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1 そんなことはない朝

 夢を見た。

 変な夢だった。

 目の前にじいさんがいた。

 白くて長いヒゲを生やした、仙人みたいなじいさんだった。

 そのじいさんは、仙人らしい重々しい口調で言った。

 「お前を今日から、『そんなこたぁないっす』としか言えない人間にしてやるぞい」

 ぞいって何だよ?

というツッコミはさておき、俺はじいさんにどうしてそんな事をするのかを(たず)ねた。

 それに対するじいさんの答えはこうだった。

 「それには海よりも深い理由があるのじゃ。じゃがその理由は、今は話せん」

 ふざけたじいさんだ。

俺はじいさんが何者なのか尋ねた。

それに対してじいさんはこう答えた。

 「ワシは、神様じゃ」

 ふざけた神様だ。

こんなのが神様なら、世の中はロクな事になっていないだろう。

・・・・・・そうか、だから世の中はロクな事になっていないのか。

 と、妙に納得した所で、俺は目を覚ました。

 夢とはいえ、妙にリアルだった。

あれはまさか、本当に神からのお告げだったのだろうか?

いやいや、

 「そんなこたぁないっす」

 おっと、思わず口に出して言ってしまった。

まったく、俺が『そんなこたぁないっす』としか言えない人間になるなんて、そんな事あるはずないだろう?

もしそれが本当なら、俺はこれから『そんなことたぁないっす』としか言わないって事なんだぞ?

そんな事があるのか?

 「そんなこたぁないっす」

 ほら、ないよ。

ある訳がない。

思わずそう言ってしまうくらいにそんな事はないのだ。

俺は生まれて今まで『そんなこたぁないっす』なんて言い回しを使った事がなかったが、それを生まれて初めて言ってしまうほどにそんな事はないのだ。

だから夢の中であのじいさんが言った通りになる事はありえないのだ。まさに、

 「そんなこたぁないっす」

 ・・・・・・気のせいだろうか?

俺は目を覚ましてから、『そんなこたぁないっす』としか言っていないような気がする。いや、

 「そんなこたぁないっす」

 ・・・・・・そんな事はない、と、思いたいが、そんな事はなくもないのか?

まさか本当に、俺は『そんなこたぁないっす』としか言えない人間になってしまったと言うのか?

落ち着け俺。

心を静め、自分に問いかけるのだ。

 俺は、『そんなこたぁないっす』としか言えない人間になってしまったのか?

 「そんなこたぁないっす」

 よかった。

どうやらそんな事はないようだ。

 ・・・・・・・いや、よくない。

そんな事はある。

今から『そんなこたぁないっす』以外の言葉を口に出して言ってみよう。

よし、言うぞ。

 俺の名前は、(えり)(いと) 孝作(こうさく)です。

 「そんなこたぁないっす」

 年齢は二十九歳です。

 「そんなこたぁないっす」

 大手の商社で営業マンをしています。

 「そんなこたぁないっす」

 自分で言うのも何ですが、社内での営業成績は常に一番です。

 「そんなこたぁないっす」

 職場での人間関係も良好で、上司とも後輩とも気持ちよく働かせてもらっています。

 「そんなこたぁないっす」

 俺は今の仕事が好きだし、とてもやりがいを感じています。

 「そんなこたぁないっす」

 俺には同じ会社で働く、水代(みなしろ)弥生(やよい)という婚約者が居ます。

 「そんなこたぁないっす」

 彼女はとても素敵な女性です。

 「そんなこたぁないっす」

 優しくて清らかな心を持ち、そんな美しい内面があふれ出たような美しい容姿をしています。

 「そんなこたぁないっす」

 料理や裁縫(さいほう)も上手で、将来は間違いなくいいお嫁さんになると思います。

 「そんなこたぁないっす」

 俺は彼女の事を心の底から愛しています。

 「そんなこたぁないっす」

 近々プロポーズもする予定です。

 「そんなこたぁないっす」

 今日はいい天気です。

 「そんなこたぁないっす」

 スペインの平野部にはよく雨が降ります。

 「そんなこたぁないっす」

 ;klなqbfお@いヴぁうrglzkvなあ;dkflgj

 「そんなこたぁないっす」

 そんあこたぁ、ないっす。

 「そんなこたあないっす」

 ・・・・・・・・・・。

 俺は布団の上でひざまづき、ガックリとうなだれた。


 本当に『そんなこたぁないっす』としか言えなくなっとる・・・・・・・。


 どうしてこうなった?

いや、今更そんな事を考えてもしょうがない。

なってしまったものはなってしまったのだ。

この状況を受け入れ、最善の対処をしながら乗り越えていくしかない。

 そうやって俺はここまでのし上がって来たのだ。

 「そんなこたぁないっす」

 とにかくこれからは必要以外の事では(しゃべ)らないようにしよう。

しかも会話の流れの中で

『そんなこたぁないっす』

と言っても不自然ではない時のみ、口を開く事にしよう。

そんな会話の流れが果たして一日の内に何回あるのか分からないが、とにかくそうするしかないのだ。

 そうだ!

(しゃべ)るのがダメなら書けばいい!

今日は(のど)の調子がおかしくて声が出ないという事にして、筆記(ひっき)で会話をすればいいんだ!

 そう思い立った俺はさっそくペンとメモ用紙をちゃぶ台の上に用意し、

 【人事(じんじ)万事(ばんじ)塞翁(さいおう)が馬】

 と書いてみた。

するとメモ用紙に現れたのは次の文章だった。

 【そんなこたぁないっす】

 そんな事あるよ!

いや、そうじゃなくて、チクショウ!書いてもダメなのか!

 それならメールだ!

メールでフィアンセの弥生に、今の俺の状況を説明しよう!

 そう思い立った俺は急いで携帯電話を取り出し、メール画面を開いて文章を打ちこんだ。

 『弥生、聞いてくれ。俺は今、大変な状況に(おちい)っている。』

 すると携帯の画面に次の文章が現れた。

 【そんなこたぁないっす】

 クソッタレ!メールすらダメなのか!

もういい!とりあえず一旦(いったん)落ち着け俺。

 そう思った俺はゆっくりと深呼吸をした。

 「そんなこたぁないっスゥ~、そんなこたぁないっスァ~・・・・・・」

 どんな深呼吸だ。

 もうダメだ。

最悪だ。

どうやらどんな手段を使っても、俺は『そんなこたぁないっす』としか表現できなくなってしまったようだ。

しかもよりにもよって今日は大事な取引先と、社運を賭けた商談がある。

おまけに夜は弥生を高級ホテルのディナーに誘っていて、そこでプロポーズをするつもりなのだ。

こんな状態でうまくいく訳がないだろう?

 「そんなこたぁないっす」

 そんなこたぁあるんだよ!

自分で自分の口を殴り殺したいよ!

 もうこうなりゃヤケだ。

このまま商談に(のぞ)むしかない。

 俺は腹をくくり、スーツに着替えて取引先へ向かった。



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