大河が怒る
アタシの希望は大河だった。
大河は基本的にやさしい。
アタシには絶対だし、誰に対してもあまり怒らない。
女のコに怒る姿なんて、もう想像できない。
もし、優乃ちゃんが何も言わずに大河をいきなり殴っていたとしても、「えっ!?え?何?何よ!?」と、リアクション芸人みたいに慌てる姿の方が、簡単に想像できる。
だから、まだ優乃ちゃんの誤解を解く時間もチャンスもきっとある。
でも、予想外だった。
「舞夏ちゃんに、何言いはったんですか?」
優乃ちゃんは言った。
大河はスッと立ち上がった。
そして言った。
それは重くて、まるで冷たい鉄のような声だった。
「オレが舞夏ちゃんに何言うたって?」
大河が怒っている。
嘘だ、ありえない。
足から力が抜けるどころか、抜け過ぎて、もうオシッコが出ちゃいそうだ。
アタシの世界が、アタシの知ってる世界がどんどん壊れていく。
大河の問いに、優乃ちゃんは怯むかと思った。
優乃ちゃんは何も訊いていない。
というか、そもそも大河は何も言ってないのだ。
でも、優乃ちゃんは力技に出た。
「こっちが訊いとるんやろがぁァァ!!」
空気を切り裂くどころか、体を逆袈裟に斬られたと錯覚してしまいそうな、凄まじい気合いの声を挙げた。
そして、
ガンッ!!!!
と大河の机を下から蹴りあげた。
机は浮き上がり、ドンと戻ってグラグラと揺れて、机の中から「え?こんなに入ってたの!?」ってぐらいのたくさんの教科書やノートがドサドサと落ちた。
でも、アタシは、ほっとする。
いつもの大河だと安心する。
大河は怒っていた。
さっきと変わらず怒っていた。
優乃ちゃんがいきなり暴れるように乗り込んできて、自分に文句を言ってきて、そのことに怒っているなら、今ので怒りはもっと激しくなるハズだ。
でも、大河はさっきと変わらずに怒っている。
大河を怒らせた原因は、他にあるのだ。
そしてアタシは、その原因に心当たりがある。
大河はアタシを傷つけない。
大河はアタシにひどいことはしない。
それは、身につけるだけで自分が特別な存在になったような気分になれる高価な宝石のように、アタシにとっての大切な誇らしい事実だ。
でも、それは、きっと、大河にとっても、とても大切に思っている事実なのだ。
優乃ちゃんが怒って放った問いは、大河が誇りにしているものを否定する問いだった。
だから大河は怒ったのだ。
そのことだけを。