03話「不和」
歩き始めて、一時間ほど経過しただろうか。
時計やスマートフォン含め、学生服以外に元の世界の物を所持している生徒はいなかった。だから正確な時間を測ることも、この異空間をカメラに収めることも不可能だ。
代わりに与えられた物騒な品々。それに興奮を覚えるやつなんて俺と聖司、後はヤンキー共くらいだから他の皆が暗い顔なのも無理はない。
それに太陽が二つなせいか元の世界より暑さも二倍。真夏に暖炉付きの密室でヒーターを周囲に何個も置いたような暑さだ。夏休み中はほとんどが冷房完備の屋根の下でネットにゲーム三昧だった俺にこの環境はそこそこ堪える。言い訳になるが、この温度は普通の人だって辛いはずだぞ。
体力の消耗は激しく、目的地も定まらぬ旅。これほど物資が潤ってなければすぐにでも断念し別の方法を考えるところだ。
しかし物は有限、いつかは尽きる。確認しただけで水と携帯食の両方が支給されている生徒が数名、あとはだいたい食料だけ水だけのやつ。どれも一人十個ずつ支給されているが、ケチりながら使っても皆で消費すれば数週間持つかどうかだ。そんな長居するわけにもいかないが、それくらいかかる場合の対策はしておく必要があるだろう。楽観は厳禁だ。
それに拍車をかけて何も無しで足を引っ張るのも一人いる。当然俺だ。インベントリを開けば空欄がいっぱい、ささやかながらに空白を埋めるものたちといえば、MP7にP226、弾にホルスターとかスリング、弾薬ポーチみたいな装備品、あと双眼鏡。以上。
あの白玉には殺意しか湧かない。木の棒と鍋の蓋でなかっただけマシでは?なんて言われた日には頭に鉛玉をブチ込みかねん。あいつの頭がどこか知らんけど。
「……殿……薫殿!」
「む……すまん、月宮さんの制服が汗で透けそうでな。気になって聞いてなかった」
「ええ!?」
俺の声が聞こえたのか、隣りにいた委員長が胸の前で腕をクロスさせ防御姿勢を取った。月宮さんと違って暑さに抗いブレザーのジャケットをボタン掛けたまま着てる鉄壁の委員長は大丈夫だろ。てかすごいな、サウナで我慢大会とかしたら強そう。
「それで聖司よ、何事か」
「それらしい建造物や場所は見当たらず、このままでは皆の消耗を見ても厳しいでしょう。それに、空をご覧くだされ」
促され、俺は聖司の指差す方向を眺めた。まだ太陽が眩しい。右手を額に当てて日影を作りながら、俺は目を凝らす。
先程まではなかった月が二つ、上空に浮かんでいるのが見える。
「太陽が二つなら月も二つか……するとあと数時間、もしかしたらすぐにでも夜になる可能性が」
「左様。いかが致しますかな?」
女子達の消耗が特にひどい。暑さで水の消費も激しく、この日差しでは皆の体調も心配だ。これ以上の移動は平原に留まるより危険かもしれない。小一時間も歩けば何かしら木陰なり建物なりすんなり見つかると思っていたが、見立てが甘かった。今いる場所は日本の田舎というよりアメリカやらそこらへんの大陸として考えた方がよさそうだ。となるとこの平原も下手をすれば数百キロ規模のものって可能性もあるし、もしそうなら徒歩で移動すること自体間違いだったのかもしれない。
まさか、こんな最初から躓くことになるとはな。俺や聖司はともかく、皆の命がかかってる。しっかりしろ。
「…………」
「薫殿、怖い顔をしております。このチョコバーをどうぞ」
「あ、ああ……すまん」
包装を剥き、まずはひと齧り──したが、この暑さに甘ったるいチョコバーはないな。水が欲しくなるしめっちゃ溶けるし。
