35話「夢の終わり」
目眩がしそうなほど白い螺旋階段。それを一つ上ると、下の階と同じような広場が俺達を迎えてくれた。
おそらく、螺旋階段と広場が交互に続くような形でこの塔は構築されているのだろう。ラスダンなのに手抜きか。
しかも一階から見えた天井がステンドグラスだったからもしやと思ったが、二階以降の広場の床は全てガラス。見た感じ薄そうだし怖すぎる。だというのに。
「薫君!」
わざわざ広場の中央で休んでいたらしい俺の仲間、そのうち一人が走りながらこっちに向かってきた。いくら月宮さんの体重でもこの薄さだとどうだか。床が抜けたら洒落にならないぞ。
「はいはい、薫さんですよー月宮さん」
「よかった! 無事だったんだね!」
「まあうん、大丈夫。あやうく料理になるところだったけどね」
聖司に紫さん、友希那や絢香。ヤンキー達も含めてみんな無事のようだ。半分しか上手くいかなかったけど、ちゃんと陽動は出来ていたみたいだな。
「お疲れ様です。ですが、どうも外が騒がしいようですな」
「助っ人だ。薫さんの人望も捨てたもんじゃないらしい」
「なるほど、さすがですな」
「かもな。だが急がないと外の連中がヤバい」
仲間と合流した俺は、さらに上を目指し進み続ける。
そうしてもう何回階段を上っただろうか。延々と続く広場と階段に辟易してきた頃に、突然それは現れた。
同じ広場、同じガラスの天井。だが、壁がない。正確には、手すりだけで窓もなく外の景色が一望できるフロアに着いた。だが階段はまだまだ続いている、ここが終点ではないはずだ。
「風……強いね、薫」
「うっかり落ちたら大変だな。早く頂上を目指そう」
俺の手にしがみつく瑛蓮の腕をとって、階段に進む。ここから先は螺旋ではなく、真っすぐ伸びた階段のようだ。目が回りそうだったから助かる。
が、この空気。おそらく近いな。用心しよう。
雰囲気の変わったフロアを上がった先で、まるでおめでとうとでも言わんばかりに手を打ち鳴らす男が待ち構えていた。
余裕の笑みに、罠を張ることなく広場中央で佇む少年。三神宗像。こいつだけは、この世界から出すわけにはいかない。
「や、皆さんおめでとうございます。この先、あと3つ上がったところがゴールですよ」
「そりゃあよかった、1万階まであるかと思ったぜ」
三神は拍手を終えると、まるで執事か何かのように丁寧に頭を下ながら、後方に鎮座する階段へ手を伸ばした。先へ進め、ということだろうな。どう考えても。なるほど、やっぱりいい趣味してるぜこいつは。
「……聖司、先に行ってくれ」
「薫殿? しかし……」
「こいつは俺との対決をご所望だ。お前なら、それでわかるだろ?」
「……ええ、分かりました。ご武運を」
余計な邪魔はいらない。三神は俺と戦いたがっている。もし邪魔をする者がいれば、こういうやつは何をしでかすかわからん。
なにより、この戦いで最後に立っているのは一人だけ。みんなにそんなところを見せたくはない。
「薫! どうして……」
「これはRPGじゃない、シューティングだ。ボス戦は一対一って決まってるんだよ瑛蓮」
「そういう話じゃ……」
「瑛蓮殿」
聖司に手を引かれ、瑛蓮は三神の横を通り階段へ。
「ああ、ここにはもう罠も敵もありませんから。上でゆっくりしててくださいね」
「親切なこった、涙が出そうだぜまったく。……瑛蓮、行ってくれ。でも勝手にゴールテープを切らないでくれよ、そこはみんなでだ」
俺の声に、瑛蓮は振り向く。その目尻には涙が溜まっていた。
おいおい、負けるために残るわけじゃねーってのに。心配性だな。
「瑛蓮」
「……ん」
「ほら、あれだ。約束。俺を信じろ」
親指を立てて、俺は瑛蓮を送り出す。
彼女は泣き顔のまま、目一杯の笑顔を作って。
「うん……頑張れ、薫」
いい笑顔だ。景気づけには最高すぎて俺にはもったいないな。
瑛蓮からちょっとの元気を分けてもらって、俺は仲間達が上の階に消えるのを見送った。これで二人きり。ラスボス戦。最高に盛り上がる展開だ。三神と、これを見ている連中はさぞ楽しかろうな。
