婚約破棄を題材にした小説のことを聞いた王子は話の流れで従者に婚約者について思っていることを話す
「殿下、『誓いの花束をあなたに』という小説は知っていますか?」
ロランは目の前の書類から目を逸らさないまま、自分の従者であるアルノーからの唐突に聞かれた質問にすぐさま一言返す。「知らない」と。そして、一度うなずき書類にサインをすると、近くに置かれている書類を手に取りながら、アルノーに尋ねる。
「その小説とやらがどうしたんだ?今忙しいのわかっているだろうから、簡潔に話してくれ」
「実はこちらの小説が今この国のご令嬢の方々の間で流行っているようでした」
ロランはそうか、と一言返すとそのまま手に取った書類の確認を開始する。そして、よくわからないが、自分の最も信頼しているアルノーがわざわざ仕事中に話を上げるのであれば、何か重要な話なのかもしれないと思い、アルノーにその小説の内容がどういうものかを尋ねる。
アルノーはロランに内容を尋ねられると、すぐさま話し始めるのであった。
その小説の内容は簡潔にすると次のようなものであった。
とある国の男爵令嬢が王子と恋に落ち、紆余曲折あって、王子は男爵令嬢の暗殺を図ろうとした婚約者である公爵令嬢との婚約を破棄し、男爵令嬢と結婚する。そして、その国は大きく発展し、男爵令嬢と王子は幸せに暮らしました、というものであった。
ロランはアルノーからその小説の内容を確認すると、なぜこんなことをわざわざアルノーは話題に上げたのかと疑問に思った。なぜなら、なんとも荒唐無稽な話で現実味がない話だと思ったからであった。
「アルノー、で、結局話の要点は何なのだ?」
「殿下がこの小説の王子のようになるのではないか、と一部のご令嬢の間で話題になっているそうでして、一応ご報告をと思いまして」
ロランはポカンとしたような顔をする。そして、申し訳ないがそのご令嬢の方々はどうやら現実がきちんと見えてはいないのではないか、と思う、
「アルノー、俺がその小説の王子のような愚かな存在であると思っているのか?元々決まっていた婚約を破棄して、私情を優先して、別の人と結婚するなんてあり得ないだろ」
「いえ、思いませんが」
ロランはアルノーの返答を聞いて、もう話は終わったと思い、目の前の書類に意識を集中しようとする。だが、アルノーの問いは続くのであった、
「殿下、婚約の話の流れで聞くのですが、婚約者であるクラリス様のことはどう思われているのですか?」
ロランはこのアルノーの問いの真意はよくわからないが、答えないと仕事に集中できないと思い、答えることにする。
「彼女が俺の婚約者でよかったと思うよ。王妃教育も大変だと思うが、教育係の話をたまに聞くと、かなり努力してくれているようだし。それに、俺が忙しいのが悪いんだが、10日に一回ぐらいしかまともに話せていないけど、彼女と話すのは俺にとっては楽しみというか気力を回復する機会というか、まあうまく言えないが彼女と話せるのは常に楽しみにしているよ。それに、あまり見る機会はないが、彼女の自然な笑顔は綺麗で可愛らしいと思っている。何度も見たいぐらいにな」
ロランはそこまで、特に言葉を詰まらせる様子を見せずに歌うように言い切る。ロランは最後のクラリスの笑顔のことはつい言ってしまったが、言わないほうがよかったな、と思う。
アルノーにいじられるな、と思いながら、「彼女には俺の言ったことを黙っておけよ、恥ずかしいからな」と言おうと思い、そこでようやくロランは書類から顔を上げる。
その瞬間、ロランは驚愕の表情を浮かべる。目の前にはいないと思っていた婚約者であるクラリスがアルノーの横に立っていたからであった。クラリスは顔を下に向けて、こちらに顔を見せないようにしていた。
ロランは一瞬今目の前にいるのはクラリスじゃないのではないかと思い、同時にクラリス本人だとしたら、なぜここに、というかいつからとも思いながらアルノーに視線を向ける。アルノーなら説明できるだろうと思っていると思ったからであった。ロランはあまりの混乱に声は出なかった。
「ようやく気付きましたね、殿下。私が先ほど部屋を出た際にお連れしました。クラリス様からのご要望で」
ロランはアルノーが小説の話をする前に、一度この部屋から出ていったのをなんとなく思い出す。そして、クラリスからの要望と聞き、あの小説の話もクラリスが確認してほしかったことだと気づく。なぜそのようなことをしたのかはロランにはまったく分からなかったが。
ロランは動揺と混乱で声が出ないままであった。ロランはクラリスのほうをちらりと見る。彼女はまだ顔を下に向け、こちらに見せないようにしたままであった。
「クラリス様、私がお話ししてもよろしいでしょうか?今回のことを」
アルノーは隣にいるクラリスに声をかける。クラリスは少し経って首をゆっくりと振る。アルノーはそれを見て、わかりましたというと「では、私は退室します」というと部屋を出ていく。ロランはアルノーを止めることもせず、クラリスのほうを見ていた。
