30話「奇妙な距離感」
時刻は正午、おそらくあと1時間もすれば日が暮れ始める頃だろう。
俺達は今にも動きそうな様子で時折ビクンと跳ねる盾持ちを傍らに、次なるエリアへ挑まんと集結した。三神の介入という不測の事態もあったが、実質的な被害はゼロに近い。これだけの変異種相手にこの結果、今後は紫さんと友希那を積極的に組み込んだ戦い方を取るべきだろうか。男としては至極情けない話だが。とは言っても俺が無理をしたところで、自尊心を満たす以外に意味のない愚行でしかない。くだらない考えは排斥して、命がかかっている以上いまは効率重視だ。
「あー、ちょっと擦りむいてるじゃないか。服も汚れちゃったし。他にどこか痛くない? 大丈夫? おんぶする?」
「えっ!? い、いいよ! 自分で歩けるから!」
「薫アニキが薫ママになっちまった……」
エリアを超える前に、一通りの準備を済ませることにした俺はまっさきに瑛蓮の傷の具合を確かめた。コンクリートの上で派手に転んだせいで膝は軽度の擦過傷。肘と手首も少し赤くなっているし、足の紐は本来獣を捕らえるものなのか知らんが相当キツく縛られてて、ある種の芸術品にすら見える健康的な肉付きの綺麗な足に痣ができている。おのれ三神、女の子を傷つけるとは薫さんの前で一番やってはいけないことをしたな。
「いいから無理するな。ほれ、乗るがいい」
「う……うん」
遠慮がちに、瑛蓮は屈んだ俺の背中に乗ると体重を預ける。しまった、薬が切れてるから支えてる右手超痛い。しかし我慢だ、耐えろ薫さん。念願の女の子をおんぶするシチュだぞ。
ちなみに、瑛蓮はすっごく軽かった。ちゃんとご飯食べてるのかな。そっか、数ヶ月もここにいたんだもんな。なにか美味しいものでも食べさせてあげられればいいんだが。と、思ったところであることを思い出し。
「う……」
「ぅえ!? ど、どうかした?」
「なんでもない」
そうだ、瑛蓮の好物らしいチョコミントを駄目にしたのは俺だった。俺は一体何をしてるんだ。
まあ過ぎたことは仕方ない。これから挽回しよう。
瑛蓮も気にかけてやりつつ、まずは食糧危機をなんとかしないと。潤一からは一人分しかもらってないし、昨日の時点で瑛蓮が聖司達にわけたからもう在庫はなし。とりあえずエリアを超えたら拠点の確保と食料を探して、それから塔を目指そう。
俺は背負った瑛蓮を気遣いながら一歩踏み出して、そこでなんというか、背中で揺れる彼女の身体に違和感を覚えた。完全に清潔ってわけでもないけど、シールドのおかげかやんわりと香る女の子の匂いはあるのだ。あるのだが、もっとこうなんだ、背中に感じるべき感触というかなんというかがな。
「……瑛蓮」
「な、なに? 重いなら別に無理しなくていいよ?」
「そのだ……お前ってさ、女の子……だよな? 男の娘的なアレでなく」
「はぁ!?」
力強い怒声を絞り出して、瑛蓮は俺の背中で暴れはじめた。やめろ落ちる、右手は無理して支えているんだぞ。
「思った以上に平ら──ぐお!?」
瑛蓮は両手だけを使って俺の身体から跳ね跳んで、空中で蹴りを一発背中に打ち込んでから綺麗に着地した。器用だな、なんで女の子は格ゲーキャラみたいなこと平然と出来るんだ。これがモブキャラスペックの薫さんと主役級の違いだとでもいうのか。
「遺言はある?」
「待って瑛蓮さん、落ち着こう。これからかもしれないし」
前のめりに倒れた俺を見下ろす瑛蓮の顔が怖い。そして周りの目は冷たく、友希那だけは相変わらずぽえっとしてた。
「でも……私は瑛蓮ちゃんくらいの時からこうであんまり変わってないから、どうなのかなぁ?」
しかも、謎の微笑みを浮かべながら月宮さんが意味深なことを言い出す始末。天然発言なのか実は腹黒なのかよくわからないぞ月宮さん。
「え、女の子の大きさってそんな早い段階で決まるの。じ、じゃあ瑛蓮のホライズンなアレはもう……」
「わかったあんたはころす」
「うわー待て! 刀はヤバい!」
俺の視界に、一筋の銀閃が瞬く。瑛蓮が一瞬で刀を抜き、俺の頭目掛け刃を振り下ろしたのだ。バッドエンド、生まれ変わってやり直し。
と言いたいところだが、瑛蓮らしくただの峰打ちだ。さらに言えば、咄嗟で出した両腕が見事に刃を受け止めた。白刃取り。実は薫さんも結構すごいのでは。
