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ランボー試論  作者: 坂本梧朗
Ⅲ 『地獄の季節』
16/23

第2節


 c 「錯乱Ⅰ」

 

 副題に「狂気の処女」、そしてその脇に「地獄の夫」とある。「狂気の処女」が神に対して、「地獄の夫」との生活を告白するという体裁をとり、その告白が本章の内容となっている。「狂気の処女」がヴェルレーヌをさし、「地獄の夫」がランボーをさすというのが定説だ。つまりランボーはここでヴェルレーヌの立場から自分とヴェルレーヌの「地獄堕ち」の生活を振り返っているのだ。

 「このわたしは、思慮分別を失い、地獄堕ちの判決を受け、生きながら死んでいます」と「狂気の処女」は述べる。これは禁固二年の判決を受け、監獄に入っているヴェルレーヌの状況をそのまま伝えている。「『あのひと』はまだほんの子供でした。…あのひとの神秘的なやさしさが、わたしの心を奪ってしまったのです。」「あのひと」とは「地獄の夫」を、つまりランボーその人をさす。ランボーがヴェルレーヌに会った時は十七歳だった。「わたしは、人間としての務めなど何もかも忘れてしまい、あのひとの跡に随いて行きました。なんという生活! 真実の生活というのがお留守になっているのです。」ここにはランボーの懺悔の気持が出ている。「人間としての務め」とは夫や親としてのヴェルレーヌの家庭的な責任を意味するだろう。それを放棄した生活は「真実の生活」ではないのだ。ランボーは自分のことをヴェルレーヌに、「悪魔です! ーあれは悪魔ですとも。おわかりでしょう。()()()()()()()()()()()()」と言わせている。ここには痛切な自責の気持が出ている。ランボーの妹、イザベルの記憶では、ヴェルレーヌに判決が下された後、ロッシュに帰ってきたランボーは、椅子にくずおれすすり泣きつつ、「おお、ヴェルレーヌ、ヴェルレーヌ」と繰り返すばかりだったという。

 「狂気の処女」が語る「地獄の夫」像はランボーが描く自己像ということになる。幾つかの自己像が提示されている。それはランボーの自己認識である。

 まず、「見者」を目指して突っ張る自己像だ。「おれは遠い国の種族の生まれなんだ。おれの先祖はスカンディナヴィア人だった。奴等は、お互いの横腹を刺しあって、血をすすり合ったものさ。ーおれは、体じゅういたるところに傷を作ってみせるぞ。おれは、刺青をしてみせるぞ。おれは、蒙古人みたいに醜悪になりたいんだ。今に見てろよ、おれは町ん中を喚きながら歩きまわってやるからな。おれは、気ちがいみたいに猛り狂ってやりたいんだ。おれに宝石なんかけっして見せるなよ。そんなことをしたら、おれは絨毯の上を這いまわり、のたうちまわってやるからな。おれの富なんてものがあったらな、おれは、そいつが隅から隅まで血に汚れていて欲しいんだ。おれは、絶対に働いてなんかやらないぞ。」短刀遊びや刃傷沙汰が思い出されるところだ。富は労働者を絞り上げて作られるもので、それには血が混じっている。そんな労働は絶対にしたくない、ということだろう。  

 次は「隣みの心」だ。「時おり、あのひとは、感動を籠めた方言まじりの話し方でしゃべるんです。悔恨のたねとなる死のこと、確実にこの世に存在する不幸な人たちのこと、辛い労働のこと、胸のはり裂けるような旅立ちのことなどを。(略)あのひとは、わたしたちを取り囲んでいる、貧窮に育てられた家畜のような人たちを眺めては、涙を流しているのでした。あのひとは、真っ暗な路上に倒れている酔っ払いを抱き起こしてやったものでした。あのひとは、小さな子供たちに邪険にあたる母親を彷彿させるような、そんな隣みの心を持っていたのです。」ランボーのこの側面は初期詩編にも見られ、彼が労働者に心を寄せ、革命を志す基底にもなっている心情だ。後に彼がアビシニア(エチオピア)の地で商人として活動する時にも発揮される。彼がここで自己のこの面を書き留めたのは、自己弁護や美化の気持からではもちろんなく、自分にとって本質的なものと感じていたからだと思われる。

 現実の変革を願う自己像についても記されている。「わたしは、夜ごと、何時間もずっと不眠のままでいて、なぜこのひとはこんなにまで現実から脱け出したがっているんだろうと、そのわけを考えたりしたものです。いかなる人間も、嘗てこれほどの誓願を立てたりしたことはなかったのです。わたしは、ちゃんと知っていたのです。(略)あのひとがこの社会ではたいへんな危険人物なのかもしれない、ということを。ーあのひとは、たぶん、この人生を変えるためのいろいろな秘密を握っているんではないんでしょうか? いや、あのひとはその秘密を探しているだけなんだ、と、わたしは自分の考えを打ち消したものです。」ランボーにおいて、変革の願望は「いかなる人間も、嘗てこれほどの誓願を立てたりしたことはなかった」くらいに熾烈であった。

 周囲から孤立していく「地獄堕ち」の生活は、「わたしが入って行ったのは、ある天国でした、薄暗い天国でした。(略)わたしは、自分たちが、ふたりのおとなしい子供で、悲しみの『天国』を自由に歩きまわっているんだ、というふうに見做していたのでした」と語られている。

 ランボーを常に駆り立てていた「出発」の衝動、使命感も語られている。「なぜって、おれは、いつかは、うんと遠いところへ行ってしまわなきゃならないからだ。それに、おれは、他の奴らを助けてやらなきゃならないんだ。これが、おれの義務なんだ。こりゃあ、あんまり気の進むはなしじゃないんだけれどね…。」ドラエーはこの箇所を、「他人を改良してやろうという野心」が「長い間、彼につきまとうことになった」例として引用している。ランボーには先の「隣みの心」にも通じる、他人を助けることを義務と感じる心性が出発期からあったのだ。    



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