2 そんなことはない言葉遣(づか)い
そして取引先である『ムナゲカンパニー』のビルの前にたどり着いた俺。
ここに来る道中、俺は何とか『そんなこたぁないっす』以外の言葉も喋れないかと色々努力してみた。
電車やバスの中で一人でひたすら『そんなこたぁないっす』と繰り返し言っている俺は、ハタから見ればさぞ気持ち悪い人間だっただろうが、繰り返して『そんなこたぁないっす』と言い続けたおかげか、ほんの少しだけ違う事も言えるようになった。
それはこんな具合だ。
【お前はもう、死んでいる】
「お前はもう、死ぬこたぁないっす」
殺すつもりが不死身にしちゃったよ。
【ガーリックバターライス】
「ガーリックこたぁないっす」
そうなると思ったよ。
【コーンポタージュスープ】
「コーンこたぁないっすープ」
変換のされ方がメチャクチャすぎる。
何だかかえって意味が分からない事になってしまっている。
これなら『そんなこたぁないっす』とだけ言っていた方がまだマシかもしれない。
今日は本当に喉が痛くて声が出ない事にして、極力喋らないようにしよう。
それが一番無難だ。
そう固く心に誓い、俺はビルに入って受け付けに足を運んだ。
するとそこで受け付けのお姉さんが大層愛想のよい笑顔で
「おはようございます」
と言ってくれたので、こちらも思わずあいさつを返してしまった。
「おはようこたぁないっす」
文字にすると完全に意味不明だが、声に出すと意外と分からないのかして(試しにやってみるといい)、受け付けのお姉さんはそれを特に変に思う素振りも見せずに言った。
「ああ、五十肩商事(俺の勤める会社の名前だ)の襟糸様ですね?いつもお世話になっております。間もなく担当の和木下が参りますのでお待ちください」
受け付けのお姉さんにそう言われて待っていると、ムナゲカンパニーのワキゲさん(三十代半ばの、中肉中背の男の人だ)が現れ、俺は客室へ通された。