八、出会い
千律は木の影にじっと身を潜めていた。かれこれ四半刻。日が落ち始めてもピクリとも動かないので、そぅっと影から出てきた。
恐る恐る男に近づいて顔を覗き込む。
(ね、寝てるの?)
試しに脇差の鞘でつんつんとつついてみるも微動だにしない。
少し迷ったが、大切な食糧を置いて行く訳にもいかず、横で作業する事にした。
土鍋の蓋を開けると、まだほかほかと湯気が立っていた。先程作ったへらでさっくりと混ぜてから、ご飯を三等分にした。二個はおにぎりにして、味噌をぬって経木に包む。
土鍋に残っている雑穀に水を足し、味噌を落として、再び火にかける。
一息ついて、チラリと男を見やった。
「あれ?」
改めてまじまじ見て気が付いたが、怪我をしている。
洋袴が黒いから分からなかったが、腿の所が裂けて、べとりと濡れていた。しかもまだじわじわと赤が増えている。
(血が止まっていない…!)
慌てて行李を開ける。裂いた襦袢がまだ残っていたので取り出す。
男の体の下に脇差を入れて仰向けに返し、膝を立たせて腿にきつく布を巻き付けた。
血を失っているせいか顔色が悪く、手に触れてみると酷く冷たかった。帯を丸めて頭の下に入れて、着物を体の上にかけてあげた所でガシリと腕を掴まれた。
咄嗟に息を飲み、男を見下ろす。
『だれ……少年?あれ?天使?』
寝ぼけてる?
『…黒髪の天使なんて、初めて見た』
やっぱ寝ぼけてるか。
汗と土で随分薄汚れていたが、開いた瞳は夕日の様な橙色で、焚火の光を吸い込んで燃えるように輝いていた。やたら鼻が高く、顔立ちがはっきりしていた。髪は色素が薄くて、よく見ると薄ら青くて不思議な色合いだった。
掴まれていた腕をピッと解く。
水筒を取って口にあてがってやると、男はゆっくり嚥下した。何度か瞬いていると、焦点も合ってきたようだった。
(呂律も悪くないし、水も飲めるし大丈夫そうだね)
作ってあったおにぎりを忘れずに行李に仕舞い、代わりにお団子を出す。今日中に食べないと固くなってしまう。
土鍋の蓋に雑穀がゆを半分移すと、土鍋とへらを男の前に置いた。
適当に細い枝を二本切り、葉を落として、先の皮だけ削ると、箸としてかゆを啜った。
最後に水をちょっと入れて米一粒も残さずに流し込む。大事な食糧だ。
男の方を見ると、驚きながら土鍋と千律を交互に見ていた。迷った様だが、震えながら起き上がると土鍋を掴んだ。
『あったかい…』
匙がないので食べにくそうだが、ゆっくりとかゆを口へ運び完食した。空いた鍋に水を注いでやれば、それも綺麗に飲み干していた。
(よっぽどお腹が空いていたのね…)
食べた事で男の顔色が大分良くなったように思う。それを見ながらお団子を火で炙って齧っていると、食べ終わった男がキラキラした目でこっちを見ていた。
(足りないのかな?一気に食べて大丈夫なのかな?)
既に二本目に手をつけてしまっていたので、残っている一本を差し出してみる。
『貰ってもいいのかい?ありがとう!!』
お日様の様な目を輝かせてお団子を受け取ると、千律の仕草を見様見真似で、串を炙ってむっちむっちと食べ出した。
横で土鍋や荷物の整理を始めると、男は喋り出す。
『最後に食べたのが昨日の朝でね。本当に助かったよ。もう駄目かと思った。ありがとう』
そう言ってにこりと笑った。お腹が満たされて元気が出てきたらしい。
元気になったなら良かった、と思っていると、男は困った様に小首を傾げた。釣られて千律も首を傾げる。
(なんだろ?)
「あ、あリがと、ございマス…」
「!」
どうやら千律が話さないのは言葉が通じていないからと思ったらしい。
事情がある身なのであまり交流を持ちたく無かった千律だが、折角三国語でお礼を言ってくれた気持ちに嬉しくなって言葉を返した。
「いえ、元気になって良かったです」
返事を聞いて、言葉が通じた事に安心したのか、男は優しく微笑んだ。
「わたしの名前はエディでス。あなたの名前はなんデスか?」
名前を訊かれて、一瞬黙り込んでしまう。
(本名をそのまま答える訳にはいかないから…)
「えと、律」
「リ、チュ…リッツ…ん?」
どうやら発音が難しいらしく、何度か練習してからにっこり笑って「リツ」と言った。
「リツは守る魔法使える?」
と。