「ふふ、結局瑛蓮さんには伝えてないんですか? これで薫さんが勝ったりしたら、彼女に一生恨まれますよ?」
「そうはならんさ。俺はどんな時だって笑わせる側で、曇らせる人間じゃあないからな」
「何を考えているか知りませんが……それなら尚更俺に勝たないと、ですね」
「ああそうさ。ほれどうした、邪魔者は消えたぜ? 得意のチートなアイテムでかかってきたらどうだ」
三神の嫌味ったらしい笑みが張り付いた顔が、虚空に消える。透明化の道具だ。
別にいなくなったわけじゃない。だが、吹き荒れる風のせいで足音が消えている。
ならどうする、これを覆してこその薫さんだろう。
「ではお言葉に甘えて。……ハンデはいりますか?」
「はは。なんだよ、俺がハンデ付けないと勝てないのか? そんな強そうな道具持ってるのにずいぶん貧弱なラスボスだな」
「…………」
声の響き方からして俺の周囲をぐるぐる回っているのか。だが正確な位置がわからん。出し惜しみなしだ、あれを使う。
「必殺、薫さん土撒きだ!」
両手いっぱいに握った土を、宙にばらまく。それは吹き込む風に流されて、部屋全体に散らばった。
まあ、それだけだ。攻撃とかではないし、目潰しでもない。
「……一応、真面目にやってくれた方が盛り上がるんですが」
「誰が手を抜くと言った、馬鹿者が」
「──ッ!」
驚いた三神の顔が目に浮かぶ。
俺は土についた足跡を頼りにおおよその位置を特定し、飛びかかりつつ月宮さんの銃を抜く。
左手に人肌の感触、見えないが確かに掴んだぞ。
「この距離ならバリアは張れないな!」
「っく!?」
7連発の357マグナム、その銃身を三神の身体に擦りつけ、装填された全ての弾丸を撃ち込む。
どこを狙ったかはわからんが、間違いなく三神に当たったはずだ。
が、次の瞬間俺の腹部を衝撃が襲った。
「くっそ……駄目か」
手すりまで吹き飛ばされ、咳き込みながら俺はAR15を杖にして立ち上がる。
密着した状態で撃ってもバリアは機能する。やっかいだな。だがまあ、無駄ではない。ちょっぴりお怒りの三神君の顔が拝めるようになったからな。
「ほれどうした透明人間、手品はおしまいか?」
「……読めない人だ」
「それが薫さんだからな」
AR15を構えると、同じく三神がクロスボウを俺に向ける。なるほど、あれは紐を撃ち出すだけじゃないようだ。
さてどうするか、問題はあのバリアだ。だがあいつもこのゲームの参加者だというのなら、無敵はありえない。おそらくシールドの超硬いやつだろう。なら、やることは一つだ。
「そんなもんで俺と撃ち合えると思うなよ!」
「そっちこそ、そんな豆鉄砲でどうにか出来るとは思わないことです!」
円を描くように、三神の周囲を回りながら正確に9ミリ弾を当てていく。一発たりともあいつの身体に届きはしないが、それでもいい。
三神もそれほどクロスボウの扱いに長けているわけではなかった。ちょっと動き回るだけで、矢は俺の鼻先か背中を掠めていく。だんだんとヤツが苛つき始めてくると、そこでやっと俺の銃が弾切れを知らせた。
いい感じにばらまけた。あとの運命は、この世界の神様に委ねよう。最高の盛り上がりを見たいか、それとも呆気なく決着がつくのがいいか、その選択を。
俺は円の軌道を止め、不意打ちで直角に曲がると三神に向け突っ込む。飛んできた矢が頬を裂いたが、もう遅い。俺は足先に意識を集中させ、身体を地面に滑らせた。
「必殺技その2! 足折りスライディングだ!」
「何を……」
三神には矢を撃つ以外の余裕は残されていない。それも外した今、ヤツは俺の蹴りをくらい地べたに這いつくばるしかないってわけだ。
土と薬莢で加速した俺の一撃に、三神は為す術なくガラスの床に顔面を打ち付ける。衝撃はほとんどバリアが吸収したか。だがこれも想定済みだ。
「これで終わりだと思うなよ!」
だが本命はこいつだ。俺はポケットから友希那のナイフを取り出し、三神の背中めがけ突き立てる。
切っ先はバリアに弾かれ、体まで数ミリのところで防がれるが俺はなおも力を加え続ける。薬で強化した筋力と、友希那から託されたナイフ。そしてこの展開。通れ!
