07話「知識の代償」
ゾンビの性能を確かめてから大体三時間が経過した。俺達の世界とほぼ同じ進行速度で日は落ちて、今は暗い夜の世界。
二つの月光と、電灯に蝋燭の火で明るく照らされた拠点、その屋上の塔。手すりの上で頬杖をついていた俺は、バリケード付近で鉄条網に絡まった二体のゾンビを見下ろしている。おそらく、クラスの連中を背後から追っていたやつだろう。
「今頃到着か。腐ってちゃ仕方ないが、足は遅いな」
至近距離で完全に発見されない限り、ゾンビはそれほど積極的に攻めてくることはなさそうだ。
しかし、そのしつこさは玩具を親にねだる子供以上。でも数時間かけてここまでたどり着く根性は認めてやろう。
「んじゃ、言った通りにやってくれー! 頭だぞー」
俺は、先を尖らせた角材を持って庭に並ぶ男子生徒数名に手を振る。彼らは数秒迷うように顔を見合わせた後、一息に二体のゾンビ、その頭に木の槍を突き刺した。あっさりだな、コツとかいるんじゃないのかこういうの。実はみんな地味にスペック高いのか。
ちなみに彼らは、協力的だが外には出たくない系男子諸君の一員。せっかくなのでゾンビと戦う練習も兼ねて処理を任せてやったのだ。慣れることは重要だからな。でもなんかブスブス刺してるし楽しんでるよねもう。まあ法に縛られない空間で振るう暴力は最高だもんな仕方ない。これが悪い方向に向かわなきゃいいんだがな。なにせ多分明日にはもう俺は──
「部屋のゾンビはあのままでよかったのですか?」
隣でペットボトル片手に、俺が貸した双眼鏡を覗く聖司が言った。
「生きたゾンビがいるとそいつの周りにゾンビが集まってくるかも……的な実験。あと、まだなんか試したいこと思いつくかもしれないし」
「真面目ですな」
「少しずつ情報を集めるってゲームみたいで面白いしな。それに、皆の命もかかってるから慎重にもなるさ」
そうだ。結局本当にゾンビはいて、今のところ光る球の言う通り。
とくれば、塔も実際にあるのだろうし早く見つけないと。今日半日過ごしてみた感じこのクラスのメンタルは大分強めだが、家にも帰れず命の危険がある環境でどれだけ耐えられるかなんて分からん。俺は心理学の専門家じゃないからな。
なるべく急がなければならないが、そこで厄介なのが現在地だ。マップを参照すると、右下エリアの平原地帯、そこのやや北側に黒く四角いものが表示されている。これがこの監視塔なら、現在地は塔を中心としたこのマップの、南東エリア。それも端っこの方。
と仮定すると、俺達はおそらくこの平原地帯の中心あたりがスタート地点だと推測できる。ここよりさらに北側は画面に表示されたマップ上では線で区切られた別の区域になっていて、それを示すかのようにこの監視塔から見える景色、俺達が来た方向と反対側数キロ先地点は灰色の煙か粒子か、よくわからないもので構成された壁で遮られているのだ。アレがおそらく、エリアの境界なのだろう。
マップに現在地が表示されないので憶測でしかないが、条件も合ってるしほぼ間違いないはずだ。そうでないと俺が困る。
そうすると、最短距離ですら塔に辿り着くには北西に四つ分エリアを超えなければならない。今日歩いた距離とマップ上での広さを比べても、ここから塔まで数十──いや、数百キロはあるか?こりゃ長丁場は確実だな。やれやれ、泣けるぜ。
「まあ大丈夫だろう、きっと。あのゾンビも俺が出てくまでには処理するよ。危ないからな」
「俺達が、ですぞ」
「……はは、そうだな相棒」
軽く二人で拳を合わせて、差し出されたペットボトルを受け取り俺は今日初めての水にありついた。なんだかんだ色々やってて補給する暇がなかったから、なんか水でも普通に美味い気がする。軟水だとか硬水だとかそういう話ではなくて。
「して薫殿……あれを見てくだされ」
「……月宮さんだな」
「左様。その柳瀬殿ですが……」
「最高だな」
「……薫殿?」
「ごめんなさい」
わざわざ月宮さんを指名するのだからそういう話かと思ったが、違うようだ。
まあ逆に、真面目な話となれば大体予想がつく。
「多分ついてくるつもりなんだろうなぁ」
「でしょうな」
「拠点守ってくれるとありがたいとか言って説得できんかな」
「無理でしょうな。我々の方が危ない橋を渡るのですから、彼女は意地でもこちら側につくでしょう」
こんな状況ですらずっとやる気満々、率先して動いてくれたもんな。いやそれはいつも通りなわけだが、慈悲深い女神的思考を持つ月宮さんが大人しくしてくれるとは俺も思えん。
「……不安だ」
俺達が見守る中、建物の敷地内を歩く月宮さんは何もないところでコケて転んだ。
彼女は視線を警戒して周囲を見渡し、上階方面の確認が疎かになっていることにも気づかずに、誰にも見られていないと安堵し胸に手を当ててから舌を出して笑っていた。てへ、ってやつ。俺は漫画でしか見たことなかったぜ。
って、月宮さん膝とか擦り剥いてないかな?制服も汚れちゃっただろうし、あーもー見てらんないぞ。
