6 そんなことはないプロポーズ
俺と弥生は店に入り、案内された窓際のテーブル席に着いた。
注文は、事前にコース料理を予約していたので問題はない。
問題なのは、
どうやって『そんなこたぁないっす』
もしくは『○○こたぁないっす』
という表現のみで弥生にプロポーズをするかという事だ。
正直、こんな状態でプロポーズをしたくはなかったのだが、今日の食事をキャンセルしようにも、『そんなこたぁないっす』としか言えない状況ではそれすらままならない。
この絶望的な状況の中、後戻りをする事もできず、俺はただひたすらにイバラの道を進んでいくしかないのだ。
そう思うと額から嫌な汗がにじみ出て来て、両手が小刻みに震えているのが自分でも分かった。
一方の弥生は、慣れない高級レストランで緊張しているのか、俺とは違う理由で落ち着かない様子だった。
そしてそれを紛らわせるように口を開いた。
「あはは、やっぱりこういう雰囲気のお店って、何だか緊張しちゃう。孝作はこういうお店、よく来るの?」
「そ、そんなこたぁないっす」
「そう?取引先の接待なんかで、来たりするんじゃないの?」
「そんなこたぁないっす」
「そうなの?」
そう言って一旦言葉を切る弥生。
流石に俺の様子がおかしいと思ったのだろう。
俺の本心を探ろうとするように、じぃ~っと眺めている。
そしてしばらくの沈黙の後、静かな口調で切り出した。
「あの、どうして今日、私をこんな高級なレストランに誘ってくれたの?今日は私の誕生日でもないし、何かの記念日でもないよね?それとも私が忘れてるだけ?」
「そ、そんなこたぁ、ないっす」
ダメだ。
俺は動揺のあまり、完全に『そんなこたぁないっす』としか言えなくなっている。
このままだと弥生に変な誤解をされてしまう。
彼女は妙に思いこみの激しい性格だから、別れ話の為にここに呼び出されたなんて誤解された日には、今すぐにでも店を出て行ってしまうだろう。
何とかそれだけは阻止しないと!
そう固く決心する中、弥生は更に俺を問い詰めるような口調で続けた。
「ねぇ、今日の孝作、本当に変よ?もしかして私に、何か隠し事があるんじゃない?」
「そ、そそ、そんなこたぁ、ないっす」
「じゃあ私に後ろめたい事があるの?だからこんな高級なレストランに連れて来て、ご機嫌を取ろうとしているの?」
「そ、そそそ、そんなこたぁ、ないっす」
俺が首を横に振ってそう言うと、弥生は再び間を置き、今度はにわかに顔を赤らめながら言った。
「じゃ、じゃあ、もしかして、大事な話があるから、私をここに呼んだの?その、例えば、私と孝作の、将来の事、とか・・・・・・」
そう!まさにその通りなんだ!
俺は将来を切り開く話をするために、弥生をここに呼んだんだ!
うぉおっ!何かテンション上がって来た!
俺は何を弱気になっていたんだ!
どんな状況にさらされようと、俺が弥生を愛しているというのはまぎれもない事実じゃないか!
そして彼女とこれからずっと一緒に人生を歩むため、今ここでプロポーズしようと決心したんだ!
愛があればどんな困難でも乗り越えられる!
愛さえあれば必ず人は幸せになれる!
俺は弥生を愛している!
今までも!そしてこれからも!
そんな想いをギッチリ詰め込んで、俺は声高らかに叫んだ。
「そんなこたぁ!ないっす!」
・・・・・・それに対する弥生の言葉はこうだった。
「私と孝作の将来の話じゃないって事は、まさか、私と別れたいっていう、話?」
どんなに想いを詰め込んでも、言葉が正しくないと想いは伝わらないなとつくづく思いました。
なので俺は間髪入れずにこう続けた。
「そんなこたぁないっす!」
しかし弥生はマイナス思考のスイッチが入ってしまったらしく、たたみかけるように言葉を続けた。
「そう、そうなのね。私をこんな高級レストランに連れて来てくれたのは、そういう理由だったのね」
「そんなこたぁないっす!」
「確かに今日の孝作、何だかおかしいものね。『そんなこたぁないっす』としか言わないし」
「そんなこたぁないっす!」
「きっと他に好きな女ができたのね。そしてその女にプロポーズをしたいんでしょう?」
「そんなこたぁないっす!」
「フン、さぞかし私よりも美人で気立てが良くてお料理も上手で胸も大きいんでしょうね」
「そんなこたぁないっす!」
「孝作の言いたい事はよぉく分かったわ。あなたが言いにくいなら、私の方から言ってあげる。もう別れましょう、サヨウナラ」
弥生はそう言うとバッグを持って立ち上がり、足早に店の出口へ向かって歩いて行く。
俺も後を追おうとして慌てて席を立ったが、その時足に椅子が絡まって顔から床にすっ転んでしまった。
その拍子に鼻を思いっきり床に打ち付け、物凄く痛かった。
が、そんな痛みに構っている場合ではないので、俺は上半身を起こし、右手を伸ばして弥生を呼び止めようとした。
「そ、そんなこたぁないっす!」
しかしそんな俺の心の底からの叫びもむなしく、弥生はスタスタと店から出て行ってしまった。