「っく……落ち着け」
「一発くらっときなさいよ馬鹿! なんで受け止めるのよ! すごいわね!」
「褒めるか貶すかどっちかにしろ!」
まさかここに来てエリア最大の障害が立ちふさがるとは。刀を持った怒りの瑛蓮は手強い。
彼女は俺から刃を引き剥がすと、切っ先を俺に向けて構える。まずい、突きの構えだ。これは死ぬ。
「これが私の、真の本気の力よ!」
「ちぃ、ツッコミにも手を抜かないその心意気やよし。だが近接武器ではなぁ!」
鋭い踏み込みから刺突。そんなものを喰らえば俺のシールドは容易く剥がれ、身体を刺し貫かれてしまう。瑛蓮の身体能力から考えても、踏み込みから突きまでの猶予はそれほど多くはない。いや、それは甘く見過ぎだ。彼女の突きは一瞬、ゆえに技そのものを封じるしかない。ならばこそ、俺の答えはこれだ。
「土を喰らえ!」
「きゃあ!? 目が!」
怯んだ瑛蓮に俺は肉薄し、か細い手首を握りながらそっと刀を払い落とす。これで、武器を失った瑛蓮の敗北だ。
「暴れるのもいいが、その力は本番に残しておけ」
「ま、まるで私が全部悪いみたいな……」
「す、すげぇ……素手で刀を。さすがアニキだ」
「ふむ……やはり薫殿は無手にて最強」
最後の二人はなんなんだ。バトル漫画の外野で見てるキャラみてーなこと言ってんじゃねーよ。
「なんていうか、さすがに薫のこのノリもそろそろお腹いっぱいね。もう塔も近いし……ほらあれ、クールな薫さん? でいいんじゃないの?」
「そんな瑛蓮、あんまりだ! お茶目な薫さんがいなくなったら絶対に間が持たないぞ!」
「そんなことないと思うけど……」
「あるよ! あるって言ってよみんなも! なぁ?」
けれど、待てども待てども、肯定の返事が聞こえることはなく。はにゃー、と何を考えてるかわからない友希那の鳴き声だけが響いたのだった。
俺達は準備を整え、手慣れた動きで霧の壁を進んだ。どこまでも続きそうな色のない灰色の世界。けれどそれはすぐに晴れ、新たなる世界が俺達を迎え入れる。
そうしてだいたい最初はみんなこう言うんだ。さてこれからどうしよう、拠点にできそうな場所はないか。そんなことを。けれど今回は違った。誰もが息を呑み、はるか遠方にて佇む巨大な建造物を見上げている。
最初の説明でも一度は見た。そしてマップで確認していたので覚悟はしていたが、いざ本物を目の当たりにすると、言葉を失ってしまう。天を貫く一本の柱。俺達の、ゴール。ついに、塔のエリアにたどり着いたのだ。
「すごい……ね、薫。本当に来ちゃった」
「ああ」
「やっぱり……薫だからできたんだよね。私、あなたについてきて……よかった」
「そうか」
「……か、薫」
「なんだ?」
肩を震わせる瑛蓮に、俺は努めて冷静に答えた。すると、何故か半泣きの顔で彼女が俺の胸にすがって来る。
「やっぱり戻って!」
そこまで言われちゃあ仕方ない。
「ほれみろ言わんこっちゃない! へへー、どうだどうだ! 少しはお茶目な薫さんの存在にありがたみを感じろ」
「っく、うざ──あぁっと、もう少し……その、でももう少しだけマイルドに出来ない?」
今うざって言いかけた。言い直したけど言いかけたぞ。中学生の女の子にガチめに拒絶されるのはちょこっとこたえるな。
「ごめん、ほどほどにお茶目な薫さんにするね……」
「わあああ!? だ、大丈夫! 嘘、嘘だから! 私はいつもの薫で大丈夫だから!」
やっぱり瑛蓮はからかうと楽しいな。根が真面目なせいだろうか。
しかしふざけてばかりってわけにももういかなくなってしまった。これがラストマップ。しかし、塔の距離からして他のエリア2、3個分の広さはありそうだ。霧の壁がないだけで塔まではまだしばらくかかるな。
気にしてないのに俺を慰めようとする瑛蓮を温かい目で見守りつつ、俺達はとりあえず周辺の偵察とアイテムボックスを探す班に分かれて行動を開始した。かかった時間は日が暮れるまでの数時間。
結果は、ゾンビと人気は周囲に無し。まあこの辺が岩山のエリアってせいもある。しかも風が少し強めの高台だというのに雨風を凌ぐ建造物もなしだ。ちなみにアイテムボックスは、瑛蓮が上手いこと見つけてくれた。なんかコツでもあるんだろうか、後で聞いてみよう。
「見つけてくれるのはいいが、変なものを引き当てる天才でもあるなお前は」
