34話「ジャガーノート」
「299……300。時間だ、瑛蓮」
俺の声に、小さな相棒が肩を震わせた。
いつも頼もしいはずの彼女の背中は小刻みに揺れて、強気な瞳は今にも沈んでしまいそうなほど下を向いている。
「瑛蓮」
「……薫」
「俺がついてる」
彼女の背中をそっと撫でる。誰よりも華奢な身体。こんな小さな存在が、俺をずっと支えてくれた。
だから次は、俺の番だ。
「瑛蓮、俺が隣りにいる。もう一人にはならない、大丈夫」
「そう……そうだね。薫がいてくれる……これまでも、これからも」
「ああ。一人では無理だったかもしれんが、薫さんと一緒ならやれるさ。だろう、相棒?」
「うん、私達二人で……やろう!」
互いに拳を合わせてから、戦支度だ。
強化薬の残数は8。惜しむ必要はない。
「瑛蓮、2本やる。最初気持ち悪いが、まあ慣れるよ。一本ずつ、用法用量を守ってな」
「うん、ちょっとドキドキ」
「さて……」
俺は左右の指に3本ずつ強化薬を挟み、首筋にあてがう。ひんやりとした金属製注射器が6本俺の肌に接触するのを感じると、ボタンを押して薬を体内に流し込んだ。
「えええ!? ちょっと薫! 用法用量は!?」
「ほら、薬とか15歳以下と以上じゃ投与量って違うじゃんさ」
「そういう問題じゃないよ! もー!」
「ははは、手遅れだ」
腕を振り回して俺を殴ってくる瑛蓮の攻撃も、今の俺には効果がない。
笑いながら画面を操作。聖司から譲り受けたシングルアクションのリボルバー、そして月宮さんのアレな思いが込められた7連リボルバーを腰に挿して、それから強襲用パックを装備。
ボタン一つで俺の身体が光に包まれ、一瞬で重装甲のアーマーが体を覆う。ヘルメットは表面の装甲分それなりに重く視界も悪いが、それより気になったのは思ったより首が回らない所か。防爆アーマーがベースだから仕方ないが、戦闘じゃ使い勝手悪いな。
「瑛蓮、戦闘中は画面弄ってる余裕ないからできるだけ装備は出しておけよ」
「う、うん……これでいい?」
「うーん……」
「へ、変?」
刀を腰に下げ機関銃を抱える装甲兵。ミスマッチ感がすごい。
それに、せっかくの瑛蓮の美声がヘルメットでくぐもって聞こえる。要改良だな。
「重装甲サムライマシンガンナー……なんか属性盛り過ぎのキャラみたいだな」
「か、薫はどうなのよ!」
「ヘヴィアーマーガンマン。早撃ちを犠牲に圧倒的防御力を得た西部最強のお尋ね者。なおリボルバーは装甲服の下に直で装備してるのでアーマーパージしないと抜けない模様」
「ガンマンですらなかった……」
お互いメインの火器はベルトリンク式の機関銃。とはいえ瑛蓮のゾンビスレイヤーはアサルトライフルをベースに一部部品を機関銃のものに換装した銃で、使用弾薬も元のまま、銃身もおそらく長時間の連続射撃に耐えられるものではないはず。
口径も弾数も俺のPKMが上だ。お互い敵は選んで処理する必要がある。俺はタンクや羽つきを主に、雑魚ゾンビを瑛蓮に任せよう。
「この装甲だ、ただのゾンビじゃ手も足も出ない。胸張って蹂躙しろ、その力が今の俺らにはある」
「分かった、任せて」
スリングを肩に回してサプレッサーを外したAR15カービンを背負い、PKMの250連弾倉2つを装甲服の右腰についたベルトに無理やり引っ掛けて固定する。東側の狙撃銃にも使われる大口径の7.62×54R弾500発分が収められたでかい金属箱の重量も、今の俺には鳥の羽も同然。嘘、見栄はりました。15ポンドのボーリング玉くらいの感覚です。
