08話「夢と現実と」
「よし! んん、多分問題ないと思うけど……薫君、痛いところ……あるかな?」
包帯を結び終えた月宮さんが、俺を見る。ふと交わった視線に、彼女はすぐに横を向いて繰り返し頬を指先でなぞっていた。恥ずかしかったのだろうか。
「問題ないよ。なんせ月宮さんにしてもらったんだからね」
「……? そう、ならよかった。でも、あんまり動かさない方がいいと思うよ」
「うむ、気をつけるのだー!」
俺は座っていた椅子から立ち上がると、月宮さんと別れ監視所の裏に回る。
聖司が人払いをしてくれたようだが、やはり気になるのだろう壁の影から何人かが覗いていた。が、そいつらも俺を見るとなぜか申し訳なさそうに顔を逸して去っていくものだから、土の上で眠る彼女に俺が辿り着く頃には周囲には誰もいなくなっていた。
ただ一人、壁を背に俺を待ち構えていた聖司を除いて。
「……怪我の具合はどうですかな?」
「大丈夫! 見てほら、月宮さんすっごい丁寧に巻いてくれた! 今なら右手が疼く……とかできるぜ!」
「……ふむ」
聖司は一度顎に手を当ててから、横になっている彼女の傍に屈む。俺もそれに倣い隣に肩を並べると、聖司は画面を呼び出してなにか操作を始めた。
「見てくだされ薫殿」
「ん……」
聖司が触っていたのは、委員長の画面だった。
あれは他人でも触れるようになっているらしい。腕を吹き飛ばされたり本人が死んでしまえば操作不可能になるから、そのための機能なのだろう。聖司も裏で動いてくれているから、その時に知ったのだろうか。
そして聖司は委員長の画面を操りながら自分のを呼び出して、両方の手で一つずつ器用に操作する。
「これをご覧ください」
委員長が持っていたショットガン、AA-12が選択されているが、交換の項目に赤色の斜線が引かれている。聖司がいくら操作しても、反応する気配はない。
「では次に薫殿、これを持って離れてください」
「ああ」
手渡されたのは、聖司の銃。Mk18は銃身長が短く小柄なライフルだが、それでもMP7に比べれば大きさも重さもだいぶ違う。
両腕にずしりと鉄の重みを感じながら俺は一歩ずつ聖司から距離を取り、彼との距離が5メートルほど開いたその時だった。
「お……消えた」
「ええ、私のところに戻ったようですね」
腕の中にいたMk18は、突然消えてなくなった。聖司の言葉通りなら、彼のインベントリに戻ったということになるが。
「もしかして持ってる銃は交換できないのか? いや、そうでもないか。ヤンキーの銃は俺が奪ったままだしな」
「初めに支給された中でも、メインの銃だけでしょうな。サブの銃は問題なく交換できました。その理由も、おおよそ検討はついています」
「ほう?」
「薫殿はもう確認できないでしょうから仕方ありませんが、主武装になるはずの銃だけ詳細の項目に特殊効果、と呼ばれるものが表示されているのです」
「……なるほど」
「ちなみに私のMk18にはシールド再展開の能力が付与されていました。この銃を装備した状態でのみ発動、加えて一度使えば12時間は再使用できないと注意書きがされていたので、そこまで有用なものではありませんが」
特殊効果を持った銃を一人が独占は出来ない、ということか。皆で頑張れ、とでも言いたいのだろうかあの光る球は。
つまり俺のMP7がそうだったように、メインの銃が分解できるのは死んだやつの武器を素材として解体し無駄にしないため。なるほど悪趣味だな。
「交換に限らず、主武装の銃は地面に置いても約5メートル程離れれば自動的にインベントリに格納されるようになっているようです」
「じゃあ、回収される範囲まで離れない限りは限定的にだがさっきみたいに俺がお前の銃を使うことも出来るってわけか」
「おそらく。能力が発動するかもわかりませんし、範囲が狭いので用途が限られますが」
投げ渡されたところで対応する弾倉や弾薬を持ってない状態では撃てる数に限りがあるし、緊急時に使うくらいしか用途はなさそうだ。だが覚えておいて損はないだろう。
「それで、彼女の銃はどうしますかな?」
「…………」
「薫殿、あなたの指示に従いましょう」
「……銃は解体して絢香に渡そう。拳銃と弾薬はこの拠点を守る奴らに譲る」
「分かりました」
まるで死体漁りだ。いや、紛れもなくそうだなこれは。
「……では、申し訳ありませんが後はお任せして構いませんか?」
「ああ。こういうのは、俺の役目だ」
「それでは」
らしくもなく深く頭を下げて、聖司は表の方へ戻っていった。
俺はそれから、ずいぶんと長い間委員長と見つめ合っていたような気がする。実際には五分あるかどうかというところだろうが、その300秒が今の俺にはやたらと長く感じられた。