「…………不安だ」
「同じく」
早朝。日差しの明るさと時間の経過から計算して、おそらく午前8時頃だと思う。この世界が俺達の世界と同じ時間の流れ方をしているなら、だが。
しかし、拠点は静寂に包まれている。普段通りならみんなは通学中かもう学校に着いている時間だが、まあこんな時だ寝坊も仕方ない。
例外は俺と、一人で部屋を占領して働きもせずあーだのうーだの呻きながら自由に気ままに振る舞うここの住人くらいか。あんなのでも、狭い部屋に押し込められ硬い床に敷物もなく寝転ぶしかないことに腹を立て、旦那の浮気現場を目撃した嫁のようにピーピー喚き散らす女子達よりはいい子なんだがな。少々噛み癖があるのが難点だが。
「……薫殿、監視お疲れ様です」
「ん」
例外がもう一人。構わず寝ろと言ったのに、結局俺の心配をして早起きしてくれたみたいだな。
あと後ろからいきなり登場して声をかけるのは映画みたいでかっこいいけどびっくりするので止めてほしい、平静を装うのが大変だったぞ相棒。
「お疲れではないですかな?」
「問題ないさ。若さの使い道はこういう時にこそ、だ。それに、徹夜は慣れてる」
俺は塔の手すりに腕と顎を乗せ、背中越しに返事をしながらインベントリに放り込んだままのチョコバーを取り出し一気に口に放り込む。やっぱり水が欲しくなる、こいつは駄目だな。
「それで、外の様子はどうですかな?」
「一晩見てたが変わった様子はなし。この平原自体そんなにゾンビがいないのかもしれんが、ゾンビ同士仲間を呼び合うみたいな力はなさそうだな」
俺は気怠い体を伸ばしてから聖司に向き直り、一緒に階段を降りて二階へ。
内側から木の板で窓が塞がれてたから俺が入ったときこそ暗かったが、ちゃんと開けてやれば窓も多くて日差しが入り込み、意外に二階も明るくて快適だ。
それに通路を見渡す限り、案外ちらほら起きて来ているやつもいるようだ。疲れからか寝ぼけ半分でよろよろと、こうしていると遠目じゃゾンビと区別がつかんな。
「よし、じゃあまずはこいつを……」
俺は記憶に新しい昨日の戦闘。と言ってもほぼ一方的にやられただけなんだが、あの戦いがあった部屋に向かう。
封鎖の指示を出しておいたから、今あの場所は無人だ。まあ開放したところで、血まみれでゾンビの死体が横たわる部屋なんぞで誰も寝たくはなかっただろうが。
一応、耳を澄ませてみる。下の住人と違って静かなもんだ。最悪の事態を想定してドアは木の板を打ち付け開けられないようにしているが、いらなかったかな。
ゾンビなら頭を撃てば死ぬはず。それでも駄目な超性能タイプだと学生じゃ対処なんてできないし、そこまで運命も意地悪じゃあないことを祈ろう。俺は木の板を剥がそうとして、音でみんなの眠りを妨げてしまうのではと思いとどまる。仕方なく、画面を操作しインベントリに直接ぶち込んで静かに木板を消すと、俺はドアを開けた。
「おはようござー……います。うむ、しっかり寝てるな」
「永眠ですな」
そういえば、インベントリに入れられる物に上限はあるのだろうか。もしかしたらこの建物すら入るのでは。とはいえ、あいにくとそこまで所持重量の多いやつはいなかったからな、試せない。
軽くよぎった疑問に悩みながら、部屋の中に入った俺は昨日と同じ位置で倒れ込むゾンビに心の中でガッツポーツを決めた。とりあえずこれで、撃破数1確定だな。
「あとは下のやつか」
「ですな。そろそろ楽にしてやりましょう」
そうか、そうだよな。昨日は焦って倒したけど、このゾンビたちも元は──いや、気持ちがブレる。考えないようにしよう。
「……なんでいいんちょまで」
下に降りた俺と聖司は、待ち構えていた委員長に見つかった。もう俺だけ危ないことはさせないだそうだ。気持ちはありがたいんだがな。
「薫くんが頑張ってるのに、委員長の私が何もしないわけにはいかないよ!」
「うーん……」
「そ、それに戦わなくちゃいけないなら、銃の撃ち方……練習、したいし。ちゃんと、その……倒す訓練を」
やや言葉を濁して視線を逸らす委員長の気持ちは、汲んでやりたい気もする。それに、銃を持っててもいざって時に撃てなきゃ意味がない。いい練習にはなると思うが。
「じゃあ、俺と一緒に入ろう。聖司、俺らが入ったら閉めてくれ」
「分かりました」
「うん! よろしくね薫くん!」
いい笑顔だ。これからすることで曇らなきゃいいが。
俺と委員長は銃を握り、部屋に入る。ゾンビの位置が分からないから俺が先に、続いて委員長の順番だ。
またドアの付近で待ち伏せとかもなく、ヤツは奥の方で壁と見つめ合っていた。俺や委員長が入ってきても無視だし、これなら委員長の的としても十分だな。部屋の中を追いかけっことかやりたくなかったし。
「じゃあいいんちょ、なるべく近づいて撃ってみよう」
「う、うん……」
俺達がすぐ後ろに来ても無反応。どうしたんだ、シールドにステルス機能まではないはずだが。それとも何かの拍子に俺か委員長の固有スキル的なものでも発動したのか?