次に弾倉の蓋を開け、俺は中から金属式のベルトに繋がれた弾薬を引きずり出す。それをPKMに装填して、準備は完了。弾薬250発を繋げた非分離式の弾帯だ、撃てば撃つほど排出口から垂れ下がっていく。踏んでこけないようにしないとな。
「準備はいいか?」
「うん、大丈夫。薫が一緒だもの」
「はは、そんな殺意の塊みたいなナリで言われるとギャグにしか聞こえんな」
「もう! 行くわよ!」
呻き声と体液の滴り落ちる不快な音に包まれた赤い荒野。そこに一発の銃声が響き渡る。
天を撃ち抜いたライフルから吐き出された9ミリの空薬莢。それが金属特有の軽い音を立てて、赤く乾いた土に突き刺さった。
音源へと集まるのは、濁った瞳、剥がれた頭皮、溢れた内臓を揺らして走る異形達。その数は百を有に超える。
「デカブツは俺がやる、雑魚を蹴散らせ」
「分かった!」
右手でグリップ、左手でキャリングハンドルを握り、腰だめでPKMを構えながら俺はトリガーを引いた。轟音と弾丸が、数百の呻き声を少しずつ消していく。
フルオートで絶え間なく銃口から吐き出される大口径の弾頭が射線上にいるゾンビの腕を、頭を、腹を砕いて薙ぎ倒し、赤黒い血飛沫の波に逆らうように前進。撃ち漏らしはすべて瑛蓮に任せ、倒れたゾンビを踏み潰しながら俺は進み続ける。標的は、異形で作られた絨毯を歩く筋肉の戦車。
俺を認識したタンクが走り出した。巨腕に弾き飛ばされ、捩れて地面を跳ねるゾンビ達。それを意に介さず、タンクは俺へと一直線に向かってくる。
と、そこでけたたましく銃声を響かせていたPKMが沈黙。ベルト排出部からは足元まで伸びる弾帯が力なく垂れ下がっていた。
「……むぅ」
グリップから手を離した俺の頭部に衝撃。タンクの殴打に数歩よろめくが、吹き飛ばされずに踏み止まれた。
とはいえ、この重い装甲と強固なヘルメットがなければ今頃俺の頭は地面を転がっていたに違いない。スーツに感謝だ。しかし、良好だった視界は分厚いバイザーの左半分を走る亀裂によって妨げられる。何度もはくらえない。
体勢を整え、俺はタンクと睨み合う。一撃で決められなかったことが不思議なのか、ヤツは犬のような唸り声を喉から絞り出した。同時に歪む、殴りたくなるような醜い筋肉塊の顔。俺は空になった金属箱をベルトから外すと、同じ箇所を狙いタンクへ叩きつけた。お返しだ。
「ッてーな! クソ野郎!」
重く、鈍い音。大きくひしゃげたのは箱とタンク、両方だ。
大質量の肉塊がゾンビの海に倒れ込み、跳ねた腐汁が赤緑の塗料をヘルメットのバイザーに塗りたくる。
右の袖でバイザーについた汚物を拭いながら俺は潰れた箱を投げ捨て、もう一つの弾倉から弾帯を引き伸ばしPKMに繋げる。力を取り戻したゾンビ狩りの道具は獲物を求めて咆哮を轟かせ、更に10、50、100と瞬く間に腐肉の山を築きあげた。
瑛蓮と俺の銃、合わせて800発ほどの弾薬消費。しかしそれでもなお、異形達の勢いは止まるどころか畳み掛けるように勢力を増していく。
「っち、下手な鉄砲数撃ちすぎたか。そっちの残弾は?」
「もうない、ごめん!」
「なら弾切れの銃は捨てろ。拳銃はまだあるな?」
「うん、でも……」
腐海はいまだ果てしなく、内に潜む恐ろしい者達もその数は俺達の武器以上。
「装備を過信したか……仕方ない、強引に突っ切るぞ」
俺が瑛蓮に手を伸ばした瞬間だった。