しばらくして、クラリスは顔をゆっくりと上げ口を開く。表情はいつもとは変わらない様子であった。
「アルノー様のことは責めないであげてください。私が頼み込んだのです」
ロランはああと生返事をする。責めるつもりも咎めるつもりもなかった、そもそも今ロランにはそのような考えは出なかった。今ロランの頭を占めるのは、なぜこのようなことをクラリスがしたのかであった。
ロランが、クラリスが何を言うのかを待っていると、彼女はしばらく言いづらそうな様子を見せ、一度深呼吸をすると今回のことを行ったわけを話す。小さな声で。
「小説のことを聞いたとき、心配になったのです。殿下は私のことをあまりよく思ってはないのではないか?と。ですので、殿下の真意を聞きたかったのです」
ロランはそれを聞いて、なるほどと思うと同時に申し訳なさを感じる。クラリスが心配になるのは当たり前だと思った。なぜなら、自分の行動を思い返すと、クラリスを軽視していると思われてもしょうがないと思ったからだった。
ロランは、第一王子として、王太子としての自分のことを優先させ、クラリスとはほとんど話す機会も会うこともできていなかったのであった。クラリスへの思いやりを欠いていたとロランは自らの行いを反省する。
「すまない」
ロランはクラリスにぽつりと謝罪の言葉を漏らす。それを聞いたクラリスはすぐにロランに向かっていう。
「いえ、そんなことは。私が殿下のことを信じきれなかっただけのですので。むしろ私が」
ロランはそのクラリスの言うことを聞いて、「いやそんなことはない、私が悪かったのだ」と言い返す。それを聞いたクラリスが「いえ、私が悪いのです」と言う。そして、しばらくの間、二人は「私が」と言い返しあう。しばらくして、二人はこれ以上言いあってもしょうがないと思い、この言い合いをやめる。
しばしの静寂の後、クラリスが顔を少し背けながらぽつりと漏らす。
「でも、私の杞憂だったようでよかったです」
そのクラリスの一言を聞いたとき、ロランは先ほど自分が言ったことを思い出す。彼女がいないと思っていたからこそ、漏らした自分が彼女に対して思っていたことを。
そのことを思い出すと、ロランはものすごく恥ずかしくなり、顔を伏せる。その顔は真っ赤であった。ロランは気づいていなかったが、クラリスの顔も真っ赤であった。
そして、またしばしの静寂の後、ロランはクラリスに言っておかなければならないと思いながら、顔を上げる。
「私は何があっても君との婚約を破棄するつもりも解消するつもりはない。私の隣に王妃として立つのは君しかいないと思っている」
ロランはクラリスに向かってそう言い放つ。それを聞いたクラリスはさらに顔を一気に赤くし、それを隠そうと、顔を下に向けるとロランに向けてこう返す。ロランには顔が赤くなっているのはばれていたが。
「そう言っていただけて嬉しいです。私も殿下の隣に王妃として立ちたいと思っています」
ロランはクラリスのその言ったことを聞いて、彼女の表情を見て、クラリスと自分の思いは同じだと思い、よかったと心の中で安堵する。
そして、しばらく両者は何も言わないままでいた。二人して、自分が言ったことが結構大胆だったのではないか、と思い恥ずかしさを感じ、何も言えなくなったからであった。
ロランとクラリスには一瞬のような無限のような時間が無言の時間が過ぎたとき、ロランはクラリスに向かって言う。
「君に会いに行く回数を増やす。5日待ってくれないか、仕事とかの量を調整する」
「嬉しいですが、無理はしないでください」
クラリスはそう返すと、ロランはわかってると一言いう。クラリスは「では、私はもう帰ります」という。ロランはああ、また今度と返し、クラリスが背を向け部屋を出ていくのを見送ろうとする。
だが、クラリスが部屋の扉を開けようとしたその時、ロランは待ってくれと言い、彼女を止める。クラリスはロランのほうを振り向く。ロランは一度深呼吸をすると、意を決した様子を見せて彼女に向かっていう。
「今日まだ時間があるなら、まだここにいてくれないか?」
それを聞いたクラリスは嬉しそうな顔を見せ、ロランが好きな自然な笑顔を浮かべながら「ええ、ぜひよろしければ」と返す。
そして、ロランは外に出たアルノーに諸々の準備をさせると、クラリスと話をする。色々な話を。ロランにとってその日のクラリスとの会話はいつも以上に楽しいものであった。
その後、ロランとクラリスはより仲睦まじい様子をパーティー会場等で見せていた。小説のようなことを再現しようとする令嬢もいたが、全くロランは意に介さず、多くの令嬢のアプローチを無視しつづけた。
ロランとクラリスはそのまま、ロランが王になると同時に結婚をした。二人は最後まで、互いのことを思い合ったのであった。決して小説のようなことは起こらなかったのであった。