色々なことを考えて、色々なことを思い出して。最後にふと思ったのが、こんなに委員長と話したのはこの世界に来てからだな、なんてどうでもいいことで。だから俺は。
「──クソッ!」
白塗りの壁に、拳を叩きつける。白磁の壁に、赤い染みがこびりついた。
情報収集などと、余計なことをしなければ委員長は生きていたかもしれない。事前に白い球体から変異体の情報を得ていたのにも関わらず、通常の個体が変異する可能性を考えていなかった。馬鹿にも程がある。
それとも、夢見た世界に浮かれ油断した?だとすれば、その結果がこれだ。自分だけで舞い上がって、関係ない委員長を死なせてしまった。
「ッ……」
「薫!」
再度振りかぶった俺の腕を、誰かが取った。
わざわざ顔を見なくても声で分かる、長い付き合いだからな。けど今は茶化す気にもなれない。
俺はそっと、幼馴染が掴んだ腕を下ろした。
「傷……治んなくなっちゃうよ」
「……悪い」
包帯は血で滲んでいる。少々手遅れだが、いつも元気な絢香がこんなに沈んだ顔をするくらいだ、これ以上物にあたるのは控えよう。
「スコップ……作ってきたから、二人で埋めてあげよ? その腕じゃ、一人だと大変でしょ」
「ああ……」
俺はそれ以上何も言わずに、絢香からスコップを受け取る。彼女の言う通り、道具があってもこの腕じゃ穴を掘るのも一苦労だ。今は好意に甘えるとしよう。
「……アンタさ」
「…………なんだ」
「いつもなんかあるとさ、一人で悩んでずっと落ち込んでるじゃない」
やっと穴を掘り終えたところで、終始無言だった絢香が口を開いた。会話したい気分でもなかったが、うっかり答えてしまった以上は続けるしかない。
「……誰かに相談して解決できるかもわからないし、話したら話したで聞いたやつに気を使わせちまうだろ。だったら一人で悩んでた方が楽なんだよこっちも」
「それは……そうかもだけどさ。よっぽど変な悩みじゃないなら、私にくらい相談してくれてもいいじゃん。一応……幼馴染なんだしさ」
「だからだろ、年中顔合わせるやつに泣き言なんていいたくない。お前だって、彼氏と別れるとき俺に相談なんてしなかったろ」
「それは……そだけど……ごめん」
なぜ謝る。と言いかけたが、これ以上話を続けるとこいつまで傷つけてしまいそうな気がするので止めた。
またしばらくの沈黙。ただ黙々と作業を続け、俺達は委員長を穴の中に入れると土を戻す。
「……こんな訳のわからない世界に、委員長はずっといることになるのかな」
「それは分からん。でも期待はしない方がいい。それに、次は俺達かもしれないんだ。彼女のことだけ気にしてるわけにはいかない」
「そう、だね……ごめん」
軽く足についた土を払って絢香はスコップをしまうと、それ以降は言葉を交えることなく最後の仕上げをして。結局別れるその時まで互いに無言を貫いた。
そして再び、俺は一人になった。表の喧騒とは真逆に、こっちはひどく静けさだけに包まれてる。こんなことなら、もう少し絢香にいてもらってもよかったかもしれない。
一人だと、余計なことばかり考えてしまうから。
「……ゥ」
「…………やっとか。遅かったな、いいんちょ」
だが、その静寂もこれまでだ。
盛り上がった土から突き出す腕に、俺はP226を構える。
「…………ごめん」
墓から這い出た彼女に照準を合わせ、俺は銃の引き金を引いた。
また日が落ち、闇が訪れた。結局、今日は外に出ることを断念して俺達はいまだ拠点にした監視所に居座ったまま。色々あったせいで仕方なかったとはいえ、これでここに来て二日だ、皆の疲労も考慮するなら明日には必ず出発しなければならない。
だというのに、俺は利き手を負傷。あんなことがあったせいか、皆も昨日ほど元気はない。
「薫君、もう絶対に動かすの禁止、だからね?」
「……はい」
「ご飯は私が食べさせてあげますから」
「それは勘弁していただけないでしょうか……」
支給された食料には片手でも食べられるスティックタイプの栄養食もある。わざわざ月宮さんの手を煩わせることもない。
「ほ、ほら、こういう棒状のやつなら俺でも……っと、痛て」
包装を剥こうとしたが、利き腕が包帯まみれで紙が滑る上に力を加えると傷口が痛む。
結局俺は月宮さんの目の前で食べ物を落とすという失態を演じ、彼女はほれみろと言わんばかりに胸を張っていた。
「……じゃあ、包装を剥いてくれるだけでいいので」
「うん……ねぇ、薫君」
「……なにかな」
「無理……しないでね」
「……うん」
きっと、心からそう思ってくれているのだろう。力のある者に取り入ろうなどという、品のない考えなど微塵も抱かずに。彼女はそういう人だ。