空を裂く、大型の飛翔体。濃緑の弾体はゾンビの群れ、その中心に落ち、荒野が抉れ赤土が空高く吹き飛ばされる。あれはまさか。
「あ……RーPーGィィィ!」
「わわわびっくりした!? 何!?」
「すまん……あれを撃たれたら叫ばないといけない決まりがあるんだ」
飛んできた角度から計算すると、撃ってきたのは俺達がいた崖の辺りか。首が回らないので、そちらの方角に体ごと向ける。と、すでにこちらへ向かって走ってくる集団が。当然、ゾンビではない。
「ホ……潤一! なんでお前が」
「薫さん! もう僕達も隠れるのはやめました! さあ、ここは僕らが! 早く塔の中へ!」
「すまん、助かる!」
頼もしい助っ人の登場だ。想定外だが、これほど嬉しいこともない。
あいつらのためにも、俺は進まなければ。
「瑛蓮!」
「うん!」
潤一達一行が俺達の道を切り開くよう両翼に展開して攻撃、ゾンビの海に道を作る。左右に分断された海の中央に伸びた道の終着点は、塔の入り口だ。
弾のない銃は捨て、俺と瑛蓮は背後を振り向くことなく道を走り抜ける。少しずつ白磁の塔が迫り、やがて姿を見せた大きな二枚扉に2人でタックルをかまし強引に押し開いて塔へと侵入。
そこで俺達を迎えたのは、ファンタジー世界に出てくるような一つの穢れもない純白の広場。壁に沿って螺旋を描き上へと続く階段に、見上げれば俺達の世界には無い──というより俺らでは理解できないような奇妙かつ独特な絵が刻まれたステンドグラスの天井。
「よし、とりあえずこれで……」
広場に一歩踏み出した俺は、そこで足首にかかる妙な負担に気づき屈むようにして足元を眺めた。
胴回りの装甲板が腰を曲げることを許してくれず、足元が疎かになっている俺達を狙ったかのような罠。単純なワイヤートラップに、俺は引っかかってしまった。
「瑛蓮!」
彼女の腕を引くが、一歩遅かった。
上から突然降ってきた粘度の高い液体。それがアーマーを濡らすと、続いて二人の足元に伸びるワイヤーが突然発火。無敵の鎧は一瞬で燃え盛る炎に包まれる。
「クソッ、大丈夫か瑛蓮! 今助ける!」
自分の体に火がついたまま冷静に行動できる人間は、おそらくそんなにいないだろう。つまり、床を転げ回る瑛蓮に画面を操作して装備を脱ぐ余裕はない。
俺は彼女の身体を抱きとめて、力任せにアーマーを剥ぎ取った。そこまで時間はかからなかったが、最後にヘルメットを瑛蓮の頭から脱がせる頃には俺のアーマー内部の温度は上昇しきり、熱湯でもかけられたかのような熱さが身体を襲っていた。肌を刺すような痛みに、思考が乱れ画面が呼び出せない。自分で脱ぐしかないようだ。とにかく焦らないように、瑛蓮でやった手順を思い出しながら確実に装甲を一つ一つ外していく。そしてついに。
「ぷは……やばかった」
「大丈夫!? 真っ赤だよ!?」
「茹で薫さん……いや、焼き薫さんか。不味そうだ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 平気なの!?」
黒焦げになる装甲服を横目に、俺は赤くなった肌を擦ってみる。少しひりつくが、問題はなさそうだ。
「大丈夫っぽそうだ」
「よかった……でも、この罠」
「ああ、ヤツもここにいる」
まだゴールじゃない。俺にとっては、ここがラストステージだ。
絶対にヤツを倒し、みんなを救う。外で戦っている潤一達のためにも、俺を想ってくれる仲間達のためにも。そして、瑛蓮のためにも。
ここでアイツを、三神を殺す。