「っぐ──あ」
「見たかクソガキが!」
鏡の割れるような音。それは紛れもなくバリアの消失を意味し、刃はするりと三神の身体に沈んでいく。賭けは俺の勝ちだ。
だが両手に浴びた鮮血に柄が滑る。俺は一度握り直すために力を緩め、その瞬間感じた直感に従いナイフを諦め飛び退いて距離を取る。
俺の顎先をクロスボウの矢が掠めた。間一髪だ。
「せっかくの綺麗な顔が鼻血で台無しだな」
「お前ェ……」
「どうした、もう薫さんって呼んでくれないのか?」
顔面強打、背中に刺傷。だがやつはまだ立ち上がる。外見通りタフだな。伊達に周回プレイヤーじゃないってこった。
だが一番やっかいなものは消せた。なら後は体力勝負。こっちはまだ薬の効果がある、畳み掛けるぞ。
「殺してやるッ!」
「こっちのセリフだクソガキ!」
互いの拳が交差する。だが吹き飛ぶのはヤツの方だ。
手すりに背中を打ち付け、三神は咳き込みながら赤い飛沫を口からこぼした。よし、押し切れる。
まだ手に持ったクロスボウを使われる前に近づいて、俺は三神の胸ぐらを掴むと思い切り顔を殴りつけた。加減はしない、潰れるまで殴ってやる。
「今まで好き放題してきた結果だ! 大人しく……」
「まだ……まだだァ!」
しくじった。殴るのに夢中でクロスボウが装填されていたことに気づけなかった。
一体何の矢が。疑問を抱くより先に俺の首に紐が巻き付き、三神は血まみれの顔で笑う。
後に引けない状況に追い込んだせいで、ヤツは俺の想像を上回る思い切った行動に出た。三神は俺の首に巻き付いた紐、それに繋がるクロスボウを握りしめたまま手すりから身を投げ出す。
しかも最悪なことに、このタイミングで薬の効果が薄れてきた。俺は身体が塔の外へと引っ張られる力に抗い手すりを掴むが、そうすればするほど巻き付いた紐が首を締める。
「くっそ……悪党が、根性見せんなよ」
駄目だ、右手に力が入らない。このままじゃ二人とも塔の根本まで真っ逆さま。だが、勝者のいないエンディングなんて、迎えてたまるか。
俺は持っていた荒縄を手すりと自分の腹に結び、自ら塔の外へ。振り子のように俺の体は宙を舞い、三神を引き連れ一つ下の階へ投げ飛ばされた。よかった、外壁伝いに戦うなんてさすがに無理だからな。
「っく……痛って。なんとか助かったか」
「ちく、しょう……しぶとい、な。アンタは」
「当たり前だ! 帰りを待っててくれる人がいる限り、俺は諦めない!」
俺の縄は上の階に結ばれたまま。長さには余裕があるが、このままじゃ動きが制限される。
なら、先手必勝だ。こっちもまだ首に紐が繋がったまま。俺は紐を三神ごと手繰り寄せ、たたらを踏んで近づく三神の顔面に渾身の左ストレートをぶち込んだ。
俺の拳も裂けたが、三神も無事ではすまない重症。続けて、目の前で膝から崩れ落ちた三神の背中に刺さったナイフを引き抜く。
これをやつの頭部に振り下ろして終わり。そうなるはずだったが。
「まだ終わってない!」
「が!? っぐ……くそ!」
抱きついてきた三神が俺からナイフを奪い取り、太腿を抉るように引き裂いた。
右手以上の出血、一瞬暗転した視界に、だが俺は意識を奮い立たせ三神を殴り飛ばした。
「くっ……そ。体力馬鹿が」
「ハァ……ハァ……まだ、俺は。俺が勝つんだ、今回も!」
「悪いが……連勝記録は今回で打ち止めだ!」
鮮やかなステンドグラスの床が二人の血で赤く染まる。まずい、流れ過ぎだ。俺も長くは持たない。けど、薬が完全に切れたのか体が言うことをきかん。くそ、あと一手でいい、なにか──
「薫!」
それは、ここで聞くはずのない声。朦朧とした意識が聞かせた幻聴を疑ったが、どうにも声だけじゃなくて実体があるようだ。あいつめ、本当に人の話を聞かないな。
だが、助かった。
「瑛蓮! 撃て!」
「糞女がァ!」
紐の拘束を解き、三神がクロスボウを瑛蓮に向ける。
瑛蓮も、すでに照準をヤツへと定めていた。
引き金は同時に。銃弾が三神の左腕を付け根から吹き飛ばし、鋭い矢が瑛蓮の手の平を穿った。だが二人共、まだ生きている。
「ぁ……っく、薫……私」
「もう十分だ! そこにいろ!」
地面に転がった瑛蓮の銃。距離は俺も三神も同じくらいか。頼む、這ってでもあれを取ることが出来れば。動け、俺の身体。