俺はバーを包み直し、出てこいと念じて呼び出した画面を操作してインベントリに放り込む。このゲーム的魔法式格納術は個々の道具別に最適な環境下で保存されるのか、入れている間はチョコとかが溶けることはないようだ。しかもご丁寧に食べかけのチョコバーとか表示されてるし、無駄にその辺は細かい。気の使う場所が違うと思うのだが。
他にも俺は移動しながら操作に慣れるために色々弄ったり試したが、どうもこの画面からアクセスできる機能は思った以上に多彩で、なおかつ個人差が激しい。所持する道具もそうだが、最初のメニュー欄にあるクラフトとかいう機能、あれも個人で差のつく機能だと思う。アイツや聖司と俺のを比べても項目の量に違いがあるし、これは追々もっと詳しく調べる必要があるだろう。
それに光る球が言ってた防護膜というやつもだ。言いにくいからシールドと俺と聖司で呼称を改めたが、これは目に見えないが常に俺達の体を膜のように覆っていて、攻撃や高所からの落下とか有刺鉄線に触れたとかそういう一定のダメージを無効化し痛みもカットしてくれるもののようだ。さらに水中で目を保護してくれるから海水の中でも目を開いたまま泳げるし、ヤバいものが空気中に散らばっていても皮膚とか目から入り込まないようにもしてくれるらしい。ただ汚染されたものとかを飲み込んだり吸い込んだりするとシールドの残量的なものが減り、残量のある内は浄化してくれるが空になると目の保護とかその他諸々シールドの機能が一時的に使えなくなる。ダメージでも残量は減るようだから、シールドに負担をかける行動をすると駄目なようだな。ただ時間と共に修復され一時間ほどで全回復するようだから、剥がれておしまいってわけじゃないのは助かる。
そんな色々なことを全部一纏めで管理できる機能が、ちょっと頭に思い浮かべて手を振れば呼び出せるんだから、ずるいもんだ。まあある程度こっちの思考を読み取って反応してる機能もあるってことだから、それが逆に怖くもあるが。あの白い玉に考えが筒抜けの可能性も否定はできんな。
と、今理解した機能だけでもゲーム的な印象が拭えないわけなのだが──しかし、だ。ここまで用意しておいて、そういうのにつきもののスキルやパラメーターの類は一切ない。現実の俺達の能力依存だ。つまり俺の場合だと、所持重量が少なく弾薬があまり持ち運べないかわりにすばやく動ける的なスキルが付いてるということはなく、単純に性能が低いだけでなんのアドバンテージもないクソスペック野郎ということになる。今すぐ死んだ方が食料の消費的にもマシなレベルの屑だ。
「ふぅ……せっかくだし、便利機能の他にもチートアイテムや能力を用意してくれたらよかったのにな」
「はは、人生そううまくはいかないということですな。しかし薫殿は人並みにスポーツができて、人並みにコミュ力があり、人並みに勉強ができて、人並みに人望がある時点で我々の界隈では割とチートですぞ」
「きついな」
「おまけに姉と言ってもおかしくない歳の義母を持ち、家も席も隣の幼馴染の女性がいるというコンボです。ある大企業の社長の息子で様々なスポーツを極め女子にモテモテなだけの普通の男子高校生、のように普通ってなんだ……と、言われるレベルの方ですぞ薫殿は」
「それは次元が違いすぎるだろ……そもそもミナトさんはともかくアイツはだな」
「義母さんではなく名前呼びなところが怪しいですな」
「怪しいってなんだ!?」
いかんいかん、聖司のペースに乗せられると調子が狂う。無視だ無視。
せっかく憧れの異世界に来たんだからな、期待したものとは違ってるとはいえ、いつもの薫さんらしくこの奇跡を堪能しないと。
と、せっかく意気込んだ矢先だ。突然視界に入り込む桃色の影、俺はヤツの存在を気取るのに一瞬遅れてしまう。
