表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

『或る小説的思想集』

『再生する思想の体系についての一考察』

『再生する思想の体系についての一考察』



簡単なことを簡単にやることで、ある一定の生活における効果が現れる。

それは善悪で捉えられるものではない。ただ、そこに不可視のものであれ、一定の報酬があれば、その効果は意味を持つ。



しかし、同じことの繰り返しでは、一定の成果があれども、人間としての発達はない。

そして、寧ろ何かに破壊された現象の持つ怒りのエネルギーが、元居た場所への再生衝動となる。



それでは、再生とは負の要素があって初めて、起こりうる現象なのだと言えよう。

つまり、我々は破壊と再生を繰り返す訳だが、そこには一つの思想が見えると思われる。



ここにある思想とは、結局、人間とは一つの虚無があるだけなのだということだ。

そして、我々は、その虚無に意味を付加しているだけなのである。それでは、しかし、虚しいだけだ。



だから、人間はその思想に体系を持たせ、実質的な、利己的な、或いは創造的な可視化された名前を付ける。

そのことが、恐らくは、言葉の始まりであったのだろうと思われる。



この再生する思想の体系は、ここに着地点を見出すが、その点だけではなく、また、人々は不可視のものに価値を見出すであろう。

そして可視化され、また不可視を求める。



結局はこの流れが、宿命というものだということだ。

宿命とは、人が死ぬ最後に気付く、自分の世界における、或いは私的歴史に於ける、自己の意味である。



人間は、その意味が何かを感じさせることを知っているから、敢えて、意味を付けたがらない。

しかし、その意味の先があるなら、様々なる意匠において、輪廻でも天国地獄でも一回性でもいいので、先の世界を知りたいと思うのだ。そういう意味が、つまりは、その人が迎えた、結果だと言えよう。



以上は、或る空想の内に、何かを思い出して、思想を用いた文章である。

尚、この類の文章は、まだいろいろ書きたいと望んでいる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