「クソ……クソ! どいつも、こいつも……クズ共が。みんな死んじまえッ!」
「ああ、そうだ! だからお前は……ここで死ね!」
残る体力すべてを使って床を這い、銃へと手を伸ばす。あと30センチ。血まみれの右手で身体を押し出せば、あと少しで指がかかる。あと少しで。
「オレの……勝ちだ! は、ッハハハ! 残念……だったな!」
「っぐ……畜生」
俺の左手を踏みつけ、狂気に酔う三神が銃を拾い上げた。そしてその銃口は、俺の頭へ。
瑛蓮の銃で撃たれるなんて。クソ、あと一歩だったのに。結局、俺は──
「……ア? どうし……て」
撃鉄は確かに雷管を叩いた。だが、弾丸は俺の頭を撃ち抜くことなく。銃は沈黙。
「あ……は……はは! そりゃ、そう……だよ。私の、銃が……薫を傷つけるなんて……あるわけ、ないもん」
「世界が……言ってるぜ。お前の負け……だってさ」
「お前らアアアアァ!」
ここまでお膳立てされて乗らない俺じゃない。最後の踏ん張り時だ、気合い入れろ。
激高する三神を殴り倒し、俺は体を縛る縄を解くとヤツの首に結びつける。片手じゃ簡単には外れない。悪いな、こういうのは親友との訓練で結構得意なんだ。
そしてもう一つ。俺には親友から譲り受けたものがある。
「もう一回だけ一緒にダイブと行くか。まあ、俺は地獄まで付き合うつもりはないがな」
「貴様アァ!」
聖司のリボルバーを抜き、床に銃弾を撃ち込む。ガラスの床は粉々に砕け散って、俺と三神を階下へと引きずり込んだ。
背を貫く衝撃とガラス片に、一瞬息が止まる。重症の身体にこれはキツい。だがまあ、いいか。もうすぐエンディングで、俺は死んでない。それが一番、重要だ。
「っへ……趣味の悪いてるてる坊主だ。なあ、相棒?」
「あれがそうなら、きっと明日は血の雨が降るわね」
満身創痍、瑛蓮の肩を借りてやっと終点まで上がった俺は、みんなに迎えられながら床に倒れ込んだ。
血が足りない。でもあとひと踏ん張りだ、エンディングを迎えるまでがゲーム。ハッピーエンドのためにも生きなきゃな。
「よしよし、薫さん復活だ。もう俺がゴールしていいよね?」
みんなが一斉に頷く。いかん、意識が飛びそう。さっさと終わらせよう。
おそらく白い球体が言っていたのは、この最上階中央にある光の玉。一瞬ヤツかと思ったが、話しかけても反応しないからこれはただのゴールテープみたいなもんだろう。
俺は手を伸ばし、球体に触れる。ちょっと暖かいな。なんて思った瞬間、俺達は光りに包まれ──
「……よお、お久しいなド畜生」
淡い光りに包まれた空間。傷の痛みもないが同時に仲間の姿もない。俺の他に誰かいるかといえば、相変わらず光の奥に謎の視線を宿す球体だけ。
『おめでとうございます、姫路薫様』
「ありゃ、別人か? 声が違うが」
『はい、案内役と私は別の存在です。ですがそれは、貴方には関係のない話……でしょう?』
「そらそうだ。てかみんなは?」
『貴方のクラスメイトは帰還準備に入っています。この世界で死亡された方以外は、貴方の回答が終わり次第全員元の世界に戻れるはずです』
「そっか……」
ごめん、委員長。君のことは忘れないし、償いはするつもりだ。何年かけてでも。
「そんで……回答ってのはクリア報酬のこと、でいいんだよな?」
『はい、オーブに触れた貴方にその資格があります。貴方の世界に著しい影響を与えるような願いでなければ、どのようなものでも構いません』
「ほう、つまりせかいせーふく、とかはNGか」
『はい、常識の範囲内でお願いします』
貰えるのは強い武器だけです、なんて言われたらこいつを殺してでも従わせようと思ってたが、そこまで融通の利かないやつじゃないらしい。
良かった。本当に。希望を信じた結果だ。お前のおかげだぜ、ありがとう絢香。
「そんじゃ……」
『その前に』
「うん?」
『此度の貴方のご活躍は、お客様からも大変好評でした。もしよろしければ、このまま継続して参加をお願いしたいのですが』
「っへ、だぁれがやるかってんだ。呼ぶなら神ゲーに作り直してから来い」
やれやれ、神様か宇宙人か、どこの誰だか知らんが迷惑な話だ。遊ぶなら木彫りの駒でやってろっつーの。
『そうですか、残念です。それでは、貴方の願いを聞きましょう』
「やれやれ、やっとか。んじゃ言うから、聞き逃すなよ? 俺の願いは──」