「だって……中身が何かなんて分からないもん」
「いや、悪いもんじゃないから全然いいけどさ」
岩に囲まれ焚き木が見えづらい位置を取り、俺達はそこで交代で監視をつけながら一晩過ごすことにした。
今はヤンキーその3と友希那が監視だ。何かあっても友希那ならその3くらいしばき倒せるだろうし問題ない。
飯もない俺達は焚き木を囲みながら、まず今日の収穫を確かめることにした。今回見つけたのは二箱。内一つは乾パンの缶が数個だけ。水はないから安易に食えないな。あるだけありがたいが。
二つ目は装備だ。強襲用パックと表示されていて、総重量なんと40キロ。詳細画面で中身を見てみれば、防爆スーツをベースにした装甲服に防弾加工された手袋とヘルメットの豪華装備が二つ。内一方だけ武器もセットで付いている。PKM機関銃と、250発入り箱型弾倉が2つだ。戦争でもおっぱじめられそうだな。これが必要になる状況が来ないといいが、こんなものがある以上、覚悟はしておこう。
「武器入りの方は俺が貰おう。っと、これで所持重量ギリギリか。土の補充を考えるとこれ以上はヤバいな」
「まだアレ持つ気なんだ……」
「なんだと、土万能だろ。どれだけ俺が助けられたと思ってんだ、大地に感謝だぞ」
「うぅ……何気に活躍してるから言い返せない」
早速そのへんの土を手に取り、インベントリに放り込む。もう俺の所持重量は限界だ。うっかり物を突っ込んで動けない、なんてならないようにしないと。
「もう一つは……そうだな、瑛蓮。お前が持っててくれないか?」
「え……別にそれでもいいけど、友希那とかに持っててもらった方がいいんじゃない」
「いや、お前が持っててくれ」
「……そう? なら、そうする……けど」
瑛蓮の言う通り、あの装備を十二分に使いこなせるとしたら友希那か紫さんだろう。けどあの二人の強さは身体能力の高さそのものにある。ぶっちゃけ、強襲用パックは誰が着てもある程度活躍が見込めるものだ。無理して彼女らにつけて貰う必要はない。
とするなら、俺と連携を取りやすい瑛蓮が次の候補に上がるのは当然だ。聖司でもいいが、出来れば司令塔二人で壁役を担当するのは避けたい。
いや……それは詭弁だな。何となく、これを使うのは最後の最後。そんな気がする。だからその時は、瑛蓮に隣りにいてほしい。彼女と一緒に最後まで戦って、彼女と一緒に塔を登りたい。少しでも長く、彼女と共にいたい。たぶん、それが本音。学生らしい恋心とかとは少し違うかもしれないけど、俺は瑛蓮に何らかの特別な感情を抱きつつあるのかもしれないな。それがなにかまでは、局所的に鈍感なせいでわからないけれど。
「瑛蓮」
「な、なに? 急に改まって」
「俺が必ずお前を元の世界に帰してやる。約束だ」
伸ばした指先が、瑛蓮の頬に触れる。ふんわりとした、餅とか大福でも触っているような手触りだ。気持ちいい。
それでいて指の背で軽く撫でるごとに赤くなっていく様は、まるで鍋で煮られる甲殻類……はちょっとこの雰囲気の例えにはふさわしくないか。
「えっと……うん。ありが、とう。……でも、無理はしないでね薫。あなたは時々、その……怖いの。もし自分が犠牲になって私達が助かるなら、平気でその選択をしちゃいそうで」
「全滅か一人の犠牲かを選ぶなら後者の選択は当然だと思うが」
「ちーがーうーのー! もー、薫のそういうところ嫌い」
「むぅ」
むにむにの頬が少しずつ膨らんで、つにはぷいとそっぽを向かれてしまった。まあこれはこれで可愛い。
「そういうのは禁止! いい?」
かと思いきや指をびしっと俺に突きつけて、こんなことを言ってくる。感情表現が豊かなやつだ。
「そもそもだな、俺は好んでやばい道を選んだりはしない。殺さなくていいならそうするし、みんなが助かる希望があるならそれに賭ける」
「でも……」
「こんな世界だ、何も信じられないのは分かる。でも、俺は瑛蓮を悲しませるようなことはしないよ。信じてくれ。なんならほら、約束……な?」
俺は腕を伸ばして、小指を立てる。瑛蓮は何も言わずに、俯きながらも指を絡めてくれた。
「……約束」
「ん?」
「約束……破ったらサボテン飲ますから」
「アイアン──まあいいか。分かったよ。でもあれ、人が飲み込めるサイズじゃないぞ」




