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四、雪越屋の若旦那

「千律さん!」


 橋を渡っていると後ろから声をかけられた。

 振り返ると雪越屋(ゆきごえや)の若旦那であった。


絖太郎(こうたろう)様…!」


 会釈をすると絖太郎が近づいてきた。


「千律さん、引越しはすんだのか?」

「ええ。引越しと申しましても、大した荷もございません。それより、此の度は奉公人を受け入れて下さりありがとうございました」


 千律の謝辞に彼は「うん」と鷹揚に頷いた。


「借財も店と屋敷、全て売り返済出来ました」


 あれこれ売りに出す際、反物に関しては雪越屋が相場より高い金額で全て引き取ってくれた。そのおかげで奉公人達に最後のお給金を支払えたのでとても感謝しているが、雪越屋が赤字になっていないか心配だった。


「あんなに買って頂いて…大丈夫でしたか?」

「あぁ、問題ない。千律さんが独自に研究していた機織や染色の職人、それから外国の顧客も随分ウチへ流してくれただろう?飛躍の年が来たとうちの親父は大喜びさ」


 欄干にもたれ、絖太郎はニヤリと商人の笑みを浮かべた。そんな絖太郎の笑顔を、前行く娘達がちらちらと見ながら通り過ぎてゆく。絖太郎の切れ長の目はとても魅力的で、しかも彼は男前(それ)を武器にしてお客様を集める強かな一面もあった。

 着物の着こなしも洒落ていて、肩にかけただけの羽織りからも妙に色気を感じた。


 (独身の彼と人妻の私が一緒に居るのはあまり良くないな…)


 早々に別れを告げようとして、ひとつ訊きたいことがあったと思い至った。


「絖太郎様、寿人様の行方をご存知ありませんか?」


 絖太郎は眉間に皺を寄せて顎に手を当てた。


「なに、あいつ帰ってないの?」

「その……二十日程お姿を見ていなくて。お屋敷を手放す事は伝えてあるんですが、引っ越す長屋の場所を教えてないんです」


 心配で俯く千律の耳に苛立った溜息が聞こえた。長い指で前髪をかき上げると、千律を覗き込む様に首を傾げて絖太郎はいった。


「もうさ、千律さんうちに来る?」


 真面目に心配してくれている気持ちは有り難かったが、甘える訳にはいかなかった。


「ご迷惑ばかりかけているのに、奉公のお誘いなど身に余ります。暫くは静かに暮らして気を落ち着けようと思います」


 絖太郎は口元を手で覆い「そういう事じゃ無いんだけど…」と小さく呟くも千律の耳には届かなかった。


「あの、申し訳ないんですが…もし寿人様を見かけたら…」

「はいはい、長屋の場所を教えておけばいいんだろ?」


 面倒臭そうに手を振って絖太郎は橋を返って行った。あんな態度だけれど、絖太郎は寿人と幼馴染だった。きっと伝えてくれるだろう。


「さて、二人用の鍋と…食糧を少し買っておかないと」


 絖太郎の背中を見送ってから、千律も反対側へと橋を渡って行った。




***




 千律と別れ、絖太郎は何となく黒瀬屋の方に足を向けた。幼い頃はよくお互いの家を行き来していた。商売敵ではあったが、同じ呉服屋仲間でもあった。

 寿人の母はいつもにこにこしていて優しかったが、芯があり、悪い事をして怒られると恐いくらいだった。今の寿人を見たら、きっととても怒るだろう。終わらないお説教を想像して、懐かしい気持ちになる。


 人の手に渡る前に黒瀬屋を一目見ておきたい。

 そう、思った。


 黒瀬屋の前に到着するも、既に看板は下されていた。

 戸が開いていない。従業員がいない。商品がない。もう思い出の店とは違うものになっていて、切なさを感じる。これが、終わりを迎えた店なんだ。

 暫く呆っと見ていたが、そろそろ帰ろうと踵を返した時、ふと視界の端に見知った姿を見つけた。


 (……寿人?)


 裏戸に向かったように見えた。千律に言伝を頼まれていたこともあり、確かめようと絖太郎も裏戸へ向かい、塀の角で足を止めた。

 寿人は一人で歩いているのではなかった。妙にニヤついた丸い男と体格の良い男が二人、一緒だった。


 (誰だ?堅気者…か?)


 一見商人のような、柄が悪いと言うより雰囲気が悪い。そんな男だ。

 そのまま角に身を隠し様子を伺う。


「旦那、本当に嫁さんは美人なんでしょうね?」

「あぁ。絶世のとは言えんがまぁまぁだ。頭も悪くないし、金は約束通り金五拾(ごじゅう)両だからな」


 寿人は赤ら顔で足元がふらついていた。明らかに酔っている。だがそんな事より…。


 (金五拾両…だと!?一体何の話をしているんだ!!)


「土壇場で惜しくなるとかはなしですからね」

「あははは!ないな!あいつを抱いてもちっとも楽しくない。笑わないし小言ばかり。おまけに店を売った金も全部持っていきやがって。あんな役に立たぬ女、もういらぬわ」


 知らず、絖太郎の拳は強く握り込まれていた。頭から血の気が引き、怒りで体が震えだした。

 このまま飛び出して寿人を殴ってやりたい。


 (千律さんが、どんな思いで、店を手放したと…!金を持って行った!?寿人の作った借金の返済と退職金の支払いで、彼女の手元に残ったお金なんて微々たるもので…)


 共に支えてくれる者もおらず、彼女は最後まで独りで戦った。方々に頭を下げて、時間を惜しまず働いた。

 全てを話して聞かせたかった。だけどもう、寿人にいくら言ったところで伝わる事はないだろう。


 絖太郎は悔しい思いを飲み込み、その場を後に駆け出した。





絖太郎様の男前は計算です(゜∀゜)

格好つけは努力の賜物です。


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