだ……。それよりも、ワシシを元の世界に還してくれ……お主とこれ以上関わるのはゴメンじゃ』
悪魔が怯えている。
目の前のおかしな男に影をプルプルと震わせている。
「どうやって?」
『召喚したのはお主であろう!』
「そんなことまで知らないよ」
『なんと無責任なやつだ! そんなことも知らずにワシシを召喚したのか!? これだから人間という下等生物は嫌いなんじゃ!』
責任能力あるなら、こんなおかしなこともせず、まっとうな社会人としての生き方をしていただろう。
それと召喚されることを目的に逆アプローチをしてきたんだ。召喚した者を帰還させる方法など考えもしてなかった。
「ん? ということは、キミはボクを異世界には連れては行けないってこと?」
『当たり前だ! 帰還できぬのに、どうやって連れて行ける!』
「なんだよそれ! じゃあ、なにしに来たんだよ!」
『お主が召喚したのだろうが!』
どこまでも利己的な翔流はダークシャドーのことなどなにも考えてはいない。なんとしてでも異世界へと行くことだけが最優先され、周りのことや現世のことなお構いなしだ。
「……まあ、いい。とりあえず、召喚することができたってことは、実行した儀式を詳細に分析していけば、異界への門を的確に開くことができるかもしれない」
今回は成功に等しい失敗だ、次回に大きな期待が持てる。
『お? つまり、お主の儀式が成功すればワシシも帰還できるということなのだな?』
「そうなる」
『そうか、このまま還れないのかと焦ったわい。ふぅー』
「安心してくれ。おそらくはこの魔力が封じられたとされる短剣と魔方陣、それと前回使われた詠唱が召喚の鍵になっていたはずだ」
『おおっ! 確かにその短剣からはもの凄い魔力がヒシヒシと伝わってくるぞ!』
「これは魔石を用いて鍛造された出自不明の短剣なんだそうだ。ボクが推測するに、異界から流れ着いたものなんじゃないかと思う」
『すまんが、よくみせてくれぬか』
翔流は短剣を手に取って、「ふぬっ!」と、今回は指を切らないようにと細心の注意を払いながら鞘を抜こうとする。
『大丈夫か?』
「こいつがなかなか強情な短剣でコツがいるんだ……」
『つまりは、勇者にしか扱えない短剣なわけか』
「そう! それよ、それ」
『神聖な物であるのたな』
「そういうこと。さあ、勇者の想いに応えよ、聖なる短剣よ! ふ……ふんごおおおぉぉ!」
錆び付いていて、いつもどおりなかなか抜けない。鞘のなかにゴミでも詰まってるんじゃなかろうか。それか昨晩、雑に扱ってしまって鞘自体が歪んでしまった可能性がある。
だがおかしな設定を付け加えたことで、急いで抜かなければ勇者としての資質を疑われかねないと、力任せに格闘していると。
ポキッ
「――んっ!?」
軽い音を立て、柄の部分から短剣が綺麗に真っ二つに折れてしまった。
翔流は静かに結合しようとするが、風化して脆くなっていた短剣が元に戻るはずもなく、何事もなかったかのようにそっと祭壇の上へと戻した。
『――消えた』
「へっ……?」
『……魔力が消えてしもうた』
翔流とダークシャドーはガレージ内で放心状態になって、折れた短剣を見つめたままでいると、見守っていた黒猫は大きな欠伸をしてうたた寝を始めた。