「痛ってぇ!?」
「ふんっ、誰がなんだって?」
ローファーの踵で思い切り俺のつま先を踏み、続けて虫でも擦り潰すかのように体重をかけてぐりぐりと足を動かす極悪非道の女。ヤツの接近を許してしまうとは情けない。
それはそれとしてシールドは痛みもカットしてくれるはずでは。俺は画面を開くが、どうもシールドの残量そのものが減ってる感じがしなかった。じゃれあいで機能はしないのか。まあその方が助かる。
「この状況で足の怪我は洒落にならんからやめろ淫ピ」
「淫ピゆーな! クソオタク!」
「淫ピの意味が分かる奴に言われたくはねぇぞ」
ワンサイドアップというんだったか、右側だけぴょこぴょこと結んだ髪を跳ねさせて憤慨するピンク髪の鬼は俺の足に引かぬ鈍痛を刻み込むと、さっとステップ気味に距離を取り童顔のくせに目つきの悪い双眸を細めて俺を睨みつける。幼馴染系キャラってのはたとえ不意打ちしても笑顔で主人公の背中を叩くとか鞄で軽く後頭部を殴るとか、普通そのレベルじゃないのか。俺がゲームのやり過ぎなだけかこの女が野蛮すぎるのか、はたしてどっちだろう。
「薫殿に絢香殿、幼馴染なのですから仲良くしてくだされ」
「俺の知ってる幼馴染キャラは窓から彼氏とヤッてるとこ見せつけたりしない」
「語弊がある言い方してんじゃないわよ!? ゲームしてただけよ!?」
「えー……俺がカーテン閉めた後はどうだったんです? ちなみに若気の至りは最悪身を滅ぼすから気をつけなさいってシヴァ狩りに行ったじいじが言ってたぞ」
「おじいさん何者……じゃない、アンタほんとブッ殺すわよ!? ヤッてないから! ……そもそもそうなる前に別れたし」
知りとうなかったそんなリアル情報。いやどうでもいいけど。
六角絢香、こいつはクラスの要注意人物だ。主に俺にとって、だが。こいつが関わると俺はだいたい碌なことにならない、例えば今なら会話が聞こえている委員長に変な目で見られてるとかそういうの。まあ焚きつけた俺も悪いんだが。猛省。
「いいからその辺の女子と話してろよ。考え事してる奴の邪魔は絶対にするなってベトナム帰りの親父も言ってたぞ」
「お父さん何者……じゃなくて、ちょっと仁美ちゃんやカナちゃんが辛そうだから休ませてあげたいって、アンタと委員長に言いに来たのよ」
「なっ……」
たぶん俺がこいつの行動でこんなに驚いたのは、小学生の頃に凶暴すぎてアレが付いてるんじゃないかと馬鹿にした俺の目の前で豪快にパンツを脱ぎ捨てスカートを捲りあげた時以来だろう。状況に天と地の差はあるが。
「お前にも人の心があるんだな」
「アンタぶっ殺すわよ!?」
「おわっ、銃を向けるな! トイガンならともかく実銃だぞ! まったく、だから日本人は武器に対する危機管理の意識がな……」
俺の眉間に照準が定められたオートマグの銃身を握り、そっとホルスターに収めさせる。まだ銃は装備しなくていいと言ったのに人の言うことを聞かんやつだ。前言撤回、やはりこいつは害獣的なものでしかない。
「とりあえず分かったから、仁美さんと佳奈江さんの様子を見てこいお前は。話が進まん」
「……しっかりしてよ。アンタのムダ知識はこういう時にしか役に立たないんだから」
捨て台詞と鳩尾への一撃を残して去っていく絢香を一瞥して、俺は軽く咳き込みながら手招きで委員長を呼び寄せる。前半の会話に引いていた委員長も、俺の顔色を察してかすぐに気持ちを切り替えてくれる。こういう時に委員長は頼りになる。いや、頼りにならない委員長キャラなどほとんどいない。現実では稀かもだが。