その思いに応えてやりたいのは山々だ。これがクラス行事なら、誰が月宮さん以外の奴らのために働くものか。いつも通り怒られない程度にそこそこやって、極力サボる、それでもよかった。
けれど、この世界では命をかけなきゃならない。自惚れているわけではないが……いや、そんな気なんてもう起きるはずもないのだけれど。それでも、今ここでみんなの力になれるのは俺と聖司だけ。
そこそこでも、全力でも駄目なんだ。死ぬ気でやらなきゃ、皆は救えない。いいや、もうみんなは──
「ッ……ごめん」
「薫……君?」
「ちょっと夜風に当たってくるよ」
頭に浮かんだのは、一人の少女。その笑顔だ。
俺は二度も彼女を殺した。ゾンビから守れず、異形として蘇った彼女を俺は撃った。
もう二度と、こんなことは繰り返さない。俺のためにも。
もし次が月宮さんだったら、俺はきっと。だからそれだけは、駄目なんだ。
「…………」
庭に出ると、まだバリケードの外に転がったゾンビを棒で突いている奴らがいた。趣味がいいとは言えないが、これから何日もこの場所に軟禁される彼らを縛るのもよくないだろう。あれで鬱憤が晴れるなら、それでいい。
他の連中も暇を持て余したのか、建物の外に出てそれぞれのいつも馴れ合うグループごとに談話をしたり銃を弄ったりやることは様々だ。
あまり、委員長のことを気にしている人はいないようにも思える。薄情なのか、それとも自分がああはなりたくはないと現実から逃避しているのか。
やはり、あまり時間はかけられない。この際、俺一人でも今日の内に──
「薫殿」
慣れ親しんだ声。俺は視線を合わせ無言で応じる。
「明日は出発できそうですかな?」
「……怪我は利き腕だけだ、問題ないよ」
「だからこそです、万全でないなら時を待つことも──」
「そんな暇は無い!」
いつも冷静な聖司が驚く顔を、俺は初めて見たかもしれない。
ゾンビが爆発する瞬間でさえ落ち着いていた彼が、俺が声一つ荒げるだけであんな顔をするなんて。
「現状まともに動けるのは俺達だけなんだ、俺達が時間をかければかけるほど皆が辛くなる」
「それは分かっています薫殿。ですが急いては余計に事を仕損じてしまうことも……」
「そうしてる内にまた誰かが死んだらどうする! 俺達しかいないからこそ、さっさと行動しなきゃならないんだろうが!」
俺も、ここまで誰かに怒鳴ったのは人生で初めてかもしれない。
周囲の喧騒もぴたりと止んで、いつの間にか皆が俺達に注目していた。
「本当にもう誰も失いたくないというのなら、まずはいつものあなたに戻ってください」
「…………」
胸に押し付けられた水のペットボトル。有無を言わさぬような迫力に呑まれて、俺は無意識の内にそれを受け取ってしまった。
自分を見失っていたのは、何より俺自身だったのかもしれないな。人の心配する前に、俺は俺の調子を取り戻すべきだったんだ。客観的に見れば、今一番危ないのが誰かなんて瞭然だったのに。
準備を怠り、ただ急ぐだけじゃ失敗する。当然だ。司令塔でありたいなら、もっと冷静になれ。
皆の視線が俺に刺さる中、深呼吸。それからペットボトルを開けて、一口喉に流し込む。冷水が俺の余計な熱を奪っていくのを感じた。
「……すまない」
「いえ、気にしていませんよ。お気持ちは分かります」
「……はは、やっぱお前には勝てないなぁ」
本当に、聖司がいてよかった。こいつと一緒なら、俺はどこにでも行ける気がする。
──そういうルートは存在しないが。してほしくもないが。絶対、何があっても。
「ちょっと塔に上って頭冷やしてくるよ」
「ええ、それがいいでしょう」
「フフフ……この右手に宿りし月の獣を鎮めるには、夜空に輝く星々の力を借りねばならぬ故な。ではさらば」
「……これからはそのキャラでいくおつもりで?」
「それ完全に痛いやつじゃん……」
塔の手すりに腰掛けて、俺は星空を眺めながら空になったボトルを握りつぶした。
プラスチックの潰れる音が、皆の声に消されていく。
しばらくそのまま無心でいて。それからふと思ったことが、なんだかんだでこの場所が俺の特等席になりつつあるなと、そんなくだらないことで。
馬鹿と煙はなんとやらってやつだ。まったく、本当に馬鹿なやつだよ俺は。
「でも……」
馬鹿は馬鹿なりに頑張らないとな。今だけは。
まったく、せっかく日常から抜け出せたのにこれじゃあ、あんまりじゃあないか。普通こういうのはなんやかんやあっても都合よく幸せになれるもんだろうよ。所詮そういうのはフィクションで、どこに行こうと現実は現実で──
「……異世界に来たところで、やっぱ現実はクソゲーだな」