「うお……」
「え? え?」
俺の思考が伝わったのか、ゾンビは急に反転して俺達の方を向いた。
それだけならよかったが、目に見えてゾンビの様子が昨日と違う。膨張した胸部は今にも破裂しそうなほど膨れ上がり、それにより着込んだスーツは今にもはち切れそうになっている。
──嫌な予感がした。
「いいんちょ!」
「きゃ!? 薫く──」
俺が慌てて腕を掴み引き寄せたせいで、委員長は自分の足を引っ掛けて転んでしまう。
直後、ゾンビはカエルが鳴くような、喉を引きつらせた奇妙な声を響かせ体をびくびく震わせる。
こいつまさか。だったら早く逃げないと。
「ヴェッ……ヴェッ……」
「いいんちょ! 立ってくれ! 早く!」
「あ……いや、私」
くそ、怯えて立てないか。引きずって行くしかない。けど、時間なんてあるのか。
「ッヴェ…………」
「薫殿!」
異変を感じた聖司がドアを開けた。俺一人なら間に合うかもしれない。だが、それだと委員長が。
ゾンビの動きが止まった。間に合わん、覚悟を決めろ。
「聖司! 閉めろ!」
「しかし──」
「閉めろ! 早く!」
部屋のドアは固く閉じられる。情に流されない、いい判断だ。さすが相棒。部屋に入って、助けようとして犠牲者が増えるなんてごめんだからな。
あとはもう、委員長への被害をどうにか最小限におさえないと。覆い被さればいいのか?くそ、もう考えている時間はない。これに賭けよう。
「きゃああああ!」
「ッ……」
水気を帯びた破裂音。そして、何かがどさりと倒れ込む音。
ゾンビは上半身がまるごと吹き飛び、下半分だけがぴくぴくと微振動している。
俺は……これは、肋骨か?ちょうどゾンビ側だったせいか、右腕のいたるところに弾け飛んだ大小様々な骨が突き刺さっている。くそ、手の平なんて貫通してるし、シールド本当に役に立たねぇな。
傷見たら急に痛くなってきた。まだ思考が回る内に委員長の安否を──
「おい、いいんちょ! いいんちょ大丈夫か!?」
「ぁ……」
よし、目が開いた。安心して痛みがどっと押し寄せてきたが、あの状況で守りきれたのならこれくらいの傷なんて安いもんだ。
「すまん、妙なことせずにすぐ倒しておけば……」
「え、へへ……だって、必要な……こと、なんでしょ? なら、薫くんは……悪くない、よ」
「……委員長?」
委員長の脇腹が赤く染まっている。
俺の血ではなかった。
「おい、待て……待てよ、そんな……」
「やっぱり……慣れないこと、するもんじゃない、ね。ごめん……私のせいで、薫くん、怪我しちゃった」
「そんな事はいい! だから委員長、早く治療を……」
「かお……く、ん。みんなの、こと……おねが…………」
委員長が俺の胸に体を預ける。支える力を失い倒れ込んだ彼女、その重さ全てを俺の腕と体に感じた。
「冗談は……やめてくれ。そんな……」
「…………」
「いいんちょ? おい……」
「…………」
「俺、は……」
彼女はもう応えない。
開け放たれたドアから聖司や他の仲間達が入ってくる。だがそれを見ても、彼らと言葉を交わす気も起きず。俺は呆然と委員長の体を抱いていた。
「薫殿……」
「薫君!? ひどい、こんな……誰か! 誰か救急箱を──」
手を握ってくれる月宮さんと、俺と委員長の体を支える聖司。二人の声は聞こえていたけれど、どこか遠くに感じて。
俺は委員長を見つめながら──何を思っていたんだっけ。よくわからない。ただ、これだけははっきりと理解していた。
もう委員長はいない。もう、いないんだ。