「やっぱりこれ以上進むのは難しいんじゃないかな?」
「……そう、だな。ごめん、まさかこんなにだだ広い場所だとは思わなかった」
「しょうがないよ、ここがどこかもわからないんだもん。移動した方がいいって言ったのは私もだし、姫路くんだけのせいじゃないよ」
委員長は引きつった笑顔でこたえてくれた。彼女も大分疲れてるな、体育会系じゃないし当然か。
しかしどうするべきだろうか、平原のど真ん中で夜を待つのは危険すぎる。だがこのまま移動を続けても建物が見つかる可能性は低い。迷っている時間も惜しい、決断は早い方がいいってのも理解してる。遠足気分もいいが、皆の命がかかっていることを忘れるな。これは俺一人の問題じゃないんだ。
「おい、おい薫。無視すんなよ」
「あ? んだヤンキー今は話しかけんな」
思案の邪魔をした不届き者は、ブレザーを着崩し金髪ピアス装備の絵に描いたような不良三人組、そのリーダー格の男だ。ルールを破る俺かっこいいを気取るだけでガチなやつじゃない分話しは通じるがそれでもクラスの問題の種な連中。今は騒ぎを起こされちゃかなわん、どうにかしないと。
「んな足手まといの女子なんてほっといていこーぜ。ゾンビだか知らんが、ほーりつとか気にせずぶっ殺せるんだろ? それに塔まで誰かがつきゃあいいなら俺らだけで行ってもいいじゃねーか」
「ゾンビの性能も把握してない上にこの世界の情報もないんだぞ、そんな状態で少数で行動するのは自殺行為だ。少し考えりゃ分かるだろそんくらい。そんなに何かやりたいなら周辺を偵察してこいよ」
瞬間、妙に奴らの目が潤いを帯びて輝きだした。早まったかな。
「マジで? オッケーやるやる」
「あ、おい遠くには行くなよ。俺らが見えるところまでだ。迷子になったら死ぬぞ」
「わぁってるわぁってる、りーだーさんよ。よし、お前ら行こーぜ」
嬉々として俺達の輪から離れてく三人を見送って、俺は委員長と相談し移動を一時的に止め休憩を取ることにした。皆が一斉に地面に座り込んでペットボトルに入った水を乱暴に口へ流し込む様を見せつけられ、よほど無理をさせていた事を実感する。こんなんじゃ駄目だ、少なくともこの状況で一番うまく立ち回れるのは俺と聖司だけなんだから、もっと気を引き締めなければ。
「今日の移動だけで水の消耗は約三割、食料はまだ十分だが調達しなければいずれは……くそ、目的地も分からず敵の情報も皆無。どうすりゃいい」
「姫路くん……」
迂闊だった。口を滑らせたこともそうだが、委員長の前で不安を煽る行動は避けなければならなかったのに。委員長も俺を頼っている節がある、そんな俺が弱音を吐けばみんなが──
「何だ!?」
乾いた破裂音。なんの音だかなんて最初は分からなかった。それは、動画で何度も見た慣れ親しんだものであったというのに。
やっぱり録音されたものと実際に聞く音は違うもんだ。けど、そんな考えは一瞬の内に吹き飛んだ。
「ばっかやろ──」
言いながら、対策も考えず俺は音の発生源に向かって一心に走り出した。向かう先には、殴ってやりたくなるほど憎たらしいヤンキーの笑顔。
仁王立ちで佇む彼らのリーダー、その右手にはショットガン。小さな丘になっていて俺からヤツの正面側の地形は見えない。もし銃の射程内に何かを捉えたのなら、そんな近くに敵がいるのなら。
どうする、どうすればいい?銃声はもう響いた。平原全体、もしかしたらもっと遠くまでかも。ゾンビの性能は?聴覚があるタイプなら今ので集まってくる。もし走るやつがいたら?飛ぶやつがいたら?一体どれだけの猶予が俺達にある?そもそもあの馬鹿は仕留めたのか?まず何をすべきだ?俺は──




